第五章
「まず、『秘密クラブ』の内容について嘘をついたこと、謝るわ。あのときのあなたは信用できなかったから、強引に『猫愛好会』なんて言っちゃったけど、本当は違うの」
リラは静かに語りだす。
「わたしたちは、同じ神様を信仰する、信者なのよ」
「あれは宗教的な会合だった、と?」
にわかには信じがたい話だった。
「まあ、『秘密クラブ』っていうのも、『猫デレ』っていうのも、嘘じゃないわ。よく知らないけど、『デレ』っていうのは『好き』っていう意味なのよね? わたしたちは、自分たちの神様をどうしようもなく好きなの――信じて、愛してる。『ネコガミ』さまをね」
 ネコガミ。それは、猫を模した、猫の姿をした神体……なのだろうか。
 ぼくは、夜道で出会った黒猫の姿を思い出す。もしかして、あれが――
 リラはぼくの沈黙に構わず話を進めていく。
「あなたは特別なの。例外なのよ」
初めて会った日にも聞いた言葉だった。例外因子。
「どういう意味だ」
「あのクラブ、普通の人間には『見えない』はずなの。ネコガミの結界が張ってあるから、信者しか入れない。日苗乃が人を殺すときも、結界は確かに張ってあった。なのに、峰越は簡単に入って来た」
だから彼女はあのとき、ぼくに詰問したのか。『あなたは何なの』と。
「それはぼくのせいじゃ……」
それは、あの変な猫のせいだ。きっと、特別なのはぼくではなく、あの黒猫の方。
 ぼんやりとした意識の中でそんなことを考える。ぼくは確かに妙な能力を持ってはいるが、彼女が言う結界云々との間に関係があるようには思えない。
ぼくが何か言うより前に、リラはこう言った。
「あなたがあそこに来たのは運命だと思う」
だから、と彼女は続ける。
「あなたにはヒナノを誤解してほしくない。それを最初に言っておきたかった」
ここから先が――本題、ってことか。
 リラの「本題」が始まる。それは、、もちろんあのことだ。
「そして、あなたがこの間見たもの――ヒナノのナイフと、男の死体」
ぼくの表情がこわばるのが見えたのだろう、彼女は申し訳なさそうな顔をしつつ、こう断言した。
「あれをやったのはヒナノよ。わたしたちはそれを黙認してる」
「どうして。……どうして、そんな」
「それが、ヒナノの仕事だから」
「仕事?」
人を殺すのが仕事。年端もいかない少女が。
「ヒナノはね、ただの女の子じゃない。わたしたちの巫女様なの」
リラの口調は沈んでいた。
「人間は生まれながらに罪を背負っている、っていう考え方は知っているわよね。わたしたちもその考えにのっとった教義を持っている。ただ、ひとつだけ特徴的なのが……その原罪を、全部まとめて一人の人間に押し付けてしまおう、という部分。ネコガミに選ばれた巫女は、すべての罪を引き受けてくれる。」
リラは息を継いだ。
「……人間の罪は巫女がすべて引き受け、巫女以外の人間は罪から解き放たれる。そして、信者たちはその事実を信じ、確固たるものにするために、巫女に殺人を委託する。『罪を引き受ける』という言葉の約束だけでは、かつての信者たちは我慢できなかったのね。巫女に本当の罪を押し付けることで、信者たちは罪を引き受ける巫女の役目を直に見て、安堵することが可能になった」
淡々と、何でもないことのように語られたそれは、異常かつ異質だった。
 罪から自由になるためだけに、巫女に人を殺させる。それを見て信者は安堵する。巫女は罪人だから、すべての罪を代替する。そして自分は罪から自由になれる、と。
 理屈として何一つ正しくないし、破綻しきっている。
 そんな理不尽な理由を押し付けられて――「巫女」の日苗乃は人を殺しているというのか。刃を振るい、返り血を浴びて。信者たちは、それを知りながらのうのうと暮らしている。自分だけがよければそれでいい、と呑気に笑いながら。
「そんなの、間違ってる。ヒナノは、なんで巫女をやめないんだ。拒否、しないんだ」
双子は、そろって眉を吊り上げた。リラは諌めるように言う。
「拒否なんかできないわ。ヒナノが巫女をやめたら、他の巫女候補が巫女になるだけ。どうしようもなく、犠牲が広がっていくだけ。それに、ヒナノには教団以外に行く場所なんてない」
彼女は、目を伏せた。
「あの子の家族は……全員、死んでるんだもの」

 次代の巫女を決めるお告げが下りたその日、新しく巫女の役目を任された日苗乃の家族は惨殺された。犯人は不明だったが、信者の中の誰か――それも、教団の中で高い位置を占める人間の差し金であろうことは容易に知れた。巫女の役目を拒否したり、放りだしたり、家族ごと逃げたりしないように、余計なものを排除したのだ。巫女が決まる際にはよくあることだった。誰も、当人である日苗乃ですら、文句や泣きごとは言わなかった。
 日苗乃は一人ぼっちになった。彼女の拠り所は、友人のリラと、自分の信じる神様だけ。リラは教団に巫女の世話役を任され、二人は共犯者になった。世話役と巫女の契りの儀式のとき、『わたしにはあなたを救えない』と言って泣くリラに、日苗乃はこう言った。
『大丈夫、わたしがあなたを救うから。わたしは、ネコガミ様に選ばれた巫女だから』
そのとき、リラは思ったそうだ。世界をすべて敵に回しても、自分だけは日苗乃の味方でいよう、と。

 リラが長い身の上話を終え、黙った。その衝撃的な内容を、ぼくは頭の中で繰り返す。
 日苗乃にはずっと前から家族がいない。
 彼女のよりどころは宗教だけで、その宗教は彼女に殺人を強制する。
 味方になってくれる人間はリラだけ。
 信じたくない……事実だった。
「嘘だろう?」
思わずそう言ってしまったつぶやきに、思わぬ答えが返ってきた。
「嘘よ。全部、嘘」
感情のこもらないその声は、コトミのものだった。
「……嘘、なのか」
嘘だとしたら、趣味が悪すぎるのではないか。ぼくの非難の視線を受け止めたリラは、悲しげに首を横に振った。
「……全部、ほんとうよ」
「だって今、コトミ、が――」
そこまで言いかけて、気づいた。今までのコトミの言動を思い返す。
 自己紹介をしたぼくに対して彼女は「うそつき」と言った。ぼくはあのとき、嘘なんてついていなかった。見当はずれな言いがかりだといぶかしく思った。そのコトミの言葉を聞いたリラは、ぼくを嘘つきだと糾弾することなく――「あなたは例外因子」だと言った。このリラの言葉の真意はわからないが、「うそつき」というコトミの言葉を、リラはまったく気にしていなかった。無視したと言ってもいい。
 その後、コトミは「秘密クラブ」の活動内容を説明した。猫愛好家の会合だと。コトミの嘘に便乗するように、リラと日苗乃がその言葉に同意した。
 また、日苗乃はリラとコトミの関係を尋ねた折、コトミの口から「シャム双生児」と説明されたという。これもおそらく嘘。
 コトミに最後に言われた「だいっきらい」……これに関しては何とも言いようがないが、その他の言葉は全部……真実ではない。
 コトミという少女は、一度も「本当」のことを言っていない――?
「あなたもようやく気付いたわね」
リラが言う。
「コトミは、普通の人間じゃない。日苗乃と同じ、異能を持って生まれた巫女候補の一人。コトミの異能は、『すべての事実を把握し、見通すこと』と、『嘘しか言えない』こと」
「嘘しか、言えない?」
 確かに、彼女は出会ったときから、ほとんど喋らなかった。ぼくはそれを、彼女が無口だから、もしくは自分が嫌われているからだと考えていたけれど、そうではなかったのだ。
 コトミは話したくても話すことができなかった。本心を口にしようとすれば、すべて嘘になってしまうから。逆のことしか言えないから。
 そんなのは、異能というよりも、むしろ邪魔な力じゃないか。本心を口にすることができないなんて、まるで……拷問だ。ぼくの持つちっぽけな異能の力とはかけ離れすぎている。
「ねえ、憐れまないであげてくれる?」
とリラが苦しげに言った。
「日苗乃もコトミも、ネコガミの元に巫女として生まれてきた時点で、こうなるってわかってたのよ。当たり前のことだから、不幸だなんて考えてない。神様に与えられたものは、全部そのまま受け入れなさいって、ずっと言われてきたし、そう思って生きてきた」
「でもそれは不幸だ」
ぼくの答えを聞いた二人は、黙ってうつむいてしまう。
「あなたに会わなければよかった、って今、改めて思ったわ」
リラがぽつりと言う。
「あなたがクラブに来なければ、学校で日苗乃と出会わなければ。きっと、わたしたちはずっと、そのままで生きていくことができたのに」
しかしそれは本当の幸せではない、とリラは知っているはずだ。だからこそ彼女はそれ以上、ぼくを責めない。
 人を殺しつづける日苗乃と、真実を口にできないコトミ。その状態を普通だと信じてそのまま生きていっても、二人はどこかで不幸の影を背負うだろう。ぼくの前に現れた日苗乃が、無邪気に笑いながらもどこか暗い影をまとっていたように。
「もう一回、あなたにお願いをするわ、峰越先生」
リラとコトミは、ぼくに向かって深く深く頭を下げる。
「ヒナノを、助けてください。……きっとそれは、あなたにしかできないことなの」