dreamer
 傲慢なお姫様と、無口な王子様の物語。

 きらきら輝く宝石や、生クリームの乗ったメルヘンなお菓子の大好きなお姫様は、ある日、隣国の王子と出会い、彼の秘密を知る。それは彼にとって、命よりも大切な秘密だった。王子は姫の言うことを何でも聞くと誓い、身分を問わない下僕になった。陽気だった王子はすっかり性格が変わり、無口で無表情なつまらない男になってしまう。周囲は心配し、失望し、絶望した。やがてその国の王に選ばれたのは王子の弟。結果的に、王子という地位も意味をなくし、彼は本当にただの姫の従者になってしまった。
 しかし、姫は「そちらの方が好きだ」と言った。
 社交的で笑顔を絶やさない王子よりも。
 何も持たないただの男の方がいい、と。

 彼女は、何も考えていないお姫様に見えたが――実はすべてを見抜いていた。


+++


「そんなかんじで、超ときめくのよ。もう超少女漫画ってかんじっ」
「いいよね、あれ。最後はやっぱり駆け落ちかなあ」
「いや、婿養子かもしれないぞ。もしくは心中とか」
三人はやっぱり部室でぐだぐだと漫画の話をしている。岡崎早苗さんを除くオタク三人が集まると、必然的に漫画やゲームの話になる。今は、貝瀬が、自分の読んでいるマイナー少女漫画誌の漫画のあらすじを解説していたところだ。反応からして、青木はすでに読んでいたようだが。
「松浦、ちゃんと話聞いてた? お姫様は確かに世間知らずだけど、王子は後継ぎ争いでお兄さんを亡くしてるのよ? 命の大切さを知ってるの。どれだけ苦しくても、絶対心中オチなんてないない」
「でも、駆け落ちなんてありがちだし現実味がない」
「それがいいんじゃない。ねー青木!」
「まあね」
松浦はぷいとそっぽを向いてしまう。「勝手にしろ」とでも言いたげだ。
「松浦、機嫌直しなよ」
青木がなだめるが、逆効果だったらしい。
「もういい。今から買い物に行く。おまえらは二人で楽しくお姫様と王子様ごっこでもしていればいい。ぼくは二次元嫁と結婚するし、心中だってできる覚悟でいるんだからな!」
哀れな松浦は苦しい捨て台詞を残して出て行ってしまった。
「参ったな。ぼくはお姫様役をやればいいのかな」
真顔で馬鹿を言う青木には、ため息をつくことで返す。天然に突っ込みを入れるのは不毛。スルースキルが問われる瞬間である。
「……まったく、松浦は変に意固地なのよね。自分だけ蚊帳の外なのが嫌なのよ」
「ちょっと、いたずらしてみたらどうかな」
青木はカレンダーを指差した。今日は三月最後の日。つまり明日は――
「いいかも。青木、あんたはオンサ最強の策士よ」


+++


 今、ぼくはたぶん、真っ青になっている。
 部室がおかしいのだ。
 漫画やゲームが散乱し、美少女ゲームやBLアニメのポスターが壁紙代わりに貼られた音楽研究サークルの部室。足の踏み場がないほどいろんなものが置いてあった、カオス地帯。
 だが――
「部屋を間違えたのか……?」
 壁に貼ってあるのは人気俳優のポスター。被写体はどう見ても三次元。
 本棚に並んでいるのは授業で使う専門書と、メジャーなファッション雑誌。やっぱり三次元。
 同人誌もプレイステーションもない。箱○もない。おまけに掃除が行き届いている。こんな『オンサ』は、ありえない。
「部屋を間違えたんだ」
もう一度同じことを繰り返して部屋を出ようとした。が、ドアから見慣れた人物が入ってきたので出られなかった。
「やあ、松浦君。先に来てたの?」
茶髪のイケメンだ。どう見てもオタクじゃない。自分の名前を呼ばれたような気がしたが、リア充に知り合いはいない。同じ名前の、違う人を呼んだのだろう。
 やっぱり部屋を間違えたのだ……と暗示をかけようとしたが、茶髪のイケメンの正体は言うまでもなく青木だった。
「なあ、青木。なんでこの部屋はこんなことになってるんだよ。ぼくの私物がないぜ」
「松浦の私物ならそこにあるじゃないか。メンズノンノとニンテンドーDS(ソフトは脳トレ)だろ?」
だろ?と自信満々に言いきった青木だが、ぼくは生まれてから今までにメンズノンノを買ったことは一度もないし、脳トレソフトなんてやったこともない。
「ふざけてないで説明しろ。なんでこんなことになった。教授のお叱りでも受けたのか? それともカイセの嫌がらせなのか? とりあえずぼくの大事なDVDとゲームだけは返してもらわないと困る」
「何を言ってるんだ。この部屋にそんなものないよ」
青木は怪訝そうに眉をひそめた。
「いや、あっただろう。数えきれないほどのゲームソフトとアニメ・特撮系DVD一式が。他にも、カイセが同人誌作るときの資料とかトーンくずとか、おまえの買ってきた珍妙な同人誌とか、いろいろあったじゃないか。ここだけの話、BLCDを発掘したこともある。カイセのだったら気まずいから黙ってたけど。ていうか、カイセのじゃなかったとしてもけっこう気まずいから黙ってるしかないけど!」
沈黙が流れた。
「……とくさつ? どーじんし? とーんくず? びーえるしーでぃー??って、何だ。魔法の呪文か何かかな。最後の二つはお笑い芸人のコンビ名とか?」
「お前は何を言っているんだ」
何だこれは。まったく会話が通じない。まるでムーンサイドに飛ばされたみたいだ。
「青木、おまえさては一人だけ脱オタして見た目通りのパンピーになるつもりか。おまえの外見でリアルに充実してしまったら超没個性だぜ。今より確実にモテるだろうけど、おまえがしたいのはそんなことじゃないだろう。何より、今更一人だけ裏切りなんてひどいじゃないか。ぼくら三人は桃園の誓いを立てた仲だろう。一緒にオンサで頑張ろうって言ったじゃないか。おまえがいなくなったら、ぼくはカイセと二人っきりでやらないといけないんだぞ。嬉しいけど確実に地獄だ。それにボーカルがいない。この間買ったボーカロイドでもいいけど、やっぱり肉声で録音した方が楽しいし」
ぼくは慌てるあまり訳のわからないことを言っていた。こんなに必死で説得を試みているというのに、肝心の青木は首をかしげるばかりで何も言わない。
 そんな中、女の子が部室に入って来た。ふんわりしたお嬢様ファッション。ミニスカートから伸びる細い脚。ニーハイ。女の子らしいデザインのTシャツ。どう考えてもオンサのメンバーじゃない。
 この人も部屋を間違えたらしいな。
 と思いつつ顔をよく見ると、なんだかどこかで見たような……
「って、カイセ!?」
「何。松浦君、なんか顔色悪くない?」
忘れるはずもない顔。それは貝瀬理恵その人だった。しかし普段の貝瀬は男と見まがうかのようなテキトーボーイッシュファッション。スカートをはいたことはないはずだ。化粧をしたこともないはず。化粧なんてめんどくさいし、する必要ないし、と常に言っていた。
「イメージチェンジか……? どうしたんだ、スカートなんかはいて」
「何言ってんのぉ? セクハラ? 超絶うざいんですけどぉ」
「なんか喋り方が違うぞ……!?」
語尾の伸ばし方がギャルっぽい。どうしてしまったんだ、カイセ。昨日は普通に毒を吐いていたはずだ。まあ、今日も毒々しいことには変わりがないのだが……なんだか別人みたいだ。
「ちょっと理恵さん、聞いてくれよ。松浦君、なんかさっきから変なことばっかり言うんだ」
青木が困った調子で貝瀬に話しかけている。下の名前で。
 …………え、下の名前で!?
「なんで理恵さんとか呼んでるんだよ!?」
「はぁ? 今までもそう呼んでたでしょ」
「そうだよ、松浦君。理恵さんに失礼だよ」
早くも昨日と同じ、2対1の構図が固まっている。構図だけは一緒だが、状況は全然違う。異常事態だ。
「なあ、なんでおまえらはそんなに変わっちゃったんだよ。昨日、ぼくが帰ってから何が起きたんだ。頼むから、部室を元に戻すか事情を説明するか、どっちかにしてくれよ。ぼくが悪いことをしたなら謝る。あの漫画のオチが駆け落ちになってもいい。気にしないから、お願いだ」
言っていて空しくなる。なんでぼくはこんなにしおしおとしているのだろう。
「そんなこと言われてもぉ、困るって言うかぁ」
貝瀬は相変わらずのギャル口調。
「うーん、松浦君は何か悪いものでも食べたのかなあ」
青木はそこそこいつもどおりなのだが、なんだかおかしい。
 そのとき、ぼくははっとした。
 ムーンサイド。
 隔離された異世界。
 もしかしたら、ここは異世界、パラレルワールドなんじゃないだろうか。
 だって、オンサがオタクサークルだった形跡がない。部室も部員も、オタクの香りが全然ない。
 今までぼくは、青木と貝瀬がぼくを騙しているんだと思っていたが――これがこの世界の正しい二人の姿で、ぼくの方が異端分子だったとしたら。
 ここは『音楽研究サークルがオタクで構成されていない世界』なんじゃないだろうか。
「なあ、カイセ。おまえの一番好きなものは何だ」
と、ぼくは震える声で尋ねる。
「ケーキかなあ。あと化粧とか」
「その次に好きなのは?」
「お買いもの」
「どこで買い物するんだ」
「洋服屋さんかなー。あとアクセ」
「好きなブランドは?」
「アナスイとかー、コーチとかー」
「好きな本は?」
「本とか読まないなあ。あ、恋空は面白かったよ」
………………恋空。
 ああ、ここはやっぱり異世界。
 ぼくが昨日までいた世界と並行して存在するパラレルワールドだ。
 決定だ。絶対決定だよ。
「松浦君、なんか泣きそうな顔してるけど大丈夫?」
青木の問いは無視して、ぼくは部室を飛び出して全力疾走。
 ――この世界はぼくが今日まで生きてきた世界じゃないんだ。
 どうにかして、帰らなければならない。
「こんちくしょおおおおおおおおっ!!」
 ぼくがこれまでの人生を生きてきた、元の世界へ。


+++


「……あの、今、松浦先輩がものすごい形相で泣きながら走っていきましたけど……」
部室に入ってきた岡崎早苗はそう指摘しつつ、
「何かあったんですか?」
と質問する。
「なんていうか……」
「やりすぎちゃった」
貝瀬と青木は苦笑いしている。
「何か、あったんですか?」
何も知らない岡崎の問いに、貝瀬がこう答えた。
「……今日、何の日かわかるかな、岡崎さん」
それだけですべてを察したらしく、岡崎も釣られるように苦笑した。
「……松浦先輩にはちゃんと謝った方がいいと思いますよ? ちょっとだけ、気の毒です」


+++


 ……松浦は屋上で体育座りしていた。貝瀬と青木は、まるでダンゴムシのようだ、と思ったが口には出さないでおいた。
「松浦、大丈夫? もう全部元通りだから、安心して部室においで」
「DVDもゲームもポスターも、ちゃんとあるよ。だから、元気出して」
背後から二人で声をかけてみたのだが、
「カイセがぼくに優しい言葉をかけている……やっぱりここは異世界……」
とぶつぶつ言うだけで応答がない。
「松浦、そこまで落ち込むなんて思わなかったの。まじでごめん」
「ちょっとやりすぎたと思うよ。ぼくも謝る。ごめん」
「カイセがぼくに謝っている……やっぱりここは……パラレルワールド……」
応答なし。どうやら、思ったより根が深いらしい。
「だから異世界じゃないって。ここはあんたがオタクやってた世界なの!わたしたちもオタクで、岡崎さんは普通の人!」
松浦はようやく顔を上げた。
「……本当に?」
「ああもう、めんどくさいなあ。本当よ。全部四月馬鹿のイベントだったの。松浦を一発騙してやろうと思って二人でセッティングしたの。部室の中身はちゃんと他の部屋に移してあるし、わたしが着てる服は岡崎さんに借りました! ほら、泣いてないでさっさと帰る!」
松浦は面食らったように目を見開いて、二人を交互に見た。とりあえず頷いてやると、
「よかった」
と言った。心底安堵したように、もう一度同じ言葉を繰り返した松浦に、貝瀬はこう言ってやった。
「ハッピーエイプリルフール、松浦」
「……全然ハッピーじゃねえ……」
と突っ込みを入れつつ、松浦は呆れたようににっこり笑った。


+++


 王子は異世界人だった。
 誰にも理解されることのない本当の自分を押し殺して、人間のふりをして過ごしていた。
 全部がかりそめで、嘘だった。笑顔も、言葉も、全部。
 そんな本当の彼を見抜いたのは、姫、ただ一人。
 姫は彼に、偽りの笑顔と、偽りの身分を捨てさせるために、本当の彼の心の扉を開く。
 やがて王子は彼女のために、すべてを捨てる。
 真実の自分を残して、すべてを失った彼は、姫の従者として過ごした。
 姫はある日、暗殺者の凶弾に倒れ、二人は魂を分かたれてしまう。
 彼は最期まで、無言で無表情で、感情を表に出さなかった。
 その態度を姫に対する不敬だとみなされ、処刑されてしまうまで、ずっと彼はそのままだった。
 彼女が認めてくれた本当の自分を、捨てなかった。

 しかし、「死後の世界」は王子がかつていた世界だった。
 こちら側を表だとするなら、そちら側は裏側。彼は元の世界に帰っただけだった。
 死んだ者は皆、そちら側の世界に行く。そしてまた死に、表の世界に帰る。生は永遠で、死も永遠だった。輪廻は巡りつづけ、二人は出会いつづける。いつまでもいつまでも、出会っては別れて、また巡り合って幸せを得る。

 姫は裏側の世界で幸せに過ごしていた。ケーキを食べ、宝石を愛でながら、ただ自分に忠実な従者を待ちつづけていた。その間、彼女はずっと笑わなかったという。
 彼は駆け寄って、彼女を抱き寄せる。
 彼女は「待ちくたびれたじゃない」と言って笑う。
 ここでは彼女が異世界人だ。だがそんなのは些細なこと。
 また片方が死んで別れるまで――もう、離れないでいようと彼は誓う。
 いや、死などないのかもしれない。あるのは表と裏を行き来するだけの、輪廻。

「いつまでだって待ち続けられる。だって、あなたはいなくなったりしないって、知ってたから」
 誓ったでしょう?
 ずっとずっとわたしに仕えてくれるって。
 命をかけて愛してくれるって――
姫がいたずらっぽく言ったセリフに、彼はこう返答する。
「当然です。わたしはあなたに従うと、決めましたから」

 くるくると同じ事象が回りつづける物語。表と裏を往復するだけの魂。
 螺旋のようにめぐる運命の行く先は――嘘のない二人の世界。
 本当の彼と本当の彼女が、本当の幸せにたどり着くまでの、物語。


090318

一日でネタをでっち上げて書き上げてみるという一種の縛りプレイにチャレンジしてみた。
オチてないというツッコミは全力で受け付けないっ!w
最近、松浦がかわいそうな子すぎるのでなんとかしてあげたい。