第五話

 どんな運命を背負っていたとしても、いつまでもひきこもっているわけにはいかない。
 数日経って、わたしは商店街へ出かけた。ルチカのところへもマスターのところへも行く決心がつかないので、とりあえず、ステーキ専門店『メイルストロム』にでも行こうかと思ったのである。

 『メイルストロム』は老舗のステーキ屋で、分厚い牛肉ステーキが売りである。サイズ大きめなわりにリーズナブルなステーキは大学生に人気で、平日昼間でも客足が絶えない。
 この店は、非常に思い出深い店だった。高校生のころ、憧れの先輩にふられたときに初めてこのステーキを食べたのだけれど、涙がでるほどおいしかった。
 それだけじゃない。『メイルストロム』の最大の売りは店主の人柄だ。店主は口ひげをたくわえた六十歳ほどの男性で、エプロンの下には比較的フォーマルなシャツを着込んでいる。まるで八十年代のギャング映画にでも出てきそうな風情である。悩みのある客が来ると、それとなくデザートをサービスしてくれたり、さりげなく話を聞いてくれたり……決して愛想のいい店主ではないのだけれど、常に客に対して真摯なのだった。わたしも、何度も励まされたり、デザートをもらったりしていて、顔見知りの関係というわけだ。

 『メイルストロム』の店主に事情を話すわけにはいくまいが、多少の気晴らしにはなるはずだ。そう思って、わたしは家を出た。
 ……そして、商店街の入口で、西所に出会ってしまった。
 あんなに身長がでかい人物は、トッテム・タウンにはそうそういない。『メイルストロム』の店主もかなり大きい方だが、西所ほどではないはずだ。
 遠目からでも彼だとわかった。避けたくなったが、避けても致し方ないと、腹をくくって話しかけた。

「あの……西所さん。ご無沙汰してます」

 彼はわたしを待ってでもいたのだろうか、はたまた、彼もステーキでも食べに来たのか。なんでもないことのように、こう声をかけられた。

「元気か? 余儀が心配していたぞ」
「マスターが?」
「ああ」

 まあ、あんなふうに別れたのだから、心配していて当然か。

「あきらくん」

 とぎこちなくわたしを呼んでから、西所は試すようにこう問いかけた。

「昼飯は食ったか? よければ、ステーキでもおごるが……」
「で、では。お言葉に甘えて……ちょうど『メイルストロム』へ行こうと思っていたんです」

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 と答えてはみたものの、この人は要警戒人物としてわたしのなかに位置づけられている。
結局、やくざというのはほんとうなのだろうか。

「お、余儀くんとこの若いの。久しぶりだね」

 なんと、『メイルストロム』の店主は西所を知っているようだ。
 『若いの』なんて言われているが、わたしから見ると、そこまで若くはない気がする。三、四十歳くらいだろうか。

「牛ステーキふたつ。片方は量二倍で頼む」
「おうよ」

 わたしがなにを頼もうか悩んでいると、さらりと先に注文してくれた。この店での鉄板注文だ。
 そんな西所は、こちらへと向き直った。

「災難だったな」
「は、はい。まさか、わたしのせいで、トッテム・タウンのみんなが危険に……」
「その件に関してはおれと余儀がどうにかするからどうってことはない。気にするな。災難というのは、余儀のことだよ」

 ……はい?
 何を言われたのか、よくわからなかった。

「マスターがどうかしたんですか?」
「いたいけな子どもにはわからんかもしれんが、アレは関わっちゃいけない大人だ。正直、きみが『渦巻き』であることなんかより、あいつがこの町にいることのほうがよっぽど問題だと思うね」
「世界の破滅よりも、マスターに出会ったことのほうが問題だなんて言うんですか。それはさすがに……」

 話を盛りすぎだろう、と言いかけたが、西所があまりに真剣なので、思いとどまった。
 そうこうしているうちに、ステーキがふたつ運ばれてきた。もくもくと湯気をあげる肉塊は、相変わらずおいしそうだ。さっそくナイフとフォークを手にして食べはじめる。

「どうやらおれのことがあんまり信用できてないようだから、おれの身の上話からさせてもらおう」

 肉を切りつつ、西所は話し出す。

+++

「おれがいた世界は『竜巻の季節』と呼ばれていてな、一年中、強い風が吹いてる変な場所だった。ある日、ひとりの『渦巻き』を中心に強すぎる竜巻が発生した。あとから余儀に聞いた話だと、『竜巻の季節』は一瞬で消滅した。生存者数、死亡者数ともに不明。気づいたらおれはひとり、この『陽光の季節』でさまよってたわけだ。竜巻の勢いで、違う『季節』へふっとばされたんだろうな。
 異界人であるおれには戸籍がなかった。が、この『トッテム・タウン』で当時、やくざの若頭が行方不明になっていた。どうやらその男が、おれと瓜二つらしくてな。町で組のもんに呼び止められて、それ以来、おれは『若頭』として生きてる」

 この世界には、自分とそっくりな人間がすくなくともふたりはいる……という都市伝説ではないが、そんなことが実際にあるものなのか。

「他人になりすまして生きてるってことですか。そういうのって、すぐにバレちゃうんじゃ……」
「それが意外とバレないもんさ。みんな、そんなにちゃんと他人のことなんか見てねえんだろうな」
「そういうものなんですか……」

 ステーキのジューシーさを口のなかでじっくり噛んで味わい、飲み込んでから、わたしは相槌を打つ。
 
「余儀と出会ったのは、若頭になってから数ヶ月後のことだ。ところで、あいつの下の名前、知っているか?」
「知らないです。急に、何なんですか?」
「余儀はな、ほんとうに信頼できると思った人間にしか、名前を明かさないんだとよ。あいつとヒーロー稼業をはじめて十年になるが、おれもいまだに知らないんだよ。余儀の名前」
「十年も経つのに、名前を知らない?」

 冗談だろう、と言いそうになった。しかし彼の目は真剣で、憂鬱そうで、どう考えても嘘を言っている顔ではない。

「あいつはそういう男なんだ。だれのことも好きじゃないし、興味がない。だから危険なんだ」

 絶句しているわたしを見ながら、西所は話をつづける。

「おれと余儀は十年間、このトッテム・タウンを守護してきた。きみが知らないだけで、いろんな危機があったんだ。余儀は、おれと出会う前に何をしてたのか知らんが、この仕事に関してはプロだ。一度も失敗したことはない。だから、きみのこともきっと大丈夫だ」

 だが、と彼は急いで付け足した。

「余儀と関わるのは危険だ。あいつは生粋のプロだから、アマチュアの気持ちがわからん。いわゆる『一般人』ってやつに、まったく寄り添う気がないんだ。ヒーローとしてもっとも必要なものが、あいつにはない。そうおれは踏んでる」

 ヒーローとして必要なもの。
 それは、守るべき人々への愛だろうか。
 それとも、誇りだろうか。
 あるいは……他人の気持ちを理解すること?

「ごっそさん。やはりここのステーキは絶品だな」

 西所はいつのまにか食べ終わっていて、財布を出して帰ろうとしていた。
 まだ聞きたいことがたくさんあったが……無理に呼び止められるほど親しくはない。
 苦し紛れに、時間稼ぎのように言葉を絞り出す。

「わたしには、マスターがそんなに悪い人だとは思えません」
「あいつはべつに悪いやつじゃねえよ。だが、頭のおかしい善人ほど始末の悪いものはない。気をつけろ」

 ……『気をつけろ』。
 その言葉は、前にもどこかで聞いた気がする。

 西所という男は、どうやらわたしに、まじめに忠告をしたいらしい。すこししか話していないのに、彼の真摯さは痛いほど伝わる。見た目が怖いだけで、中身はまじめな人なのだろうか。それとも、なにか裏があるのか。
 いま、そのことで悩んでも詮ないので、わたしはとりあえずお礼を言った。

「ありがとうございます。西所さんと話せてよかった。まだ聞きたいことはたくさんあるけど……きょうのところは、これで」
「ああ。おれも会えてよかったと思うよ」

 彼はぶっきらぼうではあるが、とても優しいヒーローだ。そんな気がして、ほっと胸をなでおろす。
 しかし……マスターって、ほんとうに危険人物なんだろうか?
 やっぱり、『盛りすぎ』という言葉しか浮かんでこないのだけれど……。
 結局、疑問の重さに耐えきれず、もうひとつだけ質問をしてしまった。

「……そうまでして、どうしてマスターと仕事なんてしているんですか? そんなに嫌いなら、離れちゃえばいいのに」

 彼は、眉をひそめて、明らかに不快そうな顔をした。
 語りたくないことらしい。

「お子ちゃまには関係ないことだ。おれには、この町を守る理由がある。余儀はヒーロー稼業そのものが目的で、町なんかどうでもいいみたいだがな。おれは余儀がいないと『変身』できない。目的のために、仕方なく付き合ってんだよ」
「仕方なく……ですか」
「十年目……いや、もう十一年目か。腐れ縁ってやつだ」

 腐れ縁、というフレーズはそれこそ文字通りに陳腐に響いたが、彼らの関係性にはどうやらピッタリ来るようだった。西所はマスターのことがあまり好きではないような言動を見せるが、十年も一緒にいれば、情くらいは芽生える。そういうことなのだろうか……。

「おれは先に帰る。会計はしておいてやるから、ゆっくり食え。じゃあな」

 と言って、西所は今度こそ、さっさと帰ってしまった。
 背の高い後ろ姿が、妙にハードボイルドに見えたのは、彼の背負うものを垣間見てしまったからだろうか。

「あの人があんなに饒舌になってるの、初めて見たよ。あきらちゃん、親しいのか?」

 様子を遠くから見ていた店主が、わたしにそう話しかけてきた。

「いえ……ほぼ初対面です。西所さん、よくお店に来るんですか?」
「常連さんだね。最近、見かけなかったけど。昔は余儀くんと一緒にステーキ食べに来てたもんさ」
「へえ……」

 彼らが十年前からバディをやっているというのは、どうやら事実のようだ。
 西所は、どうしてそんなにも長い間、気に食わない相手とふたりきりで仕事をしているんだろうか。
 そこまでして、トッテム・タウンを守りたい理由というのは、いったいなんなんだろう。彼はこの町の人間ではないはずなのに……。
 
 考えながらステーキの切れ端を口に運ぶと、思っていたよりも冷めていた。冷めていてもおいしいのがこの店のステーキの売りなので、味には問題ない。ただ、好物のステーキが冷めきるくらいに熱心に彼の話を聞いていた自分に、すこし驚いた。
20190105