エピローグ
 午後の日差しが窓から入り込む。とてもあたたかい、とわたしは思う。
「ねえ、かみさま。またお話をしてほしいわ」
「いいよ。じゃあ、川の底に住む蟹の兄弟の話をしようか」
語りだす愛しい人は、くっきりした輪郭で、何とも混じらないで、薄まらない。ちゃんとした存在感を持っている。長い間、他人というものが薄く、溶けて流れ出しそうに危うい存在にしか見えなかったわたしにとって、その人は救いだった。
その人の語りを遮って、わたしはこう尋ねる。
「ねえ、かみさま。クラムボンって、結局何だったのかしら」
「……そうだね。ぼくは、こう思う」
彼は熱心に語りだす。
「クラムボンは、笑い、死に、そしてまた笑う。つまり、生死を超越した存在なんだ。また、クラムボンが笑うとき、決まって魚が蟹の兄弟の頭上を通り過ぎる。つまり兄弟は、魚が通ることによって起こる『何か』を、『クラムボンの笑い』だと思っている」
「わかったわ。じゃあ、クラムボンはおひさまの光よ。魚が通ると、一瞬光が届かなくなるから、『死ぬ』って言ってるのね」
わたしは言い当てて、得意げに胸を張ってみせる。その人は、肯定も否定もせず、
「さあ、どうだろう。どう解釈するかは読者の自由だからね」
「またかっこつけたこと言おうとしてるね、かみさま」
「ふふ、そうかな」
その人は、そう言って椅子に身を沈めた。手に持ったティーカップの水面の中に、わたしが映っている。わたしたちの足元には、黒い子猫が一匹。猫は甘えるように、にゃあと鳴いた。
クラムボンはかぷかぷと笑う。殺される。しかし死などなかったかのように、また笑う。それはささやかな奇跡なのだ。殺されても笑うことができる、それは自然が起こした奇跡。少なくともわたしは、そう思う。
 ささやかに窓から差し込む光と一緒に、わたしとその人は静かな午後を過ごす。静けさはいずれ打ち破られてしまうし、またどこか遠い場所へと行かなければならない。でも、今はこうして二人でいられる。それだけで、わたしは幸せだった。
わたしとかみさまだけが知っている、この世界の成り立ちと理。
誰が神なのか、本当の世界はどこにあるのか。
紅いお茶を飲みながら、わたしとその人の過ごす午後。それが世界の全部なのだ。
この世界はかなり前から破綻していて、どうしようもないほどに終わっている。
けれど、だからこそ美しい。
きらめく日の光のように。その光によって導かれ、生まれる、闇のように。
 ……わたしがかみさまと呼ぶその人は、もっと別の呼び名を持っていたような気がするけれど、わたしはそれを思い出さない。その人は、ただのかみさまだ。にっこりと笑ってわたしを許す、最高のかみさま。そのかみさまを、ただひたすら信じる。ずっと前から、それだけがわたしの存在理由だから。
 一緒にいる。この生が破滅へと向かっていくとしても、明るい世界に出ていくことはもうできないとしても、かみさまがいれば怖くない。
 さあ、かみさま。
また一緒に、楽しいお話をしましょう。