私の住んでいる町は、『トッテム・タウン』という、ありえないくらいダサい名前で呼ばれている。
すこし前に一世を風靡した、『トッテム谷口』という一発屋のお笑い芸人のことは、みなさんご存知かと思う。
その『トッテム谷口』の出身地であるということくらいしか取り柄のない町、という侮蔑をこめて、この町の住人たちは『トッテム・タウン』と自虐するのである。
たしかに、この町は観光地ではないし、電車に乗らないとまともに服も買えない。ゲームセンターも何年も前に潰れ、娯楽といえば古本屋がいくつかあるだけ。
でも、わたしはこの町のことが嫌いではない。若者は、みんなこの町のダサさが許せないらしく、進学や就職を機会に町を去ってしまう。私も、就職を機に東京にでも行こうかと思っていた。けど、やめにした。
去っていく彼らの背中を目で追うのが妙に楽しいと思えてきたのは、最近、この町には胸をワクワクさせる怪事件が起こっているからだ。
第一話
トッテム・タウンに災いが起きはじめた頃、わたしは大学を休んでぼんやりとしていた。まだ一回生だし、単位なんてどうとでもなるでしょ。そんなスタンスである。専門的な科目もほとんどないし、だらだらしつつ、ノートは友だちにでも斡旋してもらえばいい。あるいは、試験前にググればなんとかなる。あるいは、来年も同じ授業受ければいいだけだし……などなど、言い訳をたくさん並べながら、ずっと自分探しをしていたような気がする。
なんとなく勢いで入学してしまったけれど、大学でやりたいことなんて何もなかった。なにひとつやる気が出ないし、やる気の出し方もわからない――こんな気持ちになったのは、わたしの実家と関係があるかもしれない。
寂れ気味のトッテム・タウンにはいくつか、町の人間たちに愛される名店がある。とろけるキャラメルアイスクリームを専門に売っている『ロード・ロード・リロード』。ちょっとレア気味で分厚い(そのわりに安い)牛肉ステーキが売りの『メイルストロム』。そして、特大いちご大福が評判の和菓子屋『紙切』。
なにを隠そう、わたし、天牛あきらの実家はこの『紙切』なのである。
和菓子職人である母からは、「べつに継がなくてもいいわよ」と言われてはいる。しかしわたしには「継がない」と言い切れる明確な理由がない。かといって、和菓子職人になった自分の姿が思い浮かぶはずもない。宙ぶらりんのまま、なにかを探して大学にやってきたものの、なにも見つけられない。焦りだけが蓄積しては消えてゆく。
そんな折だったのだ。
彼に出会ったのは。
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ザーーーーーーッ。
ザーーーーーーーーーッ。
生じたノイズが耳をつんざくようで、その他にはなにも聞こえない。
わたしは、商店街のまんなかで立ち尽くしている。
暗闇が立ち込め、不穏な空気が満ち満ちていた。
これは異常事態である。
なぜなら、商店街名物の大時計の針が、両方とも延々とぐるぐるまわりつづけているからだ。
慌てて、ポケットからスマートフォンをとりだしてみたのだが、時刻表示部分はぐちゃぐちゃに塗りつぶされており、まるで水没したときのような、バグった状態となっていた。
おかげで、今が何時なのかさっぱりわからない。
家を出てきたときは深夜の一時くらいだったはずなのだが。
ザーーーーーーッ、ザザッ。
ノイズが一瞬乱れたので、反射的に振り返る。
「っ……!」
悲鳴を噛み殺し、一歩退いた。
まっくろで、ぐにゃりとしたゼリー状の化物がそこにいた。
不透明なゼリーのまんなかには、白い球状のものが埋まっている。その球の中心にあるいちごのようなものが、こちらをさした。
それが目だと気づいたときにはすでに遅く、わたしはゼリー状の触手につかまって、空へと押し上げられていた。昔見たアニメ映画のワンシーンみたいだ。
バグ表示になったスマートフォンは、衝撃で手から離れ、地面へと落下していった。ああ、今月はまだパケット残ってるのに……と、ムダに冷静な考えが一瞬よぎった。
「ぎゃああああああああ!! 下ろして!! 下ろしてよお!!」
ぶざまな声をあげてしまった。アニメの女の子なら「きゃー!」とでも言いそうな気がするが、現実では、急に非常事態に陥ると、かわいらしい声なんて出ないらしい。
「…………グギ?」
ゼリー状のものは、首を傾げるような動作をし、軽い鳴き声をだした。が、それだけだ。わたしを下ろしてくれる様子もないし、なにか言うような気配もない。言葉での意思疎通は無理だと思ったほうがよさそうだ。
空から見下ろしてみると、この夜の異常さがよくわかった。いくら深夜の一時とはいえ、静かすぎる。人っ子一人いないし、明かりがついている建物もない……。トッテム・タウンはたしかに辺鄙な町だけれど、ここまで夜が静かなわけはない。ノイズ以外になにも聞こえない夜なんて、ありえない。
ゼリー状のものは、わたしを持ち上げて、そのままどこかへ運ぼうとしているらしかった。ゆっくりとなめくじのように移動を開始している。のそのそとした遅い歩みではあるが、どこへ連れて行かれるのか考えるだけで身震いがしそうだ。捕食されるのか、あるいは人体実験でもされるのか。見当がつかないがゆえに恐ろしい。
異常に遅い移動が開始されたせいで、考える時間が生まれた。抵抗してもゼリー状の触手のなかへ体が埋まっていくだけで、特に意味はない。ならば、抵抗せずに落ち着いて考えてみることだ。
まず、自力での脱出は無理だ。何度も試しているが、触手は体に食い込むばかりで外れそうにない。唯一、投げつけて攻撃できる可能性のあったスマホも落としてしまった。
では、助けを待つというのはどうだろう。この世界には、ほんとうにわたししかいないのだろうか。ゼリー触手おばけ以外に、人間がだれかいるとしたら。その人はわたしを助けてくれるかもしれない。自力で助かろうとするよりは、マシな案だ。単なる神頼みでもあるが。
……夜の闇のなか、目を凝らしてみた。……だめだ、明かりがないせいで、視覚からなにか探ることはほぼできそうにない。かろうじて街灯はついているのだが、周囲にはなにも……。
いや。待て。なにか聞こえる。
ザザザザ……というノイズに耳が慣れてきたせいか、ふと、ノイズの裏になにか別の音を感じた。
キン、と金属をはじくような音。それが、触手に持ち上げられ、ビルの二階ほどの高さにいるわたしよりも上空から聞こえる。
自分がビルの二階ほどの高さにいるせいで、わたしは自分よりも上になにものかがいるという可能性を除外していたのだ。
そう気づいて、急いで首を必死に傾けて上をあおいだ。
「あ!」
そこに、正義のヒーローがいた。
あまりにマヌケな表現だが、そうとしか表現しようがない……全身をぴっちりとした緑のタイツのようなもので覆い、翼もないのに空を飛んでいた。顔もマスクで覆われていて、何も見えない。唯一、目にあたる部分に逆三角形の模様が描かれているが、その内側になにがあるのかはまったくわからない。右の腕には黒いマントのようなものが、左の腰にはウエストポーチのような箱がついている。ひらひらとマントがはためいている様子は、まるで夢みたいだった。現実味がない。
キン……という金属の共鳴のような音は、どうやら彼が飛ぶ際に発せられる音のようだった。
「あなたは、いったい?」
ようやくそれだけ言ったのだが、彼(体の線から考えて、女ではないと思う)はなにも答えずに、人差し指を立てて口の下へと持っていった。「静かにしろ」とでも言いたいのだろうか。
いや、違った。彼が口の下で立てている人差し指が、きらきらと輝きはじめる。指の先になにかをチャージしているような光り方だ。見ているこちらがまぶしくなるほどに光がたまったあと、彼はそれをわたしの方へ向け、そして……
その先は、まぶしすぎてよく見えなかった。ただ、彼の指先から放たれたビームが、わたしのほうへ一直線に飛んできたということだけはわかった。やばい、当たるって。やっぱり正義のヒーローなんかじゃなくって、ゼリーおばけの仲間だったのか!?と戸惑うわたしは、ビームがあたった衝撃で、ゼリーおばけの触手から離れて、地面にまっさかさまに落ちていく。完全に地面に接触する前に、意識が暗転した。
+++
……浮かび上がる意識のなか、ゆっくりと目を開ける。変わらず、ノイズ混じりの静かな夜が続いていた。やっぱり、わたしはここで死ぬのかな、と頭の片隅で思う。
ぼんやりとした視界のなかに、背の高い男の人が立っているのが見える。着古された黒い背広のスーツを着ている。サングラスをかけているせいで、顔はよく見えない。「メン・イン・ブラック」……そんな言葉が脳裏に浮かんで消えた。
あれが、さっきの謎ヒーローの中身、なんだろうか。
助けられたのか、殺されたのか、よくわからないけれど……
すこしだけ猫背のかっこうをしたその人は、わたしのほうをじっと見て、なにか言っている。
なんだろう? 聞こえない。もっと大きな声で言ってくれないと……。
「やっと、見つけた」
すこし苛立ったような口調で、彼がそう言った……ような気がした。
もうすこし、彼の言葉を聞きたかったのだけれど、その気持ちに反してまぶたはすごく重くて、意識が闇の方へひきずられていく。
待って、あなたはだれ? 敵なの? 味方なの?
問いかけたいわたしを置き去りにして、意識はもう一度、闇へ吸い込まれていった。
20181022