goodbye my shadow
これは、あの放火未遂事件の後で、真剣に「彼」と向きあおうとして、それからようやく思い出した記憶の話だ。
もうすっかり忘れていたけれど、本当は大切なことだった。
ぼくの一年に満たない高校生活の中にいた、ぼくによく似た、一人の少年。
その少年が、とあるささやかな不幸に見舞われたとき、ぼくにとっての「学校」は意味を脱色されてしまった。
何もしたくないと、初めて能動的に考えた。
そんな思い出を、これから語ろうと思う。
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「石鹸箱の裏には毒が塗られている――」
学ランを着た宮藤彰二はそう言って笑った。
その言葉は彼の異常性を端的に表していたが、その笑顔は快活だ。
「リチャード・チェイス」
同じく学ランのぼくは、淡々とその暗号の答えを返した。
これは一種の合言葉であり、ぼくと彼が似たような異常性を育んでいることを証明する儀式であった。
現在の言葉で平たく言ってしまうとしたら、「中二病」というものである。
ぼくらは、高校一年生であるにもかかわらず、18歳以上しか購入を許されない「完全自殺マニュアル」を所持しているような、「ささやかな反社会性」をもった者同士――似たもの友達なのだ。
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ぼくと宮藤は、クラスで隣の席に座っていた。それ以外に接点はほぼない。
たまにこうして合言葉を交わしたりするだけで、学校帰りにカラオケやマクドナルドに行くような「わかりやすい友達」ではない。
ぼくは、学校の同級生なんてのは、一時的に隣に存在する他人で、そのうち消えていく流れ星みたいなものだと思う。
そして、彼もそういう存在だったし、流星と呼ぶにふさわしい輝きを持っていた。
有名財閥の御曹司、ルックスも上々。クラスで塵芥のような空気として扱われているぼくに比べると、まさに月とスッポン。
しかしながら、彼は実はぼくと同類で、世界の破滅を夢見ているような、殺人鬼の名言に惹かれるような、そういう人間だった。
クラスの中ではだれも知らないようだが、彼の読んでいる本の中身を少しでも覗いてみれば、そのことはすぐにわかる。
都市伝説、怪奇現象、陰惨な連続殺人、殺人鬼の残した名言、戦時中に起きた凄まじい人体実験、エトセトラ、エトセトラ。
もちろん、ぼくの読んでいる本もそういうものばかりだったので、ぼくは彼を異常者として扱うようなことはしなかった。
だが、周囲が彼の性癖を知ったら、友達をやめてしまうのだろうか?
そんなことで失われてしまう友情なら、最初から友達になんてならなければいいのに。
……なんてことは、ほんとうの友達のいないぼくだから言えることだけれど。
ただ、殺人鬼の本を読んでいるから異常だなんて、そんな短絡的な思考回路はくだらない。
「中二病」な人間というのは、何の理由もなく、異常なことを知りたがったり、異常な自分に酔いたがったりするものだ。そこに、深刻な事情が付け入る隙なんてものはほぼないと思う。
たしかに、ぼくや宮藤の心がささくれているのは、このクソみたいな学校が勉強という戦争を押し付けてくるからだけれど、それと殺人鬼の本を読む行為はまた別の問題、別の嗜好じゃないか。きっとぼくらは、抑圧に背を押されはしたが、もともとこういう人間なのだ。そんな人間たちはいずれそうではない人間に変わっていく、それがよくある思春期の一側面だ。
そして、その性質が変わらなかったとしても、実際に罪を犯すかどうかなんて、その嗜好とは関係がないと、「中二病」のぼくは思う。
そんなの、考えなくったってわかるもんだ。しかし、考えてもわからない人間が、この世界には多くいるらしい。
そのことがわかったのは、高校一年生の夏――奇しくも、未来の世界で大学生になった宮藤が、ぼくらの大学に火をつけようとしたのと同じ季節。
六月のじめじめした夕暮れのことだ。
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クラスの連中は、宮藤とぼくの異常性に気づいていなかった。
勉強するのだけで忙しくてたまらない彼らは、宮藤は普通の優等生で、ぼくのことは普通の空気だと思っているに違いなかった。上辺しか見ない人たちにふさわしい、節穴のような目だ。
しかしながら、この学校には、勉強に追われていない人間もいくらかいた。勉強を諦めた生徒と、教師たちだ。
どこからどう漏れたのかわからないが、その日、ぼくと宮藤は放課後の空き教室に呼び出されることになった。
そこには仁王立ちした教師がいて、ぼくらの読んでいる本の内容に関して、「未成年が読むには不適切」だと述べた。その後につづいたのは、ぼくらの人格への罵倒である。犯罪者を見るような目で、ぼくらは見おろされていた。タバコを吸った生徒や、寄り道をした生徒に対する非難の目とは、性質がまったく違うと感じた。
確かに、その指摘は妥当なのかもしれない。少数ではあるが、ぼくらの愛読書にはR指定図書も含まれていたから、反論することはかなわなかった。
そして、仮に反論する余地があるとしても、ぼくらに反論する権利などなかった。
受験戦争という名の戦場をともに戦う兵士たちが生徒だとするならば、教師たちは兵士を統べる長官なのだ。
口答えなんて、する余地はない。
もう読まないように、学校にも持ってこないように。そして親にも連絡して注意喚起を促す。
教師の出した「命令」は、だいたいそんな内容だった。
親にまで連絡するということは、事実上の単純所持の禁止といっても言いすぎではない。
しかし、この程度でそういう本を捨てられるぼくらではなかった。
ぼくはそのとき、本を親に全て捨てられてしまったけれど、何食わぬ顔でまた買い戻した。それ以上、親や教師がぼくに干渉してくることはなく、ぼくはそのままのぼくでいられた。
一方、宮藤はそうはできなかったようだった。彼はぼくよりも裕福な家庭で、親に縛られながら育った。教師からの命令に関しても、家でひどいお叱りを食らったようで、彼の本棚に元のような本が並ぶことはなかった。ぼくはそんな彼に、カバーを掛けたぼくの愛読書を何度か貸してやった。
彼は微笑しながら本を受け取り、読みはじめたが、それを家に持ち帰ることは一度もなかった。彼が空き教室で本を読んでいる間、ぼくはただ、隣で彼を眺めていた。読み終わったら、そっと本を返される。宮藤はありがとうとぼくに言ったが、その声はすでに以前よりも冷め、感情を失っていた。
今思うと、彼は高校一年生の時点で、すでにうんざりしていたのだろう。
学校に対してではない。
教師にでもない。
もちろん親にでもない。
財閥の息子として、エリートとして生まれてきた自分自身に――そして、自身の心に宿るささやかな反社会的欲望に、だ。まっとうな人間として、世の中を引っ張っていかなければいけない宮藤彰二は、殺人鬼の言葉に酔ったりしてはいけなかった。親から与えられた「エリート」という属性と、自分自身の中にある「欲望」が噛み合わず、彼は必要以上に悩まされた。
ぼくのような平凡な人間は、どんな欲望を持っていようが、たいした苦悩は感じない。そのことはぼくのアイデンティティや環境となんら矛盾しないからだ。だが、宮藤のような人間には、もはやその欲望自体が重荷なのだろう。親からも教師からも、「どうしてこんなに育ちの良い子が、こんな本を読むようになってしまったのか」とうるさく言われているのだろうということは容易に想像がついた。
ぼくは、彼を気の毒だと思った。
それまでのぼくは、彼を尊敬していた。勉強ができて、ルックスもいい、家も金持ちで、性格だって悪くない――そして、ぼくの性癖の理解者でもある。そんな彼のことをすごいと思っていた。でも、いつしか、彼をかわいそうだと思うようになっていた。
ぼくは、一度も縛られたことなんてないのだ――親にも、教師にも。怒られこそすれ、自らのアイデンティティを塗り替えることを要求されたことなどない。ぼくは生きたいように生きられるのに、宮藤にはそれがかなわない。
とても悲しいことだと思った。
それ以来、宮藤とはほとんど話さなかった。たまに本を貸すくらいで、もうそれ以上の交流はない。以前のように合言葉で会話をすることもやめてしまい、高校一年の冬はいつのまにか終わっていた。
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その時点で、ぼくはもう学校というものに疑念を感じていた。春になる前に学校をやめたのも、おそらくはそのせいだろう。もちろん、ぼくが退学したのはあくまで、「なんとなく」という理由で、宮藤も親も教師も、その理由について詳しくは知らない。当時のぼく自身も、その理由を詳しく考えてはいなかったと思う。
まあ、今から考えると、なにもかもが「向いていなかった」のかもしれない。
ぼくは、何かを押し付ける人間のことが大嫌いだ。
友達も、親も、教師も、誰かの人生に口を出す資格などないのに、なぜか他人を矯正しようとする。
宮藤だけは、そういうことをしなかった。ぼくは、普通とは違う彼のことを気に入っていた。
しかし、「体制」はそんな宮藤をこそ、一番蝕んでいた。
親も、教師も、友達も……みんな宮藤の味方をしなかった。
彼の切実な気持ちや本心も、ぼくしか知らなかった。ぼくと宮藤は特別な親友などではないのに。彼を消えていく流星のように思う、そんなくだらないぼくしか、本来の彼を見ていなかった。
まったくもって馬鹿らしい。
他人を異常だと認定し、強引に矯正し、その先に何があるのか、ぼくは知らない。
ただ、自分はそうはなりたくないと思った。
宮藤がその後どんな生活を送ったのかは知らないが、ぼくの中の宮藤は、あの冷めた目で、自分を理解しない周囲を見据えていた、悲しいだけの少年だった。
きっと、今でも宮藤は、あの目で周りを見て、ぼくと同じようなことを考えているのではないかと思う。
少なくとも、去年までのぼくはこう思っていた。
この世界はつまらない。この体制はつまらない。
逃げたっていいだろう。なんなら壊したって構いやしない。
誰かが何かから逃げることや、誰かが少し普通から外れることすら許さない「常識的な人たち」は、
宮藤という少しだけ異常な少年の、悲しみに満ちた瞳なんて見ていない。
彼のこころが割れていく音を、聞いてもいない。
同じ空間にいるくせに、なんでそんなことを知ることすらできないのだろう。
ぼくは結局、二十歳を過ぎても、そんな排他的な世界を、一度も好きになることができなかった。
そのうちに、宮藤という存在のことも忘れ、ただ世界を疎ましく思うだけの男になった。
そしてぼくは、気まぐれに入った大学で、岡崎早苗という「理想」と、東坂あゆみという「異質」に出会う。
その後、何が起きるかは、これを書いているぼくはまだ、知らない。
20131005
「中二病」というものはバカにされがちだけれど、「中二病」という通過儀礼を無事に終えることも、ごくごく一部の人間には必要だと思ったりします。
終わらない「中二病」をいつまでも引きずる平城啓太郎と、そんな彼に少しだけ関わった宮藤彰二の話、まだもう少しだけ続きます。