情け

今、彼女が空へむける機械は
誰にも愛されぬ彼の思い出
彼女だけが一人男を信じた
きっと 彼女だけには見えるのでしょう
――筋肉少女帯「機械」


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 幸福に変換しうる不幸の可能性というものを、考えていた。
 確証バイアス。
 見ようによって、物事は幸福にも不幸にもなる、という考え方をそんな風に呼ぶらしい。
 不幸すぎる片岡碧梧の人生も――見方を変えれば、幸せになるのだろうか。
 そんなことはない。
 不幸は、どうやったって不幸だ。
 あゆみはこう思う。
 幸福というものはありふれたもので、
 不幸というものはありふれないものだと。
 誰だって不幸と隣り合わせに生きている、などという一般論があるけれど、本当にそうなのだろうか?
 片岡碧梧と顔を突き合わせていると、世の中の人間はたいていみんな幸せで、碧梧は、まるで特別に選ばれたように不幸に見舞われているとしか思えない。
 みんな生きるのがつらくて、それでも生きているんだ。だから命は大切にしなくてはいけない――そんなのは押しつけだ。あゆみは昔からずっと思っている。それは命が大切だという常識的幻想にしがみつくための空論で、本当に不幸な人間の前では何の意味もない。生きても生きても転がり落ちて、生きても生きても不幸が襲いかかる、そんな人間に『生きろ』と言うことの残酷さを――お前たちは知っているのか。叫び出したい衝動にかられる。たとえば、何度勉強しても零点しか取れない人間に、勉強をしろということは理不尽ではないのであろうか。自分の人生において零点しか取れない片岡碧梧は――いったい、どうすればいいのだろうか。
 要するに、自分は同情してしまっているのだろう。
 碧梧は死にたいとは言わないけれど、彼が死にたいと言うのなら殺してやってもいいのではないかとすら、思ってしまう。それはつまり情がわいたということで、彼と慣れ合いすぎたが故の弊害だ。
 碧梧への接触は、あくまで、松浦かなめに好かれるための行動だった。
 こんなに慣れ合ってはいけなかった。
 けれどもう遅い。
 何もかも、遅い。
 もう、知ってしまった。
 碧梧の終わりのない不幸を。
 彼の心の底を。
 全部、見てしまった。
 だから――もう、戻れない。
 他人を不幸にすることを何とも思わないのが、かつての東坂あゆみのアイデンティティではあったが。
 しかし、これは例外だ。
 破壊するのではなく、修復しなくてはいけない存在。
 それが、あゆみにとっての碧梧だった。
 出会いを運命だと称してもかまわない。
 あゆみが碧梧へ抱くのは、恋愛ですらない、ただの憐れみだ。
 けれど、その憐れみが今のあゆみのすべてだ。
 救いだしてやりたいと、思ってしまった。
 一瞬でもそう思ったのなら、もう放ってはおけない。
 放っては、おかない。

 彼の不幸、彼の存在――その美しい輝きを知っているのはおそらく自分だけで、その点に関して、あゆみは圧倒的な幸福を感じている。
 彼の不幸に巻き込まれていく自己は、確かに不幸なのだろう。
 でも。
 今にも消えそうな彼の生の輝き。
 誰かを攻撃することのない碧梧。
 誰かを恨むことをしない碧梧。
 まるで、死んで輝かなくなることを前提とした蛍の光のように、彼は美しい。
 純粋で、生粋で、何よりも素朴な、そんな生命。

 だから――
 だから、おそらく、自分は不幸ではない。
 彼と一緒に不幸の底に落ちることは、不幸ではない。
 それは、矛盾に満ちた確証バイアス。
 彼と一緒だから、自分は幸福だ。
 この先何が起こっても、きっと、そこに片岡碧梧がいるのなら、自分は――幸せを見失うことなく、歩いていける。
 東坂あゆみは、そんな風に考えている。



101014