ひとりっきりのクリスマス

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 ――人が死ぬのなんて、あっという間なのだと、血だまりの中に立ちつくしながら思った。わたしは、何故この人を殺したのだろう。たぶん、うらやましかったからだわ、と思う。目を見開いてそこに倒れている彼は、とても頭がよかった。いつだって楽しいジョークを言ってくれたし、わたしが落ち込んでいるときは励ましてくれた。誰にでも好かれて、いろんなことをよく知っていて、ファッションも無駄がなくて、かっこよくて。
 まるで理想のようだった。
 わたしにないものを、全部持っていた。
 わたしが彼を殺してしまったのは――それがうらやましかったから。他に理由なんて必要ない。
 その結論が出たとき、ドアが開く音がして、わたしは扉の方を見た。
 そこには、悪魔が――長芳清五が立っていた。
「殺して、しまったのか」
彼は短くそう言った。ええ、とわたしは頷く。
「そうか」
清五さんは重苦しい表情で、「大丈夫か」と訊いた。意味がわからなかった。
「大丈夫じゃないよ。もう、死んでる」
「違う、そうじゃない。僕が聞いてるのは君のことだ。そんな奴のことはどうでもいい」
「わたし? わたしは怪我してないよ。全然、大丈夫」
清五さんは首を横に振った。
「ダメだ。違う。そんな言葉は信じない」
「わたしはこの人がうらやましかったの。だから殺した。彼はあっさり死んだ。それだけだよ」
「美野ちゃん」
清五さんが、わたしをちゃん付けで呼ぶのは初めてだった。わたしは、目を丸くする。
「他の人間は、それで騙せるだろうね。実際、君は彼のことがうらやましくて、好きだった。それは本当だから、みんな、君が彼を自発的に殺したと思うだろう。君はいわれのない罪をかぶせられて、前科者になってしまう。だが、それは間違いだ。そうだろ」
「それでいいんだよ! 何も間違えてない。騙してない。わたしは……」
「君は、自分すらも騙して真実を隠蔽するのか」
清五さんの口調は厳しいけれど、何を言っているのかわからなかった。
 彼は長い指で、床を指した。そこには、ピンク色の携帯電話が転がっている。
 わたしの、携帯電話。
 その電話の画面は、まだ【通話中】の表示になっている。
 いったい、誰との通話だっただろう?――思い出せない。
「こんなことになるくらいなら、僕がこいつを殺しておくべきだったね」
苦々しげに言いきって――清五さんはわたしに、自分の携帯電話を開いて突き出した。
 彼の携帯電話のディスプレイには、わたしの名前が表示されていた。
 でも、おかしい。
 わたし、清五さんと電話なんて、してた?
 っていうか、わたし、さっきまで何をしていた?
 思い出せない。
 思い出したくない。
 なんだかわからないけれど、こわい。
 泣きたくなる。
 震えたくなる。
 こわい。
「ああ、もう、やめよう。君がそんな顔をするなら、やめる。もうこのことは言わないから、泣かないでくれ」
清五さんの、妙にやさしい声が遠くで聞こえる。
「清五さんがそんな声出すの、変だよ」
わたしは言った。
「っていうか、『私』じゃなくて『僕』っていうのも変。今日の清五さん、とっても変」
「それは悪かったね。ちょっと取り乱していたんだ」
清五さんは、少し声のトーンを落とす。
「でも、そんな清五さんも、とても素敵」
そうか、と彼は言う。寂しそうな声だった。でも、なぜそんな声を出すのかはわからない。
ただひとつだけわかることは、わたしにはもう清五さんしかいないということだった。


****


 クリスマスの日、わたしは清五さんと一緒にはいられなかった。点滴を打って、ベッドで眠る。それがわたしに課せられた義務で、清五さんはわたしの部屋ではなく、院内のクリスマスパーティに行かなければならなかった。パーティ、という名前がついてはいるものの、実際はテーブルに縛り付けられてごはんを食べるだけの集まりだ。休むとペナルティが課せられる。
「あーあ、つまんない」
ため息をついたものの、こうなったのはわたし自身が普段から健康管理をちゃんとしていないからだった。クリスマスの直前になってから気付いても遅いのだ。もっと、ずっと前からちゃんとしないと、だめ。
 静寂の中に、わたしは強引に楽しみを見出そうとする。清五さん、どうしてるかな。先ほど会ったとき、彼はちょっとだけイライラしていたから、心配だった。監獄のような抑圧された環境に加え、野菜しか食べられず、特殊な性欲も満たされない彼は、常にストレスを蓄積させている。人に当たり散らしたりはしないけれど、何度か他の患者と喧嘩をして懲罰室に送られたことはあるらしい。わたしはその部屋を知らない。けれど、懲罰室に送られた他の患者は、一様にこう話す――あんな場所にいたら気が狂う。
 どんな部屋なのだろう。わたしはすでに、自分の部屋でこうして寝ているだけで、気が狂いそうにせつないというのに。
「せっかくのクリスマスなのに、そんな場所には行きたくないよね……」
しかしわたしは一方で、おそらく今日は誰かが懲罰室行きになるのだろうな、と思考する。はしゃぎすぎた患者、はめを外しすぎた患者が、もめごとを起こす。こういう祭りごとのときにはよくあることだ。そんな風にはしゃぐことくらいしか、わたしたちの環境には娯楽がない。仕方ないことだとは、思う。わたしは懲罰室には行きたくないし、一緒にはしゃぐような仲間もいないから、あんまり関係ないけど。
……と思っていると、外から会話が聞こえてきた。
「ねー、あの人、気の毒だったねー」
「クリスマスなのに、懲罰房だなんてね」
「でも、けっこうかっこよかったよねー、顔は」
「なんか意味わかんないこと言ってたけどね」
「『自殺は美しい』、だっけ?」
「そうそう」
反射的に起き上がってしまった。
自殺は美しい――そんな思想を語る人物を、わたしは一人しか知らない。
「清五さん……」
やっぱり、今日だけはちゃんと一緒にいるべきだった。清五さんならきっと大丈夫、なんて、根拠のないことを思うべきじゃなかった。彼は、見かけほど強くない。何にも動じないように見えて、本当はとても脆い。今すぐに会いに行きたかった。でも、懲罰室には患者は入れない。
 急に泣きそうになった。
 清五さん、今、何をしてるだろう。
 清五さんも、泣きそうになったりするのかな。
 あなたも、他のみんなと同じ?
 気が狂いそうになったりする?
 誰かに会いたくなったりする?
 クリスマスというこの日、あなたは何を考えてるの?

――わたしは、清五さんと話したあの日と同じように顔をあげる。誰もいない。わたしの前には誰もいない。人は簡単に死んでしまう。簡単に、壊れてしまう。清五さんも例外じゃない。たぶん、彼は放っておいたら勝手に向こう側に行ってしまう。わたしがあの日、簡単に人を殺してしまったみたいに。
 今、清五さんに会えたら、きっとわたしは泣くだろう。
 だから、というのもおかしいけれど、今は意地でも泣かないでおこうと思う。
 つらくて、寂しくて、そして清五さんが心配で、死んでしまいたくなるけれど、わたしは死なない。
 清五さんが、わたしを救い出してくれたから。
 清五さんがいるから、わたしは、死なない。
 わたしに死を望んでいる清五さんにとっては、迷惑なことなんだろう。
 でも、彼はまだわたしを見捨てない。わたしも清五さんを好きでいる。
 それだけが、この聖夜にわたしが抱いている感情のすべて。
 清五さん――わたし、清五さんが好きだよ。
 清五さんのためなら、命なんて捨ててもかまわないよ。
 だから、清五さんも死なないで、そのままでいて。
 わたしは涙が流れないように、目を閉じた。瞳の奥にある清五さんのイメージを思い起こそうとしたけど、彼は逃げるように遠くへ行ってしまう。大好きだから、今日だけは一緒にいて。そうつぶやいて、わたしは少しだけ笑ってみせた。



101226


メリークリスマス!な話には全くなっていない。
美野ちゃんがやきもきしていた頃、清五は何をしていたのか、なぜ懲罰房に送られたか、に関してはまた別の話で。
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