抜け殻

 東坂あゆみが家に来るとほっとするのは事実なのだが、そんな自分に危機感を覚えていないと言ったら嘘になる。彼女は中学三年生。自分は、大人だ。子供に依存しているなんて、ちょっとみっともない。
 それに、彼女は松浦のことが好きなのだ。
 自分は、あゆみが妹や松浦を不幸にしないように、何かするべきなんじゃないのだろうか。
 しかし何を?
 自分にできることなんて、何もないのに。
 与えられてばっかりだ。みんな、いろんなものをくれる。
 碧梧が彼らに与えられるものなんて、一つもないのに。

「今日も、悩んでいるのね」
あゆみが言った。何を考えていても、彼女には簡単にばれてしまう。
直接教えられたわけではないが、なんとなく、あゆみには特殊な力があるのだとわかった。
「ああ」
「そんなことで悩んでも、無駄。わたしという存在は、あなたには変えられない」
「知ってる」
知っているから、自分は何もしないのだ。
「あなたは、なかなか幸せにはならないのね」
あゆみはそう言って、眉をひそめる。
「幸せには、ならないよ」
碧梧はそう言った。

 なんとなく、わかるのだ。自分が幸せになったら、たぶんもうあゆみはここには来ないだろう。
 彼女の目的は、碧梧を幸せにすること。
――そうすれば、松浦に好いてもらえるから?
 おそらく、そうだ。
 碧梧を陥れ、理恵を怒らせた罪を、あゆみは碧梧を救うことで帳消しにするつもりだ。そうやって、松浦の気を引くのが目的。
 自分は利用されているだけ。
 碧梧は、あゆみにとって、それだけの存在だ。
「そこまでわかっていて、どうしてわたしを追い出さないの?」
 そんなの、言わなくてもわかるだろうに。
 寂しいからに決まっている。
 あゆみ以外に誰もいないからに決まっている。
「ああ、あなたはやっぱり不幸な人ね」
「知ってる」
 そう、自分はどうやったって不幸だ。
 どんな運命をたどろうが、どんな回り道をしようが、不幸にしかならない。
 最初から決まっているのだ。全部全部。
 プログラムされた運命は、揺らがない。

 生まれたときからずっと、抜け殻で。
 これからだって、抜け殻の中に中身が戻ってくることはない。

「でも、抜け殻があるのなら、かつてどこかに中身はあったはずなのよ」
碧梧は何も言っていない。けれど、あゆみはそう言って笑った。彼女が自分の心を読みあげているのは、もはや揺るぎのない事実だ。
「あなたを幸せにするには、それを取り返さなくては駄目なのね」
「そんなものは、ない」
そう、そんなものはない。
生まれたときからずっと、自分はこうなのだから。
「心の中に答えがない人間は、厄介」
「それは、ぼくのこと?」
「ええ」
「答えは――心の外になら、あるのか?」
「あるわ。あなたの中身も、きっとね」
彼女がそう言うのなら、そうなのだろう。
 でも、自分が中身を取り戻したら、あゆみは消えてしまう。自分は、一人きりになってしまう。今更、妹には会えない。
「あなたを幸せにする。そんなの、簡単なことだと思っていたのに」
「たぶん、世界で一番難しいことだよ」
あゆみが嘆いた声に対して、碧梧は冷静にそう答えた。
 このままだと、彼女も抜け殻になってしまう。そんな気がした。もしかすると自分はそれを望んでいるのかもしれない。あゆみも、自分と同じになってしまえばいい。そして、自分と一緒にいればいい。彼女は言わなくてもすべて理解してくれるから、心地が良い。いつまでだって、ここにいればいいんだ。
「あなたは、勝手ね」
ああ、そうだね――と抜け殻の碧梧は言う。
あゆみは何も言わずに肩をすくめ、碧梧は何も言わずに笑った。



100316



幸せになることができない二人のジレンマ。
しかし、これはこれで幸せそうかも。