第三部 ベル――利賀りよこ わたしはまたひきこもりになった。学校に行った方が死んだ美都は喜ぶだろうと思い、苦痛をしのんで通い始めたが、HRの度に扉から笑顔で美都が現れるような気がして、わたしを酷く悩ませた。学校には美都の面影がずっと残っていて、苦しすぎてわたしは学校に通うことができなくなった。 結果的にわたしはまた美都と出会う前のわたしになってしまったわけで、両親も酷く嘆いていたが、わたしは別に構わないと思っていた。学校に行くことが全てではない。言い訳かもしれないがそう思っていたからだ。 美都の死から二ヶ月が経過したその日、わたしは妙に物静かな気分で目を覚ました。 今日、何かが起こる。わたしにとってとても大きな何かが。そんな気がした。 わたしはその瞬間、机に向かってぼんやりとしていた。開いた窓から射す光が眩しかったのを覚えている。 そのとき、窓の外を見たわたしの目に、最初に入ってきたのは鮮やか過ぎる赤色だった。 あ、赤だ。 それが何かの信号のようにわたしの脳に伝わり、それが人間の髪の毛の赤であると認識された瞬間、わたしの中で何かがスパークした。 赤。 赤い。 赤毛の、男。 『犯人は』 無機質な女の声で報道された言葉を思い出す。 『犯人は、鮮やかな赤毛の男だったということです』 わたしは立ち上がった。台所に向かう。そこで数ヶ月ぶりに顔を見た両親が驚いて声を上げるが、そんなのは気にならない。わたしは包丁を手に取る。 外に出た。家の前に躍り出る。そこにはまだその男がいた。赤毛の男。ただそれだけで、他の特徴は全く認識できなかった。 わたしは、見知らぬ彼にこう、話しかけていた。 「ねえ、菊本伴って子、知ってる?」 彼は自分が何故声をかけられたかわからないまま振り向いて、「知らないが」と答えた。赤茶けた髪が揺れるのが見えた。 「じゃあ、八郷美都って人、知ってる?」 「いや」 と彼は答えた。と同時に、片手を口の下にあて、少し考えるようなポーズをとった。 わたしは言った。 「殺されたの。伴も、美都も。伴は世界に殺された。美都は、わたしの知らない赤毛の男に殺された」 「……!」 そこでようやく彼は、わたしの言わんとしていることが、自分が話しかけられた理由がわかったらしい。 「お、俺じゃない。俺は誰も殺してない」 「あなたは殺していないかもしれない。もしかしたら、殺してるかもしれない。でも、そんなことはどうだっていい」 わたしはそう言った。不可解だと言わんばかりに彼は眉間に皺を寄せる。わたしは隠していた凶器を、このときようやく見せた。男が驚いた顔で後ずさった。 「わたしはあなたを殺す。わたしのために」 わたしはこいつを殺す。 自分の中でそれを反芻して、わたしは自分に問いかける。何故? と。理由は簡単すぎるくらいに簡単で、それ故に酷く複雑。 美都を殺した男と同じ特徴を持った男がここにいる。 だから殺すの? 自分にそう問うと、肯定の答えが返ってくる。 しかし、赤毛の男なんて日本中に五万といる。その中の一人を殺したからって、わたしの復讐が完了するはずはないし、美都も喜ばないだろう。わたしも美都を殺した男と同じ、無差別殺人鬼になるだけだ。そんなことくらいわかっている。 では何故殺すのか? 答えはひとつ。 わたしが満足するためだ。 自分の満足のために人を殺す。人道に反する行為だ。だが、この行為はわたしの心には反していなかった。何故だろう。それはわたしにはわからない。深い理由があるかもしれないし、ただの短絡的な殺意かもしれない。ただわたしは決めたのだ。この男を殺すと。 「うわあああああああっ」 わたしは叫びながら突進した。包丁を男の胸に突き立てる、それだけに全神経を集中する。 「ひぃっ!」 彼は逃げなかった。彼は抵抗するという手段に出たのだ。 カウンター。わたしの力を逆に利用して、くるりと彼は刃の向きをかえてしまった。彼が何らかの武術を習得していたのか、まぐれだったのかはわたしにはわからない。 しまった。 そう思ったときにはもう遅かった。 刃はわたしの胸に突き立っていた。 ずしりとした痛みが襲ってきて、わたしは、美都もこれくらい痛かっただろうか、いや、即死だと言っていたからそうじゃないのだろうか、とぼんやり考えていた。 「お、俺は悪くない、俺は殺してない、俺は」 錯乱したように言いながら、彼は走り去っていった。わたしはそれを追う気力もなく、ばたりと倒れた。 それで終わりだった。わたしという、利賀りよこという物語の、終わりが来たのである。 さようなら。わたしという全てにそう告げて、わたしという自我が消えた。不思議と未練はなく、わたしは安らかに眠りについたのであった。 その後のことは、何も知らないし、知る由もないから、語ることはできない。語り部であるわたしの人生はもう終わってしまったから、だからこの物語ももうおしまいだ。 さようなら。 誰ということもない誰かにそう告げて。 わたしは生まれて初めての、物語の「終わり」を感じたのだった。 終 |