【 ある夏の日の午後 】

 ぼくの心に穴を開けた放火未遂事件であったが、降りつづく夏の雨を眺めている間に、少しずつ、心は落ち着きを取り戻していた。
 そもそも、この世界にわかりあえない巨悪などそうそういないし、あの宮藤がそういったわけのわからない悪だとは到底考えられない。
 ぼくは今のあいつのことは何も知らないが、かつて、あいつが、ただのどこにでもいる努力家であったことを知っている。
 彼は、理解不能の異常者なんかでは絶対にない。
 そう、突然「放火未遂」なんて物騒な単語が飛び出したせいで、少し混乱していただけで……最初からそれくらいわかっていたんだ。

 ぼくは頭のいいやつは嫌いだし、要領のいいリア充も苦手だ。それは高校時代から変わらない。
 でも、宮藤のことはなぜか軽蔑していなかった。
 彼はぼくの仲間だと、心のどこかで思っていたのかもしれない。
 暗いものを心に宿した、唯一のぼくの仲間。
 友達なんてたいそうなものではないし、ライバルでもない。
 ただ、同じ気持ちを共有しているだけの存在。
 それが、宮藤だった。


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 ところで……この世界には同調圧力というものがある。ぼくはこれがとても苦手だ。
 たとえば……これはあくまで「たとえば」なのだが……貝瀬のよく言うセリフに、「オタクはグッズを買ってこそ愛を示せる。好きな作品ならば、まずDVDや本を買って、出資をするべきだ」というものがあるが、ぼくはこの意見に、完全に賛成することはできない。
 彼女の言うことは理解できる。
 金儲けのためにものづくりをやっている人間から、金を与えずに物だけ奪う行為は、「悪」であると。
 それを助長する「違法動画サイト」なんてのは根絶されるべきもののひとつだろう。そこはぼくも賛成だ。

 クリエイターが「次の作品」へと直接つながるために、もっとも必要な物は確かに金だ。
 しかし、重要な資本となる「金」は、誰もが平等に持ちうるものではない。
 図書館でしか本を読めない人間も、テレビ放送でしか映画を見られない人間も、この世界にはいるはずだ。ちゃんとしたファンになりたければ、社会人として、それなりの金を稼げ、というのも正しい意見なんだろうけれど、それはそこそこの金を稼ぐことのできる能力を持った人間の、上から目線の意見だと、ぼくは思う。

 「物を買ってこそ作者にフィードバックできる」という思想は、たしかにうつくしいかもしれない。が、そのうつくしさは、やがては「ファンなのだから買うことは当然だ」という集団意識に変化し、「買うための金を持たない人間はファンを名乗るべきでない」、「金以外の愛を認めない」、「買えば買っただけ愛が大きい」という排他的な思想に変貌する危険性がある。
 みんながみんなそうした思想を持っているのだというのではないし、貝瀬がそれだというわけでもない。ただ、人は時折、自分が必死にした努力を、同じ境遇の他人にも強制してしまうことがある、というだけだ。

 「金を出さなければファンではない。そのための金を稼ぐこともできない人間は、いらない」――そんな理想を大多数が運用しはじめたなら、もはやその趣味は金持ちのためにのみ存在する、貴族的遊戯になるだろう。

 ぼくが言いたいことは、創作者の理想とかオタクの理想とか、そんな次元のことではない。そういうものは、貝瀬や松浦のような人間が語ればいいことだと思う。趣味と金という二つの要素をまぜて話をすることも、すこしマナーに反するような気がする。今、ぼくが言いたいのは、そうではなくて……「好きだから、作品を買おう」という前向きな愛情だったものが、本人も知らないうちに歪み、「好きだと言いながら買わない人間は悪だ」、「買わないなら、本当の愛じゃない」という、同じものを好きなはずの誰かへの負の感情に変わっていくのは、果たして正しいのか、ということだ。
 これは貝瀬への個人的な中傷というよりも、先に述べたように「同調圧力への不安」だ。彼女の愛を否定しているのではない。ぼくだって、好きな漫画を買って本棚に並べるくらいのことはしているのだから、貝瀬を否定する理由なんてどこにもない。

 ただぼくは、つらいことがあって、テレビのチャンネルを適当に回しているとき、たまたま流れた映画に励まされたことがある。今となってはタイトルすらもわからないが、そのシーンはいつまでだって覚えていられた。「愛しているなら、まず買わなくてはいけない」という理想論から言えば、その映画を探しだしてディスクを購入しなければ、その感情は「愛」ではないのか。

 だいぶ脱線してしまった。話をもとに戻そう。
 ぼくが何よりも恐れるものは、正義でも悪でもない。
 彼らの裏にある、見えない「圧」だ。
 みんなが喜ぶうつくしい理想には、その裏に「理想を掲げる人たちが、理想にそぐわない人たちを排そうとする圧力」が必ず存在する。
 「他人の悪口を言うのは悪いことです、やめましょう」なんて言葉は道徳の時間に教わったかもしれないが、これ自体が「他人の悪口を言う人への悪口」となっている構造を見逃してはいけない。

 「クラスのみんなに愛されるいい人」というような人物をクラスの全員が崇拝するうちに、その人物への些細な中傷を口にすることができなくなるような。
 「いじめのない、とてもいい学校」という理想を推し進めるうちに、裏でどんなことをされても「いじめ」だと言い出せなくなるような、圧倒的な力。
 直接的な暴力よりも、目に見えない形で、だれも知らないところで、言葉では表現できない力が暴れている方が、よほどおそろしいとぼくは思う。
 高校一年生のぼくと宮藤に襲いかかったのも、おそらくはそうした見えない力だった。教師や生徒といった具体的な形をもった存在ではなく、ただ、「普通であれ」と命じる圧力。宮藤はそんな力に対抗する術を持たなかったがゆえに、暗い目をして生きることになった。

 そうして、理想に合わない人間を外側に追い出すことが正義だというのなら、そんなものはなくていいのではないのだろうか。
 ぼくが、岡崎早苗という「理想」のために、他の価値に蓋をしたのだって同じことだ。
 世界から理想を消したらそこにあるのは混沌だろうが、
 誰も理想に疑念を抱かない世界において、理想は意味を成さない。
 誰かが疑い、逆らい、否定し、そして駆逐されていくからこそ――理想は理想なのだ。


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 音楽研究サークルの部室で、ぼくはあゆみと向かい合って座っている。他には誰もいない。以前にもこんなことがあったような気が、ぼんやりとする。
 その頃から、あゆみは、部員たち――特に松浦のことを、とても大事に思っているようだった。
 他のみんなもそうだ。
 この部室は、先輩たちにとっては幸せな箱庭なのかもしれない。
 でも、ぼくは彼らのことは何も知らない。
 ぼくが来る前、貝瀬理恵に、松浦かなめに、青木大介に、岡崎早苗に、そしてあゆみに、いったいなにが起きていたのか知らない。
 だから、彼らが一様に松浦をヒーローのように扱うことが、とても不思議だった。
 貝瀬に殴られても平然として、むしろ嬉しそうな松浦の態度も、不可解だった。
 でも、彼らが「松浦かなめ」という人間を、無条件に慕っているということは理解できる。空気の読めないぼくにも、それくらいの「空気」は伝わる。これも一種の「同調圧力」ではあったが、そこまで不快なものではなかった。

 きっと、今回のことも、松浦に任せてしまえば楽なのだ。
 みんなが信頼しているヒーローに、全部丸投げしてしまえば。
 ぼくのような平民は、何も責任を負わずに済む。

 ただ、幸か不幸か、今、松浦は音楽研究サークルにはいない。

 休学だとか退学だとか、そんな大層な事情があるわけではない。彼は教職免許を取ろうとしているらしく、今月の間は実習としてとある中学校に行っていて、大学には来ない、というだけだ。
 必然的に、今回の事件のことも、松浦は何も知らない。責任感の強い彼は、知れば何かしらの行動を起こすだろう。あゆみだって、彼がいれば、より素直に助けを求めるに違いない。誰もが、彼を信じ、頼る。それはきっと、それなりの過去の実績を背負っているからだろうが、そのような圧倒的な英雄が不在の今だからこそ、ぼくは自分が動かなければいけないことに気づくことができた。

 もしも、松浦が今ここにいたら、自分は動くことをやめていたかもしれない。
 そんなのは最低だと思う。
 だって、この部室を燃やそうとしたのは、ぼくのともだちだ。
 互いに存在を忘れるくらいに些細なつながりでも、ぼくと宮藤が、かつて知人だったことは事実だ。それなのに、その尻拭いを松浦やあゆみに押し付けていいわけがない。
 ぼくは今まで、いろんなことから逃げつづけて生きてきた。
 きっと、今回も、無意識下では逃げるつもりでいた。
 逃げないで戦おうと思ったのは、ぼくに助けを求めてくれた、あゆみのおかげだ。

 ぼくは、宮藤のことを忘れていた。
 高校をやめ、実質的にニートになり、そんな自分がつらいあまりに、大切な思い出を消してしまった。他にも忘れていることはたくさんあるのだと思う。自分に都合の悪いことから逃げたぼくは、見たくないものは見ない。記憶したくないことは、記憶しない。そんな人生を送っていた。その結果として、ぼくは消してはいけないものまで、勝手に消してしまった。
 宮藤がぼくのことを覚えていたかどうか、そんなことは関係ない。
 ぼくは、過去の自分が、宮藤の苦悩を忘れてしまったことが許せない。
 それが、今回の放火未遂とは関係ないとしても。
 仮に、放火未遂なんてものはあゆみの妄想だとしても。
 ぼくは、宮藤ともう一度向かい合いたい。
 これは、ぼくなりのけじめだった。

 少しだけ息を吸うと、夏の湿気た空気が喉に入ってべたついた気がする。
 けれど、それにはかまわず、ぼくは目の前にいる少女に語りかけた。

「なあ、ひとつだけお願いがあるんだ」
「なあに?」

 大人びた動作で問い返す少女は、けだるげだ。
 宮藤の件で疲れているのかもしれないが、もともとこんな少女だった気もする。

「宮藤のこと、わかる限りでいいから、教えてほしい」

ぼくがそう言うと、あゆみは無表情に語り出した。宮藤彰二の心のうちを。
その内容をここには記さない。
宮藤の心の弱さを、ぼくはぼくとあゆみ以外の人間に教えないと決めたからだ。

 そして、ぼくはもうひとつ、ある決意をした。
――夏が終わる前に、それを実行に移すことを、あゆみに告げた。
 あゆみは、どこまでぼくの心をわかっていたのかはわからないが、頑張ってね、と一言だけ告げた。
 ふたりきりの部室で、ぼくは壁に貼られたアニメのポスターを眺め、思った。ここにあるのは、みんなの思い出だ。ぼくが共有していないものも含めて、とても大切なもの。あゆみにとって、松浦にとって、貝瀬にとって、大事な記憶。アニメも、ゲームも、このパイプ椅子も、机も、漂う空気すらも、ひとつとして忘れていいものではない。昔のぼくのように、安易に消していいものではないんだ。
 青春の一ページ、などという言葉は嫌いだけれど、今回はそんな表現を使ってみてもいいと思っている。
 もう、何も燃やさせなんかしないし、ぼくは、本当に大切なものを忘れるために逃げることを、やめたい。

「啓太郎、珍しいね。あなたが、そんな前向きな気持ちで、ここにいるのは」

感慨深そうにあゆみが言う。
ぼくはそれに、無言で微笑むことで答え、そのまま、部室を出て、とある場所へと向かった。ある夏の日の午後、いつもならうるさく鳴いているはずのセミの声は、そのときは一切聞こえず、まるで隠れて泣いているみたいだった。


140222


あるひとつの物事を他人に伝えるため、異様に遠回りな内容から入るという人物が存在します。平城啓太郎もその一人。貝瀬の語るオタクの理想にまつわる物語は、彼にとってはあまり言葉通りの意味を持っておらず、まったく別の概念へと思考を渡らせるための架け橋のような役割であったようです。
「ヒーローにまつわる疑念」、そして「同調圧力への疑念」という二重の疑念を抱きながら、彼はどこへ向かうのか。そろそろ終わらせたいと思っている「放火未遂事件編」ですが、そろそろ佳境です。