第六章
日苗乃に罪を着せようとしている人間がいる、とリラは言った。現在、マスコミに報道されている連続殺人の犠牲者は八人。一人は女性だが、あとの七人は全員が一人暮らしの男性である。その殺人のほとんどを日苗乃が行っているのは事実だが、日苗乃が殺したのは、リラが知っている限りでは最初の五人だけなのだという。
「じゃあ、あとの三人は模倣犯による犯行だと?」
「ええ。日苗乃が、わたしに黙って勝手に殺している、という可能性もないことはないけれど」
妙に歯切れが悪い。
「でも、そんなことはないと思う。わたしは、あの子を信じてあげたい。誰かが日苗乃に罪を着せている。もしこの先、世間に日苗乃が犯人だとバレたら、あの子は背負わなくていいものまで背負うはめになる。あの子には、必要のない罪までかぶってほしくない」
「なあ、憶測ばっかりじゃ話が進まないと思わないか、リラ」
少し迷ったが、ぼくはこう提案した。
「コトミには確かめてみたのか。さっき、君は言っただろ。コトミには『すべてを見通す能力』があるって」
リラはその切れ長の目で、ぼくをキッと見据えた。
「確かめてないわ。確かに、コトミに聞けば全部わかる。でも、わたしは、コトミの力に頼ったり、利用したことなんて一度もない。わたしだけは、コトミと日苗乃をそういうことに利用しちゃいけないって、思うから」
彼女の言葉はまっすぐで力強く、しかし、だからこそ弱かった。その弱さが、彼女のすべてを支えているのだろう。リラという少女は――虚勢をはってはいても、年相応の普通の女の子、なのだ。
「じゃあ、今からぼくがコトミに尋ねよう。それでいいか」
「そんなの……だめよ。コトミを傷つけないで」
涙を浮かべて訴えるリラの腕を、コトミがそっとつかんだ。
「コトミ……?」
コトミはぼくの方を見て、首を横に振った。彼女の否定は嘘だから――すなわち、肯定。
「ありがとう、コトミ」
ぼくは礼を言ってから、彼女にこう質問をした。
「日苗乃は本当に、最初の五人しか殺していないのか」
コトミは首を縦に振る。彼女の肯定は、否定だ。日苗乃はもっと殺していることになる。リラの方を見ると、彼女は泣きだしそうな顔で凍りついていた。
「日苗乃の他に、殺人犯はいないのか。日苗乃は、八人の犠牲者を全員、殺したのか」
「殺人犯は、日苗乃の他にはいない。全員、日苗乃が殺した」
きっぱりと、コトミがそう告げた。うっかり聞き逃してしまいそうになったが、慌てて問い返す。
「……『いない』?」
リラが顔を上げてぼくの方を見ていた。コトミが『いない』と断言するということは、殺人犯は他にも『いる』ということで、それはつまり――
 落ち着いてまとめてみよう。
まず、最初の五人は日苗乃が殺した。これは確定事項。もちろん、双子の言う言葉を全面的に信用する、という前提条件はあるが、この二人が両方とも嘘をついているという可能性は、ないような気がした。こんな中途半端で難解な嘘をわざわざでっちあげるメリットは、少なくともぼくには考えつかない。
 残りの三人のうち、日苗乃が個人的に動き、なんらかの理由で殺したケースが、何件かある。日苗乃はその事実をリラに隠している。
そして、日苗乃以外の誰かが手口を真似て、三人の犠牲者のうちの何人かを殺している。
 事態は、ぼくやリラが考えているよりもずっと、複雑な様相を呈しているようだ。
「君たちは、その模倣犯について、心当たりはないのか」
「ないわ」
とリラが即答した。もう役目を終えたつもりでいるらしく、コトミは何も言わない。
「少なくとも、教団の中にはそれらしき人物はいません」
「じゃあ、教団とはまったく関係のない人物が、ヒナノの犯行を真似て便乗殺人を――」
「そう、なりますわね」
なんだかリラは上の空だ。彼女の目は、遠くを見ているような気がした。
「何か、引っかかることでもあるのか」
「……別に、ないわ。ただ、嫌な予感がするだけです」
「嫌な予感……?」
「わたしには何の能力もないけれど、なんとなく、気持ち悪い感じがする」
そのとき、リラの声を遮って、ピピピピピ――という電子音が鳴った。携帯電話の着信音だ、と気づくまでに数秒を要した。
 携帯電話をポケットから取り出したのはリラだった。液晶の画面を見た彼女の顔が、さっと青ざめた。
「どうしたんだ」
彼女は黙って画面をぼくの方へ向けた。コトミもそれを覗き込む。
 差出人の名前は「ひなの」。そこには、こう表示されていた。
「だれかにおわれているみたい。ころされるかも」

 リラはすぐに日苗乃の携帯に電話をかけたが、つながらなかった。「大丈夫か。どこにいる」とリラの携帯からメールを送ると、しばらくして返事が来た。
「クラブの近くの路地裏にいるよ。今は、ゴミ捨て場に隠れてる。音を立てると見つかっちゃうから、電話はしないで」
ぼくたち三人は、路地裏を探し回った。数十分が経過したが、日苗乃は見つからない。
「いったい、どこにいるんだ」
早く行かなければ、と思った。日苗乃を追いまわしているのは、もう一人の殺人犯に違いない。日苗乃を殺すつもりかもしれない。
急がないと、急がないと、日苗乃が――
「ねえ、峰越」
リラがぼくの袖をつかんだ。それで我に帰る。
「なんだ」
「何か、聞こえない?」
そう言われて、初めて気づいた。
キン、カキン、と断続的に、金属のぶつかり合う音がする。
まるで、剣で切り結びあっているような……音。
「あっちだ」
その音の聞こえる方へ、ぼくらは走った。

 それを見たとき、ぼくらは目を見張った。
最初に視界に入ったのは、長い髪の男だった。細身の彼が手にしているのは、細く長い、フェンシングに使うような剣。その剣を軽やかに振りながら、ステップを踏むように前へ前へと移動してゆく。カキン、と響く音。彼は、ナイフを持った相手と、切り結んでいる。戦闘しているのだ。
剣を持った男と戦っているのは、日苗乃だった。彼女の湾曲した凶器はナイフとしてはかなり大きい部類のものだが、長剣と対等に渡り合えるサイズではない。ましてや、日常的に人を殺してきたとはいえ、彼女はまだ幼い少女なのだ。男の猛攻には対応しきれず、徐々に後ろへ後ろへと引かざるを得なくなる。
「ヒナノぉっ!」
ぼくの声を聞いて、日苗乃は目を大きく開けて驚きながら、ナイフを大きく振るった。
「せんせ、い……?」
突然の日苗乃の攻撃に、長髪の男は一歩下がった。その隙をついて、日苗乃は鋭い突きを繰り出す。男はぎりぎりで避けたが、長い髪の一部がナイフで切れ、宙を舞った。
「ちっ……!」
男は舌打ちして、距離を取る。その隙に、ぼくは日苗乃のそばへと走った。
「大丈夫か、ヒナノ」
「どうして、せんせいがいるの……?」
ぜえぜえと苦しげに息を吐きながら、少女は首をかしげた。
「助けに来たんだ。ヒナノは、ぼくが守る」
 ぼくは、日苗乃みたいに刃物を扱えるわけでもなく、コトミみたいに、大きすぎる超能力を持っているわけでもない。常識的に考えて、長剣を持った男に勝てるはずがない。透視能力なんて、今の状況では何の役にも立たない。
でも守らなきゃいけない、と思った。日苗乃を自分の背後に誘導して、謎の男と真っ向から向き合う。
「おいおい、丸腰でわたしに相対するなんて、正気かね」
外見より年寄りくさい口調で、男はそう言った。くくく、と愉快そうに笑いながら、彼は顔を上げてこっちを睨んだ。猫のようなつり目は金色に光っている。黒いスーツのような服を着ているが、一般的なスーツではなかった。長い服の裾がマントのように翻っているし、襟元には何かの紋章のようなマークが入っている。
「……よろしい。お望みどおり、刺し貫いてあげよう」
男は長剣を構えて、まっすぐにぼくに向かって突きを繰り出した。
「せんせいっ!」
「峰越!」
避けなければ、と思う。が、体はこわばったまま動かない。鋭い刃が目前に迫っている。ぼくの後ろには守るべき日苗乃がいるのに、ぼくは一歩も動けなかった。
――さくっ、という軽い音が聞こえた。人の体に刃が突き刺さった音にしては、あまりにも軽すぎた。
でも、確かにその長剣は、ぼくの胸部を貫いていた。
守る、とさっき言ったはずなのに、反撃する暇すらなく戦闘は終わった。
 意識が暗転する。
 あまりにもあっけない――ジ・エンド。