幕間

「あなたは、とても冷酷な人間ですね」

 目を見開いてぼくにそう言ってきたのは、道端に座っていた易者の女だった。
 そんなふうに言われるのはひどく心外であったので、金を多めに払って、そのまま帰った。
 まったくもって、勘違いも甚だしい。
 この余儀こそは、『陽光の季節』の救世主にして奇跡のサイエンティスト!
 冷酷という概念とは対極にいる人間だ。

 翌日、理科喫茶の開店前。
 居候の西所にその話をしてみたところ、

「その女は正しいな。おまえの博愛主義は行きすぎていて嘘くさい」

 という答えが返ってきた。

「えー。匡くんにくらべたら、ぼくってめちゃくちゃ優しくない?」
「おまえを優しいと思ったことは一度としてない」

 ひどいやつである。家に住まわせてもらっておいてこの態度か。
 親の顔が見てみたい。

「親の顔なんて見ようと思ったって見られない。そのことを知っていながらそういうことを言えるのが冷酷の証拠だろうが」

 言葉の綾という概念を知らないのだろうか、淡々と切り返す西所は、相変わらず冷徹な眼差しでこちらを見つめていた。

 彼とコンビを組みはじめて、十年ほどになる。
 ぼくが科学者で、彼がヒーロー。出会った当初は変身ヒーローにふさわしく、さまざまな紆余曲折があったものだったが、現在ではもはや、ぼくたちには戦いに対する緊張感と呼べるものはほとんどない。
 すべては惰性であり作業。
 怪物を倒すのも、新たな悪を探すのも、ソーシャルゲームの周回のようにたやすく、退屈だ。
 人間を助けるなんて、意外と簡単なこと。
 なぜなら、ぼくは天才だし、西所には天才の生みだした力が備わっているから。

 考えてもみてほしいのだが、十年もレギュラーを変えずに毎週日曜日に放送される特撮番組があるか? サザエさんじゃあるまいし、十年間も新キャラクター抜きで緊張感を継続させるなんてことは不可能なのではないだろうか。いや、ぼくは特撮番組にはまったく詳しくないので、もしかしたらそういう番組もあるのかもしれないが……。

「天牛あきらについては、どう思う?」

 と彼が表情を変えずに尋ねたので、「おや」と思った。
 というのも、この西所という男、他人に基本的に興味がない。ヒーロー稼業に関係のある人物ならば余計にだ。名前を覚えるということそのものに罪悪感があるかのように、必ず代名詞で呼ぶ。
 なのに、『天牛あきら』はフルネームで覚えたのか。
 なにか、彼なりに思うことがあるのかもしれない。

「あきらちゃんはぼくの親友だからね。きみのような悪人ヅラしたやつは極力近づけたくないんだが、平和のためなら致し方ない」
「ダウト。おまえにそんなまっとうな感性があるかよ。むしろ反応を楽しんでるだろ」

 ……当たりである。
 ぼくはたしかに天牛あきらの親友かもしれないが、同時に爆発物処理班……もとい、この世界を救うヒーローの相棒なのである。爆発物である『渦巻き』に対して特殊な感情を持つ人間はいない。

「おれは、おまえみたいなやつと親友になっちまった女子大学生の将来が心配だね。健全な青少年の育成が阻害される」
「やくざのお兄さんに言われたくないでーす。断固抗議しまーす」
「棒読みじゃねえか」

 とまあ、天牛あきらが自らの境遇に対して悩みに悩んでいたころ、われわれには緊張感と呼べるものはなにもなかった。
 十年間、『渦巻き』を処理したり、『化物』を殺したり、『世界の終わり』を回避したり、そんなことばかりしていた。一度も失敗などしたことはないし、これからも失敗することはないだろう。

 なぜなら、ぼくには確固たる自信がある。
 ぼくにとって、ヒーロー稼業というものは、日曜の夕方にテレビに映る国民的アニメみたいなものだ。
 そこにあって、当たり前。
 平和がつづいて、当たり前。
 ぼくの思う通りになって、当たり前。
 ぼくが世界の中心だから。

「……おまえみたいなやつが救世主でなければいいと、毎日毎日、おれは切実に願ってるよ、余儀」

 苦虫を噛み潰したような顔で西所は言った。
 毎日そんなことを考えているということは、ほぼ認めているようなものだろう。救世主が、どこのだれなのか。
 ぼくは二人分のコーヒーを淹れつつ、朝食の献立を考えていた。
 世界の終わりになんて、興味はまったく湧かない。存在しないものに興味が湧く人間など、この世には一人もいないだろう。
 そんなことより、鰤の照り焼きと、鮭のムニエルのどちらがおいしいかのほうが問題だ。そうだろう?

「おれはムニエルがいい。それと、おまえはいずれ天罰を受けたほうがいい」

 西所は目を合わせずにそう言って、店の奥にある自室へと消えていった。
 ぼくは、その後ろ姿を見送りながら、鰤の照り焼きを作るため、醤油と味醂を取りだす。朝からムニエルだなんて、ちょっとくどいなと思ったからだ。理科喫茶にはよくある、日常の風景だった。
20181210