四栂さんに連れられて、その日もぼくたちはその場所へ歩いて行った。教団の建物の地下部にある空間は、即席の墓地になっている。教団で死んだ、ある程度の地位のある人間はそこに埋葬されるのだ。たとえば、猫神という名字の付く名前で呼ばれる本家の人間や、七ツ谷・四栂といった分家の人間。それ以外の人間は、死んでも埋葬なんてされない。
 ぼく、七ツ谷月影は、いつも思う。どうして、人間は平等ではないのだろう。死体を打ち捨てられるのと、この暗い地下に埋葬されるのは、どちらが幸せなのだろう。
「なあ、火鶴」
妹にそう語りかけると、「うん?」と彼女はこちらを見た。
「死にたく、ないな」
それはたぶん、ぼくなりの甘えだったのだと思う。この墓地は、どす黒い感情が渦巻いているような、暗い空気が漂いすぎていて、何か話していないと、凍えそうなのだ。
「当たり前じゃん」
リアリストである妹は、ぼくほどには墓地の異質な空気を感じないらしく、冷たく言い放って前を向いた。
「…………!」
そのとき、墓地に向かって歩く四栂さんが、何かの気配を察したように驚いた顔になった。
「あの方が……来ている」
「なあに? 四栂さん、どうしたの?」
妹は無邪気に尋ねるが、四栂さんは唖然としている。聡明な彼がこういう表情になるのは、とても珍しい。冷静沈着を絵に描いたような人なのだ。
「あ、えーと……まあ、いいか。害はない」
確認するように言いながら少し考えてから、四栂さんはまた歩き出した。どうやら、幹部の誰かが墓地に来ているらしい。それにしても、まだ墓地の扉が見えるか見えないかと言うくらいの距離なのに、どうしてわかるのだろう。四栂さんは特異な能力でも持っているのだろうか。
「……純貴さまにお会いしたことはありますか?」
四栂さんはぼくに向けて、そう尋ねてきた。
「いいえ、ないです」
「では、初めてですね。墓地に来ていらっしゃるようです。怖い人ではないですから、たぶん大丈夫だと思いますが――失礼のないように」
――純貴さまが、来ている?
 ぼくと火鶴は呆然とした。猫神純貴。現在の教団のトップである。また、教団の隅で殺されかけていたぼくらを拾って、名前をつけてくれた恩人でもある。ぼくと火鶴が、今、教団でかつての猫神の分家と同じ名前を持って生きていられるのは、純貴さまのご慈悲のおかげだ。
 ドキドキしながら、ぼくは四栂さんの後をついていった。
「……着きました」
四栂さんが扉に手をかけ、開く。

 そこに、ぼくらの「かみさま」が立っていた。

 どこか冷たい、死んだような目。
 短く切りそろえた黒い髪。右手には薄い色の小さな花束を持っている。
 こちらに気づいて振り返った純貴さまは、「あ」と小さく発音した。綺麗な声だった。
「こんにちは」
ぼくは緊張しつつ、まず挨拶をした。「あの、純貴さま、ですか?」
「そうだよ」
純貴さまは薄くほほ笑んだ。死んだような目に、少し光が宿った。今にも消えそうだけれど、優しげな光だった。
「月影君、だね。久しぶりだ」
「覚えてくださってるんですか」
ぼくは急に嬉しくなって、言った。「純貴さまに名前を覚えていただけているなんて、嬉しいです」
「あまり調子に乗っては」
四栂さんがぼくを制するが、「いや、構わないよ。ぼくも話したい」と純貴さまが言う。
「君たち、ちゃんと暮らせている? 不自由はない?」
純貴さまはとても優しい声音で、ぼくらに話しかけた。ぼくと火鶴は同時に答える。
「大丈夫です」
「何かあったらぼくに言ってくれ。できる範囲で、なんとかするから」
かみさまに、こんなことを言ってもらえるなんて。ぼくの心は弾んだ。これまで、ぼくらなんかにこんな風にやさしくしてくれるのは、四栂さんくらいだったのだ。
「かみさまなら、なんでもできるでしょう?」
火鶴はそう言ったが、純貴さまは苦笑する。
「できないよ。たぶん、できることの方が、少ない」
どこか寂しそうにそう言って、純貴さまは墓石を見やった。そこに、大切な誰かが立っているかのような、視線だった。

「ぼくに、なんでもできる力があったら――こんな場所には来なくてよかった」

純貴さまはぽつりとそう言った。四栂さんが何か言いたげに顔をあげたが、彼は何も言わなかった。純貴さまはしばらく墓石を見つめたあとで、ぼくの方を見た。
「ねえ、月影君」
「はい」
「もう、ぼくを繰り返したくないんだ」
まるで、独り言か恨みごと、みたいだった。
「ぼくという生が、二度と繰り返されないことを祈ってるんだ、ここで」
純貴さまは、信じられないことをつぶやいて――ぼくと火鶴を瞳に映す。

「君は、君たちだけはそういう風にならないで生きてくれ。
ぼくは、君たちに未来を託したいんだ。
――消えてしまった『七ツ谷』の未来を。」

 四栂さんが、泣きそうな顔で絶句するのが見えた。
 『七ツ谷』。それはぼくらの名前で、確か、かつて全員が死んでしまった分家のトップの、名前。
 ぼくらには、かみさまが何を言っているのかよくわからなかった。
 でも、かみさまが何かとても重いものを、名前といっしょにぼくらに背負わせたのだということには、たった今気づいた。
 最初、七ツ谷の名をもらったとき、ぼくらは喜んだ。なぜなら、この教団の中で当たり前に生きていくために、その名前は必要なものだったからだ。分家でも本家でもない人間は、いつ死んでもおかしくない、そんな世界で――実際、ぼくらは死にかけていたから。
 生きていくために、喜んで七ツ谷になった。
 深く考えたことはなかったけれど、感謝を忘れたことはない。

「かみさま」

 生きるために名前を授かったぼくらは、名前と命を与えられた代わりに、かみさまにこう言わなくてはいけないだろう。

「ぼくらは、かみさまに助けてもらった。かみさまがいなかったら、きっと死んでいた。七ツ谷、っていう名前の大切さは、ぼくらにはわからない。けど、かみさまのためだったら、ぼくらはなんだってできる」

だから――だから。ぼくは冷たい墓地の空気に抗うように言う。

「ぼくらはかみさまのもの。かみさまが望む未来のために、精一杯生きる」

「ありがとう」
純貴さまは今にも泣きそうな顔でそう言って、花束を墓石の前に置いた。さっき、悲しげに見つめていた、墓石の前に。墓石に刻まれた文字は、『七ツ谷 日苗乃』。
「ぼくは、全部失ったと思っていたけど、そうでもないのかもしれない」
純貴さまはそう言った。たぶん、それは独り言だった。ぼくらは何も言わなかった。純貴さまも、何も言わないまま、ぼくらの頭を一度ずつ撫でて、墓地の外へと出て行った。結局、その瞳に宿る悲しげな色は、消えることがなかった。頭に触れた純貴さまの手は、とてもつめたくて、ぼくまで悲しくなってしまいそうだった。
「ああ、あの方は……本当に、日苗乃さまのことが」
四栂さんが、感慨深げにつぶやくのが聞こえた。「まったくもって、悲しい方だ」
 まだ幼いぼくらには何もわからない。かみさまの言葉の意味も、七ツ谷の名前の意味も。でも、ぼくらはきっと、そのうちそれを理解する。かみさまに背負わされた願いの重さと、それに応える義務を。それは決してふしあわせじゃない。もうこの墓地に墓石を増やさないために、必要なことだ。
「では、お祈りを」
いつもこの場所でそうするように、ぼくらは目を閉じて祈る。これまでは、誰だかわからない人のために、義務的にそうしていた。今日からは違う。ぼくらの瞳の奥には、純貴さまの悲しげな顔が映っている。その顔が、これ以上悲しさに染まらないように、ぼくらは頑張って生きていく。


++++


 四栂は、子供たちに見えないように顔を隠して、ため息をついた。四栂は旧七ツ谷派として、日苗乃の遺志を継ぐ形で、猫神純貴――峰越純に協力してきた。しかし、彼のことは完全には信用していなかった。正統な猫神として、認めていなかった。
 しかしもしかすると、彼はこれまでにいなかった、とても理想的な教主なのかもしれない。
 世界を捨てて恋した結果、彼は世界に捨てられた。
 恋した相手も、生きてきた人生も、自分の名前すらも失った。
 それでも、猫神純貴は心を折らずに生きている。
 素性の知らない子供に七ツ谷の名前を与えると彼が言いだしたとき、四栂は全力で反駁した。それは、日苗乃や久乃への冒涜だと思った。本気で、純貴を切り捨てるべきかとすら考えた。しかし、月影と火鶴を新たな七ツ谷として育て、彼らが純貴を慕っているさまを見て、四栂は考えを変えざるを得なくなった。旧七ツ谷ではなく、新しい七ツ谷。終わってしまった家ではなく、これから始まる家。
 彼らは、新しい教団の可能性だ。まだ、人を殺す方法も、殺される方法も知らない子供たちが、この場所で、これからも無垢でいられるはずはない。けれど、できるだけ幸せに生きてくれればいいと、四栂は今、本気で願っているのだ。自分でもあきれてしまうほど、切実に。



091211