ぼくと彼女のスーサイド・ラボ

 世の中には間違っている人間と間違っていない人間がいて、ぼくは間違っていることを自覚しながら間違っている人間の一人である。間違いを認識することなく生きつづけて死ぬ人間もいるだろう。それはそれでいいのだ。間違いを自覚している自分は高等だ、なんて言うつもりはない。間違っている時点で、下等なのだから。
 しかし、ひとつだけ揺るがせたくないことがある。それは、C女史の正しさと美しさについて。
 C女史は間違っていないし、これからも間違わないだろう。なぜなら、間違い方を知らないから。迫害されることは十分に知っていても、迫害の方法論とメカニズムを知らない。彼女はとても美しい形をしている生命体なのだ。外見がどうであったとしても、内側の美しさは揺るがない。みんな、女史の顔を見ただけで逃げていってしまうから、この美は世界中でぼくだけが知っているものだろう。自分とは違う彼女の美しさを、ぼくは誇りに思いたい。ぼくは決定的に間違えてしまったから、彼女の存在が、ぼくにとって唯一のすがるべき正義だ。

 彼女の肌は透き通るような白で、手の甲に見える青い血管がぼくの情欲をかきたてる。色情狂でマゾヒストでサディストで、超ド級の変質者かつ前科者であるところのぼくにしては珍しく、彼女には手を触れたこともない。なんとなく、触れたら何かが終わりそうな気がして、ぼくは女史に触れられない。触れたところから皮膚が腐り落ちて灰になる――彼女の光に、ぼくの闇が浄化されるように――そんな想像が、ぼくを躊躇させている。逆に、ぼくの汚さが彼女を侵して、彼女が崩れ落ちてしまうのではないか、という想像もしたことがある。それもこれも、彼女が普通の女性ではなく、そもそも普通の人間ですらないことに由来しているイメージだろう。もし、女史が何の異常も持たない普通の外見を持った女性であったなら、ぼくは女史に触れていただろうし、容赦なく壊したりすることもあったかもしれない。かつて、ぼくが違う誰かにそうしたように、そうされたように――ためらいのない多大な暴力を、行っていたに違いないのである。
 だから、ぼくは女史を女史として存在させるその異常を愛しているし、感謝もしている。さらに付け加えるなら、ぼくは恐れている。聖なる存在としての女史と、邪悪な異形として扱われてきた女史、その両面を。彼女は異形であるがゆえに聖女であり、聖女であるがゆえに異形である。だが、ぼくにとっての女史は、異形なのか聖女なのか。それがよくわからなくてぼくは悩んでいる。まあ、ぼくという人間の異常性を知ってなお、ぼくと一緒にいてくれる、という点に限っては、C女史は間違いなく聖女なんだけれど。

 女史は綺麗だね、とぼくが言う。女史が眉をひそめながら文句を言う。ぼくはそれでも綺麗だと言う。言いつづける。そして根負けしたように女史は笑顔になる。調子に乗ったぼくは彼女の美しい部分を一つずつ挙げていくけれど、あえてその部分のことを口にしない。女史の肌は綺麗で、女史の指は綺麗で、女史の血管は綺麗で、女史の言葉は綺麗だ。女史の存在は綺麗だ。女史の全部は綺麗だ。
 女史の瞳は綺麗だ――という言葉を言わずに飲み込んで、ぼくはにっこり笑ってみせる。その打算を知っていながら女史は何も言わない。ぼくはおどけて、女史になら踏まれてもいいよと言う。気持ち悪い、と女史が切り捨てる、そのいつもどおりのやり取りが心地よい。
 今日もぼくらは二人きり。白い部屋の中で語り合い、互いの人生を踏み砕いていく。
 たぶん、後には破片しか残らない。きらきら光る女史の破片と、光らないぼくの破片。
 それでも、別にいいやと思うのは、破片になってなお女史は正しく美しいに違いないという確信があるから。美しい女史の破片の中でなら、ぼくの破片も一瞬くらい輝いて見えるかもしれない。ぼくはおそらく、それに期待している。



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