FINAL ACT.
※フランツ・カフカ「変身」のネタバレを含みます。未読の方は注意。
グレーゴル・ザムザは死んでいた。
哀れなる虫の最期の姿がそこにあった。
10分間以上、何の動きもセリフも音もない。
舞台の上も、舞台の外側も、観客も――すべてが停止したように思われた。
そこにいるのは生きた人間であるはずなのに、『それ』は虫にしか見えない。小道具も大道具も使われていない。外見は完全に人間だ。
だが本質は虫。まさに迫真の演技だ。社会から置き去りにされ、家族から捨てられ、部屋の中で朽ち果てていったザムザ。
彼が死ぬ直前にはこんなセリフが流れた。
「ザムザ。あなたは排除されていくのです。あなたの存在は恐怖をまき散らす毒です。あなたが朽ち果てれば、あの家族は解放され、幸福になる。あなたが死ねば、みんな幸せになれるのです」
澄んだ女性の声が、続ける。
「もう家族に愛されたザムザはどこにもいない。だが、あなたはある意味において『ザムザ』でもある。だからザムザではなくなったあなたをあえて『ザムザ』と呼称しましょう。ザムザ、あなたはもう生きていてはいけない。不安の種は排除されるべきなのです」
原作にはない言葉だろうと思った。おそらく、この脚本を書いた演劇部員の創作だ。
幸せに生きてきたザムザは、ある日巨大な虫になってしまう。家族から疎まれ、自分の部屋に押し込められ、腐った食べ物を与えられながら彼は死ぬ。
誰にも必要とされない虫。生きる価値のないザムザ。
ただ、死ぬことでしか他人を幸せにできない存在。
ふと、不安になる。
自分もザムザにならないという保証はないのだ。姿が虫になることはなくても、他人に疎まれるだけの、排斥されるだけの存在になることはあり得る。
「青木? もう劇は終わったぞ」
隣に座っていた松浦の声で我に帰った。
「あ、……ああ。ごめん。ちょっとぼうっとしてた」
「すごかったよねー。わたしもちょっと見入っちゃった」
貝瀬さんが言った。
「ぼくはアニメ見てる方が幸せだな」
松浦はあくまでマイペースだ。
「松浦らしいね」
とぼくは言い、
「馬鹿じゃないの? KYすぎ」
貝瀬さんは松浦の頭を一発殴った。
ぼくは無害に笑った。笑うだけなら誰よりも得意だ。
+++
帰りは公園に寄って、一人でブランコに乗った。他には誰もいない。鉄製の鎖はひどく冷たく、指を刺すようだ。少し前に岡崎早苗と一緒にブランコをこいだとき、世界はとても広くて美しいものに思えたのだが、今は世界には「自分」と「それ以外」しか存在しないような気がする。自分以外は、全部関係のない他人。自分が次の日に虫になってしまっても、頓着しないくらいに接触のない他人たち。
「青木」
背後から、声がした。振り返る。
「貝瀬、さん」
学校にいつも持ってきているカバンよりも一回り小さいカバンを持って、貝瀬理恵がほほ笑んでいた。なんだかひどく情けない所を見られてしまったな、とぼくは内心苦笑いした。
貝瀬さんはぼくの隣のブランコに座ったが、足は地面につけたままで、こぐことはしない。
「青木は、さっきの劇を見てどう思った?」
彼女はピンポイントで、ぼくの心の脆弱な部分を射抜いた。ぼくは震える声で、言葉を絞り出す。
「……怖いと思った。リアルだと思った。あれは、」
あれは自分だと思った。
その言葉を、ぎりぎりのところで呑み込んだ。それは言うべきじゃない。そんなことを言うのは彼女の中の「青木」ではない。
「わたしもそう思った。あれは怖い劇だって」
誰も何も言わず、何も起こらず、ただ死だけがその場を支配した10分間。
虫の死骸を演じる人間が、ぴくりとも動かない死骸として、そこに在った。
あのとき、ぼくの中に何かが生まれた。
たぶん、あれは恐怖だった。
「わたしはね、あの虫の正体は、きっと自分だと思うの」
はっとした。心を読まれたかと思った。だが違う。貝瀬さんは、本当に自分の気持ちを話していた。彼女はあの劇を見て、ぼくと同じものを心に抱いたのだ。
貝瀬理恵――彼女の心は、ぼくに似ている。そのことは、ずっと前から知っていた。
「家族に捨てられて、家族を捨てて、部屋で一人っきりになって、死ぬ。そんな自分のビジョンを、くっきりすぎるくらいにくっきりと明瞭に、見てしまった気がするの。あの10分間の間、わたしの心は虫に、ザムザに……なったんだと思う」
貝瀬さんはぼくの方ではなく、前を見ながら言った。
「わたしね、家族を見捨てたことがあるの。だから、誰かに捨てられても、しょうがないって気がする。それは全部報いだから、って」
何を答えたらいいのかわからなかったが、ぼくも彼女と同じだった。ぼくは他人を捨てようとしたことがある。大切な存在だった人を、ゴミのように投げ捨てようとしたことがある。そうする前にその人に捨てられてしまったけれど。その人は、最後にこう言った。
――『あなたは、優しすぎて気持ちが悪い』と。
その優しさの裏に、どんな汚いものが潜んでいたか、あの人は知らないのだ。ただ、覆い隠して見えなくして、カモフラージュしていただけなのに。
貝瀬さんはうつむいたまま、足を地面から離して少しブランコを揺らす。
「ザムザのように排斥される人は、実はたくさんいるんじゃないかって気がするの。誰からも必要とされない人間。その人が死んだら、みんなが喜ぶような、そんな」
「わかるよ」
ぼくは言った。
「ぼくも同じなんだ。貝瀬さんと、同じなんだよ」
「そっか、青木も――そうなんだね」
しみじみと吐き出されたその言葉は、少し寂しげだった。
唐突に、貝瀬さんは勢いをつけて立ち上がった。
「青木、あんたは悪くない。あんたはね、ちょっと他人とずれてて、感受性が豊かなだけ。すぐに感情が動いて、不器用なの」
「そう、かい」
違う、この人も勘違いしている。ぼくは感受性が豊かな人間じゃない。むしろ逆で、他人の痛みを理解することのできない鈍い人間なのだと――言いたかったが、やめた。
「だから、元気出して。あ、そろそろ帰らなきゃ。また明日、学校で会いましょう」
駆けだそうとする貝瀬さんを、ぼくはあわてて呼び止める。
「貝瀬さん、あの……ぼくは」
「ん?」
「ぼくは、貝瀬さんが虫になってしまっても、ちゃんとそばにいるから。きっと、松浦や岡崎さんも、そうだから――」
貝瀬さんは、にっこりと幸せそうに笑う。
「ありがとう。わたしも、同じだよ。ずっと一緒にいるよ。見捨てない」
彼女が、心を切り裂くようにして、内側に侵入してきた。避けられない。
「だって、わたしたちは運命共同体だもんねっ」
彼女のその言葉は、風に乗ってさらさらと舞い、空へと滲んで消えていった。
まるで物語のラストのように、彼女がぼくに背を向けて去っていく残像が焼きつく。忘れられないワンシーンになる。フレームの中に彼女と背景だけが収まり、一枚の写真になる。心の中のシャッターを切りながら思う。彼女の言葉は、ぼくを救済したような気がするな、と。
もちろん、救われたように見えるだけで、救われてなんかいないのだ。たとえば、ザムザが死んだ瞬間に、ザムザの家族たちの幸せな様子が克明に描写されていても、彼女たちの心にはやはり巨大な虫が巣食ったままで、救済なんて見かけ倒しにすぎないのと同じように。一度壊れてしまった絆は壊れたままだし、一度狂った心の歯車は、やはり狂ったまま時を刻んでいく。それは仕方ないことだ。物語がどんなに美しいラストシーンで終わっても、それは本当のラストではない。そのあとには人生が続いていく。物語の外側からは観測できない本当の物語が続いて、そしてひっそりと人生は終わる。必然的に、必定として、終わる。例外なく。
――ブランコをこぎつづけようか、それともやめにして帰ろうか。一瞬迷ったが、ぼくは後者を選んだ。地面に足をつけることはひどく久しぶりのことであるように思われた。地面から足を離していられる間は、重力から解放されるようでとても心地がいい。だからぼくはブランコというものが好きなのかもしれない。ふと、そんなことを考えた。
090321
グレーゴル・ザムザは死んでいた。
哀れなる虫の最期の姿がそこにあった。
10分間以上、何の動きもセリフも音もない。
舞台の上も、舞台の外側も、観客も――すべてが停止したように思われた。
そこにいるのは生きた人間であるはずなのに、『それ』は虫にしか見えない。小道具も大道具も使われていない。外見は完全に人間だ。
だが本質は虫。まさに迫真の演技だ。社会から置き去りにされ、家族から捨てられ、部屋の中で朽ち果てていったザムザ。
彼が死ぬ直前にはこんなセリフが流れた。
「ザムザ。あなたは排除されていくのです。あなたの存在は恐怖をまき散らす毒です。あなたが朽ち果てれば、あの家族は解放され、幸福になる。あなたが死ねば、みんな幸せになれるのです」
澄んだ女性の声が、続ける。
「もう家族に愛されたザムザはどこにもいない。だが、あなたはある意味において『ザムザ』でもある。だからザムザではなくなったあなたをあえて『ザムザ』と呼称しましょう。ザムザ、あなたはもう生きていてはいけない。不安の種は排除されるべきなのです」
原作にはない言葉だろうと思った。おそらく、この脚本を書いた演劇部員の創作だ。
幸せに生きてきたザムザは、ある日巨大な虫になってしまう。家族から疎まれ、自分の部屋に押し込められ、腐った食べ物を与えられながら彼は死ぬ。
誰にも必要とされない虫。生きる価値のないザムザ。
ただ、死ぬことでしか他人を幸せにできない存在。
ふと、不安になる。
自分もザムザにならないという保証はないのだ。姿が虫になることはなくても、他人に疎まれるだけの、排斥されるだけの存在になることはあり得る。
「青木? もう劇は終わったぞ」
隣に座っていた松浦の声で我に帰った。
「あ、……ああ。ごめん。ちょっとぼうっとしてた」
「すごかったよねー。わたしもちょっと見入っちゃった」
貝瀬さんが言った。
「ぼくはアニメ見てる方が幸せだな」
松浦はあくまでマイペースだ。
「松浦らしいね」
とぼくは言い、
「馬鹿じゃないの? KYすぎ」
貝瀬さんは松浦の頭を一発殴った。
ぼくは無害に笑った。笑うだけなら誰よりも得意だ。
+++
帰りは公園に寄って、一人でブランコに乗った。他には誰もいない。鉄製の鎖はひどく冷たく、指を刺すようだ。少し前に岡崎早苗と一緒にブランコをこいだとき、世界はとても広くて美しいものに思えたのだが、今は世界には「自分」と「それ以外」しか存在しないような気がする。自分以外は、全部関係のない他人。自分が次の日に虫になってしまっても、頓着しないくらいに接触のない他人たち。
「青木」
背後から、声がした。振り返る。
「貝瀬、さん」
学校にいつも持ってきているカバンよりも一回り小さいカバンを持って、貝瀬理恵がほほ笑んでいた。なんだかひどく情けない所を見られてしまったな、とぼくは内心苦笑いした。
貝瀬さんはぼくの隣のブランコに座ったが、足は地面につけたままで、こぐことはしない。
「青木は、さっきの劇を見てどう思った?」
彼女はピンポイントで、ぼくの心の脆弱な部分を射抜いた。ぼくは震える声で、言葉を絞り出す。
「……怖いと思った。リアルだと思った。あれは、」
あれは自分だと思った。
その言葉を、ぎりぎりのところで呑み込んだ。それは言うべきじゃない。そんなことを言うのは彼女の中の「青木」ではない。
「わたしもそう思った。あれは怖い劇だって」
誰も何も言わず、何も起こらず、ただ死だけがその場を支配した10分間。
虫の死骸を演じる人間が、ぴくりとも動かない死骸として、そこに在った。
あのとき、ぼくの中に何かが生まれた。
たぶん、あれは恐怖だった。
「わたしはね、あの虫の正体は、きっと自分だと思うの」
はっとした。心を読まれたかと思った。だが違う。貝瀬さんは、本当に自分の気持ちを話していた。彼女はあの劇を見て、ぼくと同じものを心に抱いたのだ。
貝瀬理恵――彼女の心は、ぼくに似ている。そのことは、ずっと前から知っていた。
「家族に捨てられて、家族を捨てて、部屋で一人っきりになって、死ぬ。そんな自分のビジョンを、くっきりすぎるくらいにくっきりと明瞭に、見てしまった気がするの。あの10分間の間、わたしの心は虫に、ザムザに……なったんだと思う」
貝瀬さんはぼくの方ではなく、前を見ながら言った。
「わたしね、家族を見捨てたことがあるの。だから、誰かに捨てられても、しょうがないって気がする。それは全部報いだから、って」
何を答えたらいいのかわからなかったが、ぼくも彼女と同じだった。ぼくは他人を捨てようとしたことがある。大切な存在だった人を、ゴミのように投げ捨てようとしたことがある。そうする前にその人に捨てられてしまったけれど。その人は、最後にこう言った。
――『あなたは、優しすぎて気持ちが悪い』と。
その優しさの裏に、どんな汚いものが潜んでいたか、あの人は知らないのだ。ただ、覆い隠して見えなくして、カモフラージュしていただけなのに。
貝瀬さんはうつむいたまま、足を地面から離して少しブランコを揺らす。
「ザムザのように排斥される人は、実はたくさんいるんじゃないかって気がするの。誰からも必要とされない人間。その人が死んだら、みんなが喜ぶような、そんな」
「わかるよ」
ぼくは言った。
「ぼくも同じなんだ。貝瀬さんと、同じなんだよ」
「そっか、青木も――そうなんだね」
しみじみと吐き出されたその言葉は、少し寂しげだった。
唐突に、貝瀬さんは勢いをつけて立ち上がった。
「青木、あんたは悪くない。あんたはね、ちょっと他人とずれてて、感受性が豊かなだけ。すぐに感情が動いて、不器用なの」
「そう、かい」
違う、この人も勘違いしている。ぼくは感受性が豊かな人間じゃない。むしろ逆で、他人の痛みを理解することのできない鈍い人間なのだと――言いたかったが、やめた。
「だから、元気出して。あ、そろそろ帰らなきゃ。また明日、学校で会いましょう」
駆けだそうとする貝瀬さんを、ぼくはあわてて呼び止める。
「貝瀬さん、あの……ぼくは」
「ん?」
「ぼくは、貝瀬さんが虫になってしまっても、ちゃんとそばにいるから。きっと、松浦や岡崎さんも、そうだから――」
貝瀬さんは、にっこりと幸せそうに笑う。
「ありがとう。わたしも、同じだよ。ずっと一緒にいるよ。見捨てない」
彼女が、心を切り裂くようにして、内側に侵入してきた。避けられない。
「だって、わたしたちは運命共同体だもんねっ」
彼女のその言葉は、風に乗ってさらさらと舞い、空へと滲んで消えていった。
まるで物語のラストのように、彼女がぼくに背を向けて去っていく残像が焼きつく。忘れられないワンシーンになる。フレームの中に彼女と背景だけが収まり、一枚の写真になる。心の中のシャッターを切りながら思う。彼女の言葉は、ぼくを救済したような気がするな、と。
もちろん、救われたように見えるだけで、救われてなんかいないのだ。たとえば、ザムザが死んだ瞬間に、ザムザの家族たちの幸せな様子が克明に描写されていても、彼女たちの心にはやはり巨大な虫が巣食ったままで、救済なんて見かけ倒しにすぎないのと同じように。一度壊れてしまった絆は壊れたままだし、一度狂った心の歯車は、やはり狂ったまま時を刻んでいく。それは仕方ないことだ。物語がどんなに美しいラストシーンで終わっても、それは本当のラストではない。そのあとには人生が続いていく。物語の外側からは観測できない本当の物語が続いて、そしてひっそりと人生は終わる。必然的に、必定として、終わる。例外なく。
――ブランコをこぎつづけようか、それともやめにして帰ろうか。一瞬迷ったが、ぼくは後者を選んだ。地面に足をつけることはひどく久しぶりのことであるように思われた。地面から足を離していられる間は、重力から解放されるようでとても心地がいい。だからぼくはブランコというものが好きなのかもしれない。ふと、そんなことを考えた。
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