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 僕はそろそろ完結すべきである。完結という言葉の意味をまず定義しなくてはなるまい。それをするには定義という言葉の意味を定義しなくてはならず、定義とはいったい何者かという考察をしなくてはならない。しかし、そんな理屈よりも先に、僕は『殺したい』と思う。殺したいと言うのは偽りで、実際には自殺を見たいのである。人前で自殺したいと考えてくれる酔狂な若者――そう、若者の方がいい、なぜなら、より興奮するからだ――などそうそういるわけもない。だから僕は、彼らを自殺へと向かわせる。目の前で死んでくれるように仕向ける。そうしてようやく、僕は安らぎと性的興奮を得られるのである。
 理屈というのは、いつだって欲望のあとから、著しく遅れてついてくる。ゆえに、欲にまみれた僕には理屈はない。どうせ、いまさら理屈なんて考えてみたところで、どんづまりの手遅れだ。

 他人を自殺へ向かわせなければ満ち足りることのできない僕を、彼らは犯罪者と定義する。アブノーマルな性欲の持ち主だと非難する。どうしようもない更生不可能だと決めつける。彼らが言う更生とは何だろう。生まれたときから他人の自殺だけを求めて生きてきた僕の、何が分かると言うのだろう。僕は、他人が自死する瞬間以外のものには興味がない。他人も、家族も、自分すらもどうでもいい。全部スカスカのカスだ。

 犯罪者用の精神病院というこの場所は、僕の目的にはふさわしいかもしれない。なんといっても、自殺志願者が多い。その証左として、すでにこの場所では、『僕』のせいで何人か死んでいる。すべて自殺として処理はされたものの、その実態は殺人かもしれない。ただし、殺人と自殺の間に一線を引くのは非常にナンセンスである。銃口を突き付けられながらナイフを手渡され、喉を切り裂くことは自殺だろうか。考えうる限りの痛みをすべて与えられ、それから逃れるために意識を手放すのは。家族を人質に取られ、銃を手渡されるのは。驚くべきことに、無能な人間は全部『自殺』として処理する。その実態の、自殺という美学からかけ離れた醜さときたら、言葉には尽くせない。僕が好むのは、基本的にはこういう不純な自殺ではなくて、純粋な自死である。だがそれだけではとても、僕の欲望は満たせない。他の人間はどうだか知らないが、少なくとも僕は、性欲を満たされないくらいなら死んだ方がましである。他の何よりも、充足を優先したい。だからこそ今、僕……長芳清五はここにいる。


僕と自殺と殺戮願望



 クリスマスパーティの席上で、ぼくはぼんやりと、冷えたチキンを咀嚼している。パーティといっても、病棟の食堂で料理が振る舞われているだけだ。盛り上がっている奴らもいるようだが、ぼくには早く終わらせて部屋に帰りたい、としか思えない。C女史もいないし、つまらない集会である。

 目の前に座っている男もぼくと同じことを考えているようで、黙々とサラダをつついている。眼鏡をかけ、やや痩せた知的な顔立ち。インテリゲンチャという古めかしい単語が似合いそうだ。不可解なのは彼がまったく肉料理に手をつけないことだった。いわゆる菜食主義者なのだろう。満足な量の料理が出されているとは思えないこの場所で、そんな主義を貫く彼は非常にアブノーマルな存在である。まあ、そういう人間もいるのだろう。ぼくは、餓えるのはあまり好きではないから、肉だろうが人肉だろうが食べずにはいられない。

 ぎゃはははー!と誰かが笑うのが聞こえてくる。こんな無粋な場所で楽しげに笑うことができる神経は尊敬に値する。まったくもって品のない笑い声だった。犯罪者専門の精神科病棟、という性質上、品のない犯罪者というのは常に一定数いる。ここにいるのは、あからさまに『犯罪者』っぽい人間と、あからさまに『精神病』っぽい人間ばかりだ。たぶんぼくは両方に該当する。目の前にいる男については、下品さも頭のおかしさもあまり感じない。しかしそういうタイプこそ、裏に何を隠しているかわからないものだ。あまりお近づきになりたくはない。

 また甲高い笑い声が響き、ぼくは眉根を寄せた。さっさとお開きにしてくれないだろうか。殺したい……とまでは思わないけれど、うるさい人間と一緒にテーブルを囲むのはストレスである。……と、嫌気が差してきた、そのとき。
 カチン、と大きめの音がした。フォークが皿を打った音だと、少し遅れて気付いた。先ほどまでサラダを食べていた目の前の男が、フォークを叩きつけて、皿を割ったらしい。まっしろい皿がまっぷたつ。やっぱりヤバい人だった。いや、ぼくは人のこと言えないが。

「うるさい」
 無表情のまま、独り言のような声音で、彼はそう言った。その目は陰鬱な光をたたえている。
「あー? なんだよにーちゃん。そんな女みたいに細っこいのに、俺らに喧嘩売ってるのか?」
 不良……というか、ヤクザのような風体の男が、ベジタリアンの男に絡み始めた。ぼくは、菜食主義者のことはまったく心配していなかった。
 なぜなら、彼はまったく怯えていなかったから。無表情にフォークを手にしたまま、彼はぴくりとも動かない。
「なんとか言えよ、言えるもんならなあ!」
「うるさい、と言った。客観的にも主観的にも圧倒的に正しい、真実を述べた。それだけだが、何か問題があるのか」
 抑揚のない機械みたいな口調で彼は言った。
 この病棟では、定期的にこういう言い合いや殴り合いが起きるので、誰も特殊な反応はしていない。ただ、彼に真実を告げられたヤクザのような男が、目に見えて怒っているだけだ。
「貴様!」
「貴様ではない。私は長芳」
「長芳……?」
 ヤクザっぽい男が、その名前を聞いて一気に青ざめた。ぼくは聞いたことがない名前だったが、周囲のざわめきはなぜか増した。どうやら有名人らしい。大量殺人犯か何かだろうか。病棟暮らしが長いと、こういう知識には疎くなる。ニュースなんて見ないからだ。
「名を聞いただけで恐怖するなど、愚かにもほどがある。私は誰も殺したことなどないのに」
 心外だ、と言いたげに、長芳と名乗った男は首を振った。
「ただ、私の周囲でよく人が死ぬだけ。私の周囲に集う人間は、自殺志願者ばかりらしい。嘆かわしい世の中だ」
「嘘をつくな! おまえが殺してるんだろう、『清浄機械』長芳!俺の仲間もてめえに……」
 ヤクザめいた男はそう言って長芳を指差した。『清浄機械』という二つ名めいた呼び名はよくわからないが、おそらく『切り裂きジャック』みたいな、殺人鬼の別名っぽいものであることは想像に難くない。
「殺していない」
 長芳はそう言って、ゆっくりと立ち上がった。光のない目で、彼は男を見据える。
「なぜなら、殺人は、美しくないからだ。僕が愛しているのは自殺だ。自殺はいい。自死、自滅、スーサイド。すばらしい概念だ。僕は愛さずにはいられない。自らを殺すすべての者たち。彼らは何て純粋だろう」
 そこで彼は初めて笑った。悪寒が走るような、笑い方。
 ぼくは久々に、恐怖という気持ち悪さを思い出した。
 しびれるような快感が、背筋から足や脳を伝って外へと流れていった。

+++

 なぜか、ぼくと長芳は懲罰室という名の独房に入れられた。独房には入り慣れているのだが、他人と一緒というのはなかなかない。なにせ、ひとりで入るからこそ『独房』なのだ。ふたりだったら違う呼び名が必要なのではないか?
 というか……この流れでぼくがぶちこまれる意味がよくわからない。ぼく、見ていただけなんですけど。日頃の行いが悪すぎるんだろうか。こんな怖そうなやつと一緒に独房入りだなんて、殺されたらどうしてくれるんだろうな。殺されるだけならまだいいけど、死体を蹂躙されたりしたらどうしよ。マジで困っちゃうなあ。……と考えると、気持ちが悪くてゾクゾクします。
 たぶん、ぼくはこの病棟において、いちばんの嫌われ者なのだと思う。「あわよくば長芳がこいつを殺してくれたらいいなー」くらいの勢いでぶちこまれている可能性が高い。やれやれ。

「きみ、死にたがりだな」
 と長芳が独り言のように言った。
「まあ、それに類するものではありますが」
 そのまま肯定するのも癪な気がして、そんなふうに答えた。
「見ればわかるよ。自殺させてあげようか?」
「は? あのですね、ぼくは死にたいんであって、殺されたいわけでは……」
「いや、一緒だな。少なくともこの私にしてみれば、そのふたつは一緒だ」
 意味のつかめない話だった。会話が通じないほどに知性のない人間には見えないのだが……。
「どういう意味です?」
「…………私を知らないのか」
 信じられない、と言いたげに目を見開かれた。
 いや、どんだけ有名人なんだよ、この人。マジで知らなかった。もしかして、芸能人? サインもらったほうがいいでしょうか。絶対いらないし、翌日にはゴミ箱に捨てるけど。
「まあ、知らないほうが幸せかもしれないな」
 と、自意識過剰な感じで会話は強制終了した。懲罰室の夜は長い。いつまでものんきにおしゃべりをしていられるような、生易しい時間ではないのだ。特に冬はきつい。三日間監禁されて凍死したやつもいるともっぱらの噂だ。
 ……静寂とともに、どうしようもない居心地の悪さが空中に漂う。気持ち悪いのが好きなぼくだから耐えられているものの、この長芳とかいう男はなにを考えているんだろうか……。
「『清浄機械』ってなんなんですか」
 3時間ほど経過した。
 沈黙に耐えかねて、というよりも暇すぎて、ぼくはそんなことを彼に尋ね直してみた。
「『人の世を自殺で清める機械』」
 歌うように、長芳は言った。相変わらず、意味がわからない。そろそろ、この人は無意味なことを口にしているだけの狂人なのだということがわかってきていたので、特に驚きはなかった。彼も暇だったのだろうか、今度は逆に質問をしてきた。
「きみは、病棟のなかに知り合いはいるかね」
「藪から棒になんですか。いますよ」
「女の子か」
「ああ、はい。そうですね……女の子です」
 『女の子』というかわいらしい言い回しがどうにも彼らしくなくて、苦笑いしてしまう。
 同時に、女史の姿が浮かんだ。やっぱり、この懲罰室で脳裏に浮かぶ彼女の姿は、格別きれいだと思う。
「そうか。その様子では、きみはまだ死なないな」
 彼はコツコツと地面をこぶしで軽く小突きながらそんなことを言った。
 その声には感情がまったく入っていないので、イマイチ意図が読めないが……どうやら、ぼくの女史への感情を読んだらしい。
「私も、まだ死ねないんだ。病棟のなかに、とてもいい自殺をしてくれそうな少女がいてね」
「…………」
「彼女はとびきり心が弱くて、体も弱くて……しばらくは守ってやらなければならない。あの子が他人に迫害されるなんてことはあってはならない。絶対に、私の前で、私のために死んでもらう」

 ぼくと彼は狭い部屋に並んで座っていた。椅子なんてないから、地べたに直接だ。12月の床は異常に冷たくて、足の先がかじかんでくる。寒さで、思考がぼんやりと霞む。
 ずっと、彼の言葉には感情や体温が入っていなくて、彼が口をきくたび、余計に部屋が冷えていくような気がしていた。でも、いまは違う。
 彼が『彼女』と口にするたび、その声に熱がこもっていく。コツコツと地面を叩くこぶしに、明確な怒りがこもっている。きっと、彼はクリスマスをその少女と一緒に過ごすはずだった。なのに、自分の不甲斐なさのせいで、こんなところに知らない男とふたりきり。やりきれないのだろう。
 最初、感情のない男だと思った。でも、そんなやつ、いるはずがない。
 彼には明確な殺人願望がある。『人の世を自殺で清める』? そんなの意味不明だ。彼が人を殺すさまは、感情のない機械に似ているのかもしれない。でも、『少女』に対する思いだけは……まともなのではなかろうか、と思った。そこだけがまともだから、なおさら他が歪に見えるだけで。

「お互い、不器用な星の下に生まれたもんですね」

 とぼくは言ったが、彼はすでに眠っているのか、特になにも答えなかった。
 まっしろな部屋は相変わらずの地獄であったが、となりに妙な男がいるせいか、いつものようにぐずぐずな精神にはならずに済んだ。
 眠っている長芳が、うわ言のようにつぶやいた『美野』という儚げな名前が、ぼくの脳裏に焼き付いて離れなかった。
 会ったこともない少女が、いったいどんなにか弱くて儚くて、絶対的弱者なのかを想像していたら、いつのまにかクリスマスが終わっていた。

+++

 翌日、まっさおな顔をして、女史が懲罰室へやってきた。
「K君、だいじょうぶ!? なにもされてない!?」
 と彼女が言い、長芳は「なにもしてませんよ、まだね」と短く吐き捨てた。そんな長芳の目は、女史ではなく、その背後を注視しているようだった。
 よくよく見ると、女史の後ろには細身で青白い顔の女の子がいた。長い黒髪を背中までゆったりと流していて、ピンク色のパジャマを着ている。朝起きて、着替えもせずにすぐにここへやってきた、という身なりだった。陶器でできたようなまっしろな手足がすっとのびていて、妙にぼくの劣情を煽った。いかんいかん、女史に怒られるぞ。

 たぶん、ぼくでなくともこの子にはクラリと来るだろう。特にこの病棟の連中は、こういう弱々しい雰囲気の女子が好きだと思う。被害者と加害者。そのふたつは、この世界では必然として求めあう運命だが、この病棟には基本的に『加害者』しかいない。言ってみれば彼女は、椅子取りゲームの椅子だ。
 ああ、この少女が『美野』なんだ、と直感する。
 独房に入れられた長芳を、こんなにも早く助けに来る。そんなけなげな少女こそが。

「清五さん、生きてる?」
 彼女が見た目どおりの細い声で問うた。彼はまっすぐに彼女を見返して答える。ぼくや女史のことなんて、視界に入っていないようだった。
「ええ。あなたも、生きてますね」
「点滴打って寝てたの。でも、清五さんが懲罰室に入れられたって聞いて……死んじゃうかもしれないって思って」
「これくらいで死にやしませんよ」

 相変わらず無表情ではあったが、彼の声には妙に熱がこもっていて、彼が少女に特別な愛情を抱いているのだと知れる。
 さっきまで、彼は少女に自殺をしてもらいたいと語っていたのに。
 清五さん、と少女が呼びかけるたびに、彼の目のなかで庇護欲に似た歪んだ愛情がゆらゆらと輝くのが見える。
 「自殺させたい」という攻撃的な言葉とは裏腹に、彼と彼女のあいだには、絆がある。
 そして、青年を追いかける少女のなかに、ぼくと同じ『死にたい』が宿っていることを、死にたいぼくはたしかに感じ取ったのだった。



181226


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