wizard
「まつうらー」
パイプ椅子を軋ませて体を大きく伸ばしつつ、貝瀬がぼくに話しかけてくる。
「なんだよ」
「おすすめのギャルゲ教えて。男多めのやつ」
「……嫌だ」
ぼくは即答する。
「えー、なんで。この間は教えてくれたじゃん」
「あのときのぼくはどうかしてたんだ。おまえにあんなことを教えてはいけなかった。今は後悔している」
数週間前、同じことを聞かれたぼくはおすすめのソフトを教えて、あまつさえ彼女に貸してやった。貝瀬はわりと楽しんでくれたらしく、「全ルート攻略したよ、ありがとう」などという嬉しいメールが送られてきて、ぼくは自分がオタクでよかったと心底思いつつ、ガッツポーズをとった。ぼくという存在が貝瀬の役に立ったのは、たぶんそれが初めてだった。
 ……が、話はそれで終わりではなかった。それからしばらくたった日、部室で貝瀬がせっせと描いていたのは、ぼくが貸したギャルゲーソフトの男主人公とその友人(男)がいちゃいちゃしている同人誌の原稿だった……
 という悲劇を受けて、もうこの女に何かを勧めるのはやめようとぼくは固く誓ったのだった。恩を仇で返されたとまでは言わないが、ぼく的にはプチトラウマになるくらいのレベルでショックだった。
「じゃあ青木に何か貸してもらうからいい。松浦なんかもう知らないんだからねっ」
「ツンデレっぽく言ってもダメだ。絶対貸さないぞ」
「けちー」
漫画のように唇を尖らせる貝瀬は、拗ねた口調で続ける。
「うーん、青木に勧めてもらってもいいんだけど、青木はギャルゲ持ってないのよね……」
今更のように注釈しておくが、青木は腐男子である。たしなんでいるゲームの守備範囲は、おそらくぼくとは重なっていないだろう。
「なんでギャルゲーにこだわるんだよ……男キャラが見たいなら乙女ゲーとかあるだろ」
ぼくはとりあえず訊いてみる。
「乙女ゲとBLゲの男は普通に落とせるし恋愛対象でしょう? ギャルゲのどうしても落とせない男キャラの方が萌えなの。最近は男キャラルートのあるギャルゲも多いけど、やっぱり絶対に落とせないキャラの方がだんぜんいいと思うわけ」
「あ、そうですか……」
腐女子の思考は難解すぎてついていけない。恋愛シミュレーションなのに、恋愛をせずして何をするのだろうか。ぼくなら、落としたいキャラが攻略対象外だったらイライラすると思うのだが。
「まあいわゆる高嶺の花、みたいな。手が届かないからこそ手を伸ばしてみたくなるのよ。ていうかぶっちゃけ、公式でイチャイチャされるより妄想の余地があった方がいいし」
「わかった、わかったから、もうその話はやめてくれ」
認識の違いがうすら寒く感じられてきたので、ぼくは話を打ち切った。ギャルゲーの主人公に仲のいい同性の友人がいるという設定はもはやテンプレというかお約束であるが、それをこんな風に変換して見る人間がいるとは知らなかった。世界は広い。
 話をぶった切って終わらせてはみたものの、他に話題を見つけられず、二人ともしばらく黙っていた。そこへ、ちょうどいいタイミングで青木がやって来たので、ぼくは少し安堵した。
「やあ、今日は二人だけ?」
「そうだ、二人だけだ」
お邪魔だったかな?とかそういう余計なことを言われるかと思ったが、青木はそんなことは絶対言わない。空気が読めるんだが読めないんだか、よくわからない男だ。
「青木青木! なんかゲーム貸して!!」
と、さっそく貝瀬は青木に視線を向けた。ぼくをターゲットにするのはもう諦めたらしい。このへんの切り替えの早さがこいつの長所である。
「いいよ。今はこれくらいしか持ってないけど」
言いながら、鞄の中からゴロゴロと五本ほどゲームを出す青木。特に打ち合わせしているわけではないだろうに、どうしてそんなものを持ち歩いているのか……というツッコミは無用だ。青木にツッコミを入れるのは不毛。これは音楽研究サークルの鉄則である。
「じゃあ、これとこれ借りていくね! ありがとう青木!」
貝瀬も、あえて突っ込まずにゲームをかっさらっている。ゲームを自分の鞄におさめた貝瀬は、満足げにニコニコしながら話題を変えた。
「ところで、今度みんなでイベント行かない? 岡崎さんは誘うかどうか考え中だけど、青木と松浦はどうかな」
イベントというのは言うまでもなく、同人誌即売会の通称だ。入場するだけでお金がいるのが原則なので、オタクでない岡崎は誘わない方がよさそうに思える。
「ぼくはいいよ。一人で行く予定だったけど、みんなで行った方が楽しいだろうし」
青木は笑顔で即答した。ぼくも同じように即答したかったのだが、ちょっとだけ迷う。青木と貝瀬は同じようなジャンルを巡回して、ぼくは貝瀬の分まで大手サークルの本を買わされる……というような悪夢を想像したからだ。貝瀬は腐女子だが、メジャーな男性向けの本も買う。青木は女性向けの本しか買わず、ぼくはもちろん男性向けしか買わない。そして、貝瀬の本命は青木と同じ女性向けだろう。やはり、ぼくだけ別行動になってしまいそうな予感がする。
 でも、言い換えると、これは貝瀬と一緒に学校の外で買い物ができるってことか……とぼくは急いで思考を巡らせる。案外、悪くないかもしれない。電車の中でいろいろ話したりとか、一緒に会場まで並んだりとか、フランクフルト食べたりとか。まあ、青木もいるけど。
「……ぼくも構わない」
いろんなものを脳内天秤にかけた末に、ぼくはそう返事をした。
「よし、じゃあ当日は駅で八時に待ち合わせね!」
貝瀬はうれしそうに張り切っている。なんだかぼくまでテンションが上がってきたような気がする。青木はいつもどおり、ただ微笑んでいるだけだ。
「当日までにパンフにしるしつけしなきゃね……あー、超楽しみっ!」
好きな女の子が楽しそうにうきうきしているさまというのは、眺めていて悪くないものだ。たとえ、その脳内がギャルゲー主人公とその友人との禁断の恋で埋まっていたとしても……って、もういい加減この話はやめた方が無難なのだろうが、ぼくの思考回路からどうしても消えてくれないトラウマだから仕方ない。もしも記憶を選んで消去できる技術が確立されたら、まずこの記憶を消してやりたい……と言っても過言ではないくらいの心の傷である。
 どうにかして彼女を理解してやりたい、というか理解しないと前に進めないのだが、その課題はあまりに難しい。恋愛に裏技やショートカットは存在しないとわかっていつつも、せめて腐女子の生態というものを理解するための裏技は誰かに教授してほしいものだな、と切に思うぼくなのだった。

090405
オンサがみんなでイベントに行く話が書きたいな…と思ったけど今はイベントの季節じゃない…ってことでとりあえず前日談。