真剣

「キャラクターの原案から決めましょう。長い黒髪につり目。そしてキャラクターボイス緑川光、これで決定ね」
「うん、どこから突っ込んだらいいかよくわからないが、まず素人が自力で作るゲームなのに緑川光を雇えるはずがない、という点から突っ込みを入れさせてもらおうか」

 真顔でふざけたことを言う貝瀬には一度鉄拳制裁を食らわせてみたいものだ、ということはいったん置いておいて――サークル全員でゲームを作る、らしいのである。こういうことは言いだした人間がやり始めなければ、実現せずに立ち消えてしまうことが多いものだ。
 発端は、音楽研究サークルで、簡単なPCゲームを製作することによってその関連CDを売ろうという無茶な案だった。もちろん音楽研究サークルらしく、メインはBGMとテーマ曲の作成である。もともと面倒くさがり、かつ気まぐれな貝瀬がサークルの飲み会で言いだしたことなので、このゲームプロジェクトを誰も本気だと認識していなかった。そもそも記憶している人間すらいなかったかもしれない。
 しかし、なぜだかもう企画段階に入っているらしい。こう書くと貝瀬がまたわがままを言っているのだろうと思う向きも多いだろうが、今回に限っては違う。この件に関して一番ノリノリなのは、一番ゲームに縁がないはずの非オタク、岡崎早苗なのだ。
「プログラミングとか楽しそうですよね。わたし、ちょっとネットで勉強してきちゃいました。頑張って作りましょう!」
普段ネットやゲームをしない人間が、初めてそれに触れたときの熱意というものはすごい。岡崎があまりにノリノリすぎて、貝瀬も青木もぼくも完全に断るタイミングを逃してしまった。ゲームを作るときに一番面倒なプログラミングの作業をこうもやすやすと請け負ってしまわれると、断りづらいというのもある。
 そういうわけで、一番逆らいにくい女を本気にさせてしまったことにより、ぼくらは急きょゲーム作りを開始せざるを得なくなった。そして話は最初の馬鹿な会話に戻る。キャラクターボイス緑川光、は譲れない条件だったらしく、貝瀬はぶーたれた表情になった。仕方がないのでぼくはこう言う。
「だいたいそんな具体的すぎるキャラクターのビジョンを最初に決めちゃったら、あとがやりづらいだろ!? まだゲームジャンルすら決まってないのに」
「じゃあ、そこから決めればいいでしょう、どうぞご勝手に」
「急にやる気なくしやがった、この女……」
くだらない情熱(主に萌え)に関しては超一流、興味のないことにはノータッチ。それが貝瀬理恵である。まあ、それはぼくや青木に関しても似たようなものなのだが。自分が興味のあることなら浴びるほどの好奇心と熱意を発揮しまくるのはオタクの特性と言える。
「仕方がないのでゲームジャンルから決めますう!」
明らかに怒った口調で貝瀬が司会を始める。黒マジックを持ってホワイトボード前に立っているぼくは、必然的に書記を務めることになる。しかし貝瀬は開口一番、
「よし、乙女ゲとBLゲの二択でいいわね!」
「全速力でよくねえよ!」
……今日もぼくは突っ込みで忙しい。忙しすぎる。
 文化祭で売るためのゲームなのに、そんな女性しか買わない極端なジャンルにしてどーする。いや、ぼくも恋愛シミュレーションにしたらどうか、とかちょっとだけ思ってはいたので、人のこと言えないけど。
 貝瀬はいつのまにか持っていた、先端にデフォルメされた人の指っぽいものがついた棒でぼくを指した。
「松浦、わがまま言うな」
「わがまま言ってるのはどっちだよ! そんなニッチなジャンルでゲームが売れると思ったら大間違いだぞ」
「とりあえず、男女両方が気軽に買えるジャンルにした方がいいんじゃないかな」
と、青木が横から助け船を出した。岡崎も加勢するように、
「あ、わたし、いろいろ見たんですけど、素人にプログラムが組める範囲ってそんなに広くないと思います。かぎられた時間で作るなら、アドベンチャーとかノベルとか、単純なものにした方がいいですよ。アクションとかシューティングはバグ取りが間に合わないと思うので」
「男女両方が買えて、ノベルかアドベンチャー。製作期間は文化祭まで」
ぼくは言われたことをひたすらホワイトボードに書きこんでいく。なかなかサークルらしい光景ではないか。こういうミーティングに憧れていたのだ、実は。ちょっとテンションが上がる。一度動き出した話し合いは、そのままなめらかに続いていく。
「主人公を男女選べるタイプにしたらどうかしら」
「それはバリエーション作るのが面倒じゃないかな。ここはシンプルに謎解きアドベンチャーとか」
「普通のノベルにした方がいいんじゃないか。シンプルな方が音楽をうまく演出しやすいし」
こういう話し合いをすると徐々に「できるだけ楽な方へ」と会話が進むのが世の常で、このときもわりとそうだった。最終的な結論は、選択肢はいくつかあるけれど基本的に一本道のマルチエンドサウンドノベル。挿入歌と主題歌を持ち歌から一曲ずつレコーディングして、他にも数曲、オフボーカルでBGMを録りおろすことに決まった。
 しかし問題の争点はそこではなく、プログラム以外の作業を誰がどう分担するか、であった。
 曲に関しては最初から全員で作ることが決まっていたが、他の作業をすべて全員でやるのは少々無理がある。背景画像と立ち絵・タイトルロゴの作成、ノベル本文の原稿を書く作業、最終的なバグ取り、テストプレイ。また、ゲームをCDに焼き、パッケージを作る作業、当日の宣伝用垂れ幕とポスター、おつりや袋の準備など雑用も山積み。作業によって当たり外れがかなり激しそうだ。特にノベル本文執筆は罰ゲーム並みに全員が嫌がっていると思われた。なにせ、シナリオはゲームの要である。シナリオで失敗したら、音楽なんて聞いてもらえない。
 まず、岡崎はプログラミング担当決定。さらに、まともにパソコンで絵が描ける人間は残念ながら同人屋の貝瀬しかいない。イラストやロゴ、ポスター作成をまとめて貝瀬に任せ、残った作業をぼくと青木で分担、雑用は手の余っている者で適当に協力する……ということになった。しかしぼくも青木も、小説を書いた経験はなかった。
「あの……シナリオは全員でリレーして書く、とかにしたらどうかな」
危機感を感じたぼくは控えめにそんな提案をしてみたのだが、
「そんなことしたら世界が崩壊するに決まってるでしょう。リレー形式で成功した事例なんて見たことないわ」
にべもなく拒否されてしまった。
「よし、じゃあ青木と松浦でジャンケンね。ジャーンケーン、負けても勝ってもうーらみーなしっ!」
貝瀬の唐突すぎる妙な掛け声のせいで、ぼくは一歩出遅れた。慌ててマジックを持ったままの手を前につきだしてしまう。結果として、青木はパーでぼくはグー。シナリオ担当がぼくに決まった悪夢の瞬間だった。
「ちょっと待ってくれ。今のはないだろ明らかに」
「負けても勝っても恨みなしって言ったでしょう」
ぼくが抗議しても、貝瀬はあくまで冷たい。
「その掛け声がおかしいんだよ! 普通『ジャンケンポン!』だろ!?」
「わたしが小学生の時はこの掛け声だったもん! 負けても勝っても恨まない前提にしとかないとみんながお互いに恨み合い憎み合い殺し合うから、憎しみの連鎖をこれ以上生みださないために……っていう世界平和を願う気遣いの垣間見える、いい掛け声でしょう」
「ぼくは今まさに、お前を恨んでいるわけだが」
 ていうかジャンケンで殺し合うことはないだろう、小学生なのに……
 しかし、貝瀬は自分には関係がないとわかっているせいか、この争いにはあまり興味がなさそうだ。
「恨むなら青木にしなさいよ。青木は恨まれても構わないって言ってます」
「勝手に青木の意見を決めるなよ!」
しかし、当の青木はにこにこしながら、
「いや、ぼくは恨まれてもいいよ」
などとすら言い出し、ぼくは完全に抗議の矛先を見失った。必然的に、シナリオを書く作業に身を投じなくてはならなくなってしまった。
 その日、ミーティングが終わって解散した時のぼくの絶望は闇よりも深かった。何せ、ぼくは作文というものが何よりも苦手、どちらかというと数式と遊んでいる方が好きなのだ。大学に入ってからも、作文レポートで及第点が取れたことは一回もない。そんなぼくが、ゲームのシナリオを期間内に書きあげなくてはいけない。しかも失敗したらゲームが大量に売れ残るという背水の陣。これで絶望せずにいられるわけがない。
 文化祭まで残り一か月を切っていた。
 その日から、カレンダーが悪魔に見えるようになった。


++++


 正直なところ、貝瀬理恵は反省していた。
 シナリオを書ける経験者がいない、だから残った二人の中からじゃんけんで決める。
 その結論の出し方は実はアンフェアだった。なぜなら、貝瀬は同人屋だから。小説もシナリオも書いたことはないが、漫画なら何度も描いたことがある。「物語」というものの構造や作り方は人並み以上に知っているはずだ。本当なら、自分がシナリオライターに立候補するべきだった。立ち絵とポスターとロゴだけを描くならば、そんなに時間はかからない。いざとなったらポスターに立ち絵とロゴを使いまわすことだってできる。貝瀬がシナリオを書けない理由はどこにもなかった。
 しかし、自分がシナリオを書くのではなんとなく、つまらないと思った。刺激がないし、立ち絵とシナリオを両方担当したら、完全に貝瀬個人の作品になってしまう。
 それに、松浦や青木や岡崎が、もしシナリオを書いたら――仲間の書く物語を読める。彼らの心の隙間を、少しだけこじ開けて中身を見られるかもしれない。それはなかなか魅惑的だった。
 仲間たちの作る物語を、読みたい。
 貝瀬はそう望み、結果として、松浦にシナリオ係を押し付けるような形になってしまった。
 それ以後の彼の落ち込み様ときたら普通じゃなかった。自分の行動が彼をこんなに落ち込ませてしまうなんて想定外。貝瀬は今猛省中だ。いくら図太くて鈍感な松浦でも、これだけ追い詰められたら気の毒だし、そういう状況へ追い込んだ貝瀬自身にも罪悪感が重くのしかかってくる。これではいけない。これでは、明るく朗らかなサークル活動ができないではないか。文化祭前だというのに、サークルの雰囲気が暗いというのはできれば避けたいものだ。
 どうすればこの状況を打開できるのか――貝瀬はしばらくそのことについて考え、そしてある結論を出した。


+++++


 二人っきりである。
 閉鎖された空間に二人きり。その現実を反芻してその意味を考え始めてもう十数分が経過しているというのに、ぼくの思考はいまだ麻痺したまま、何も考えられないし何も言えない。二人が偶然部室に居合わせたことならば何回かあったが、今回はそうではない。彼女の方から、二人で話がしたいから、とここに呼び出されたのだ。雑然とした部室は見慣れたもののはずなのに、どこか現実離れしたものに思えてきてならない。初めて来た場所のようにすら思える。
「ねえ、松浦」
目の前に座っている貝瀬理恵が唐突に言葉を紡いで、ぼくはぴくりと静止する。呼吸すら忘れてしまうほどの緊張を感じる。
「な、にかな」
かすれた声は彼女に届いたのか届かなかったのか、よくわからなかった。
「悪かったと思ってるの。だから、協力してあげる」
貝瀬はそう言った。
 ……悪かった? 協力? もっと現実離れした、むしろ妄想に近い会話を想定していたぼくには意味がわからなかったが、しばらく考えて、ゲームのシナリオの件だと思い至る。
 微妙に卑怯なジャンケンと、その結果ぼくに課せられたシナリオ執筆。あれを、この女は反省しているのだ。
「なんだ、そんなことか」
思わず口にして、しまった、と思う。貝瀬が謝るなんて、よっぽどのことなのに。このプライドだけは達者な女が、ぼくを部室に呼び出して自発的に謝るなんて珍しいことだ。こんな気のない反応を返したら、怒り出す可能性がある。やべえ。
「いや、ありがたい。ありがたいよカイセ。感謝感激雨嵐だ」
貝瀬が何か言う前に、慌てて付け加える。彼女は一瞬眉間にしわを寄せたが、「まあいいわ」と言った。
「今日から、一緒に考えてあげる。残り一カ月しかないから、頑張らないと間に合わない」
彼女は、抑揚のない口調で、しかしどこか力強く、ぼくにこう言った。
「――頑張りましょう。」


++++++


 夏休み中ほぼ毎日、部室を二人で貸し切ってのシナリオ執筆。
 これをデートだと捉えられるほどぼくは楽観的ではないのだが、嬉しいか嬉しくないかといえば間違いなく嬉しい。もしかしたら二人の距離が縮まるかもしれない。逆に仲が悪化する可能性もある、ということはこの際考えないことにした。
 用水路に浮いたラクトアイスの空容器がぷかぷかと流れてゆく。どこか涼しげな夏の風景と言いたいところだが、水はどろどろに濁った都会の廃水であるので、実際はあまりいい風景とは言いがたかった。そんな風景を眺めながら、初めての打ち合わせのため、ぼくは徒歩で大学へ向かっていた。
――二人きりで、喧嘩でも雑談でも一方的な会話でもなく、打ち合わせをする。
 それってどうすればいいのだろう。そういえば、貝瀬と二人できちんと会話したことなんてなかった。いつも喧嘩になるか、なあなあになって終わっていたような気がする。実はこの打ち合わせ、とんでもなくハードルの高いものなのではないだろうか……と、ぼくはこのときようやく気付いたのだ。
 しかし、打ち合わせは意外にスムーズに進んだ。貝瀬は〆切の直前に原稿を急いで描くタイプである。ゲームのシナリオも、〆切が近いせいか無駄な雑談は一切なく、事務的に進んでいった。もし、〆切までたっぷり猶予が残されていたら、きっと喧嘩や雑談ばかりで話が進まなかったことだろうし、どんな会話をすべきか迷いながら学校に通わなければならなかったと思う。作業を始めたのが〆切間近であったということが、結果的にプラスに作用したのだった。

「ここのヒロインの感情描写、もう少し厚くした方がいいんじゃない?」
「いや、ここはあえて謎めいた感じを演出して、こうしたんだ」
「確かに、そう言われてみればそうかも」
普段の罵詈雑言など嘘だったかのように、円滑に進んでいく会話。ぼくは毎日、家に帰ってからそれを反芻しては、神様に感謝した。まさか、こんな風に話せるときが来るなんて思わなかった。いつまでも、罵られたり罵ったり、そんな風だとばかり思っていた。彼女はぼくと、普通に話すこともできたのか。まるで、今まで言葉の通じなかった宇宙人の言っていることを唐突に理解できたときのように――視界が開けて、幸せが開けた。ゲームのシナリオの話題は、さながら翻訳こんにゃくのようだった。
「……おまえも、地球人だったんだな」
実に失礼だが、そんなことをつぶやきそうになる。それくらい、ぼくはナチュラルにハイだった。
 それに、今までは意識していなかったが、物語のシナリオを考えるという行為は予想外に楽しかった。その事実も、ぼくのナチュラルハイの要因となっているようだった。
 自分の思い通りになる世界。自分が作り出す世界。
 それはとても幼い、原始的な快感だった。幼稚園児たちがヒーローごっこをしているときに、隣で女子たちがままごと遊びをしている風景が浮かぶ。物語を考えるという行為は、子供の心を取り戻すことなのではないかと思った。人間を作り出し、自分の意のままに動かし、それを他の誰かが読む。ある意味では男子たちのヒーローごっこであるし、ある意味では女子たちのままごと遊びだ。役を割り振り、駒を動かし、それによって何かを得る。そんな楽しみを、ぼくは長いこと忘れていた。
「意外と、楽しそうでよかった」
数日が経過して、別れ際に彼女がそう言ったことを、なぜか鮮明に記憶している。薄暗い夕闇の中で、貝瀬の横顔がなぜかはっきりと見えた。それまで、きっと貝瀬は、ぼくが嫌々シナリオを書いているかもしれないと危惧していたのだろう。
 実際、やり始めるまでぼくは乗り気じゃなかった。でも始めてみれば、案外楽しかった。嫌がっている暇なんてないほど、ぼくの思考はシナリオに関することでいっぱいになっていた。
 だから、ぼくはこう答えた。
「うん、すごく楽しいよ。カイセが同人やってる理由、なんとなくわかった気がする」
その答えを聞いた貝瀬は、珍しく穏やかに笑った。
「そうでしょ。嫌なこともたくさんあるし、うまい人と比べられて凹むこともある。でも、一回始めたらやめられないの。漫画を描くって――物語を創るって、そういうもんなのよね」
 そのとき、ぼくは彼女の本質を垣間見たような錯覚に陥った。
 いつも固く閉ざしている心のドアを、彼女が一瞬だけ開けてくれた。そんな錯覚だ。
 それは錯覚だったけれど――心地よい感覚だった。もう少しだけ、この時間が続けばいいと思った。


+++++++


 だが、打ち合わせが半分ほど経過したあたりから、状況は激変した。少なくとも、この時間が続けばいい、なんて悠長なことを言ってはいられなくなった。
 致命的な読み間違いがあったのだと思う。日にちはもう二週間もないのに、シナリオはまだ三分の一ほどしか進んでいなかった。誰が悪いわけでもなく、ただぼくらの作業が予想よりも多少遅かった、というだけの話だ。
 ラストスパートと称して、少しだけ集合の時刻は早くなり、解散の時刻は日に日に遅くなっていく。ぼくは、純粋にシナリオを書くのを楽しんではいたものの、もし間に合わなかったらどうしよう、という不安が強くなるのを感じていた。それは貝瀬も同じだっただろう。祈るように、無言で別れる日が何日か続いた。
「明日から、部室に泊り込みで頑張るわよ。徹夜しなきゃ間に合わない」
残り日数が三日ほどになり、貝瀬はそう言い始めた。二人分の寝袋と、着替えの入った旅行用のバッグが部室の端に置かれ、最後の闘いが始まった。

 ――そんなめまぐるしい日々の終わりを、ぼくも貝瀬も記憶していない。
 おそらく、ただひたすらにパソコンと格闘していたのだ。そして、気付いたときにはぐっすりと眠っていた。
 信じられないことに、ぼくは貝瀬の肩にもたれたまま寝ていたらしい。これは、朝部室にやってきて、ぼくを起こした岡崎の証言である。貝瀬も眠り込んでいたこと、そして岡崎が貝瀬よりも先にぼくを起こしたことは僥倖だったに違いない。一つ間違えれば、かなりのバッドエンドを迎えたことだろう。
 ぼくが起こされてしばらくしてから、貝瀬が目を覚ました。
「……シナリオは!?」
起きてすぐ、貝瀬はそう言った。岡崎はそんな貝瀬に、笑いかけた。
「大丈夫、できてます。わたしもチェックしました。これからプログラムを組むところです。文化祭には間に合いそうですよ」
安心した貝瀬とぼくのため息が重なって、その瞬間、岡崎早苗が天使みたいに見えた。


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 文化祭は盛況だった。大々的にライブを行った軽音楽部にはかなわない程度の人気ではあったが、CDもゲームもそこそこ売れた。売れ残りが出なかったのは、どの程度売れるかをきっちり計算してくれた貝瀬の功績だろう。
 美男美女の売り子として注目を集めた青木と岡崎はもちろん、ポスターを描いた貝瀬も、シナリオを書いたぼくも、みんな幸せだった。その年以降も文化祭ではいろいろなことをしたが、全員が最も真剣に取り組み、いろんなことを乗り越えて楽しんだのは間違いなく、この年の文化祭だろう。
 また、これはぼくにとっても貴重な夏休みの経験となったのはいうまでもない。
 祭りを終えた貝瀬は魔法が解けたみたいに元に戻ってしまったわけだが、彼女と普通に言葉を交わすことができた夏休みを、ぼくは絶対に忘れないだろう。
 二人で一つの世界を創った、夢のような一か月。
 そのきらきら光る思い出を、ぼくは部室に置かれたゲームの完成パッケージとポスターを見るたびに思い返し、少しだけ満足感を得る。思い出の中のぼくは忙しそうに作業に没頭しているけれど、とても充実した顔をしている。
 もし叶うのなら、そんなぼくの隣にいる貝瀬の表情を見てみたいものだ。ぼくはシナリオを書くのに夢中で、彼女の顔なんて見る暇がなかった。
 そのときの貝瀬も、ぼくと同じように夢中で物語を紡いで、満足そうに笑っていればいいと――今は心から願っている。

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