この世には、科学では説明のつかない現象がある。こんなことを言うと、急にオカルトに目覚めたと思われるかもしれないが、ぼくはオカルトなんてものは信用していない。オカルトやスピリチュアルを心から信じることができれば、どれだけ楽だろうか! ぼくのなかにあるさまざまな病気も、一気に吹っ飛んでしまうかもしれない。だからこそ、信じられない。病気を失ったら、ぼくがぼくでなくなってしまう。
だがしかし、実はこの病棟には『生きたオカルト』がふたりもいる。ひとりは、わが愛しのC女史。彼女の場合、存在が確認されているのだからオカルトなどと称するのは失礼にすぎるのかもしれない。しかし、病棟の外の人間からすれば、一つ目の美女なんてものは超常現象みたいなものだろう。人類の歴史を揺るがしかねない突然変異体である。
そして、もうひとり。
クリスマスに出会った陰気な青年、長芳清五。
彼こそがほんとうのオカルト、科学ではまったく説明することのできぬ怪現象の主である。
彼の周囲で死んだ人間の数は、もはや数えもつかないほどだという。
病棟内には大量殺人鬼が何人かいるようだが、たぶん長芳はそんじょそこらの殺人鬼とは死のスケールが違う。現代日本の大量殺人なんてのは、多くても30人かそこらだと思う。長芳という現象はそんなレベルではおさまらない。噂では、彼の周囲で死んだ人間は200人をくだらないそうである。
女史やミーコちゃんもやはり、長芳のことを知っていた。知らないのはぼくだけ。「世間知らずすぎる」とあきれた顔すらされてしまった。いやいやまったく、とんだ有名人である。やっぱりサインをもらっといたほうがよかったのかもしれない。オカルトマニアに高値で売れそうだ。
彼の周囲で起きた200個もの『自死』に、まったく彼自身が介在していない。彼はその200人とたしかに会話をし、知り合いではあったが、死の当日に彼が自ら手を下したことは一度もない。いってみれば、200人が彼の目の前で『勝手に死んだ』。それだけなのである。
いやいや待て待て。200人が彼の目の前で自殺した。それはいいとしよう。そんなの、所詮噂だ。事実だとしても、『オカルト』の一語で済む話である。生ける『世にも奇妙な物語』とでも呼べばいいさ。
問題は、彼がここにいる理由である。
まさか、警察や司法がそんな『オカルト』を真に受けて、彼を逮捕したとでもいうのか?
この病棟にいる人間は、なにも違法に監禁されているわけではない。人権なんてないような雑な扱いを受けてはいるが、一応、しかるべき実刑の代わりとして隔離されている。女史のような圧倒的例外を除けば、みな、なんらかの刑罰を『受けることができない』がゆえに病棟にいる。ここで暮らすということは、罪に対する罰なのである。なんの罪もない人間は、ここには入ることすらできない。とすれば。
長芳清五、および美野。ふたりは罪人であるはずだ。そうでなければならない。
罪状は何だ? そもそも、完全に気が触れている長芳はともかくとして、美野という少女はなぜここにいる? 彼女がぼくと同じ死にたがりであることは、ひと目見てわかったけれども……だれかを殺したりするような人間にはとても見えなかったが。むしろ殺される側だと思う。
他人のプライバシーを詮索しないのがぼくのモットーではあるが、さすがにこのふたりは異様だった。「自殺させてやろうか」などという屈辱的なセリフを吐かれたことへのいらだちもあるのだろうか、ぼくは彼と彼女のことが気になってしょうがないのだった。
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「やめたほうがいい」
開口一番、女史はそう言って会話を終了させた。
さすがに、早すぎる。ぼくはまだなにも言ってないんだが。
「長芳のことでしょ? 彼に関わるのはやめて」
なぜ? 自殺研究者の女史らしくないじゃないか。彼はとてもいいサンプル――
「だめ」
最後まで言わせてももらえないか。
「彼とあなたはコインの表と裏みたいに、わたしには思えるの。関係のないわたしだからこそ、強くそう思う。『死にたい』を自分のなかでどんどん加速させるあなたと、『死にたい』を周囲に撒き散らす長芳。きっと、彼も今ごろ、あなたに興味津々よ。でも、これ以上踏み込んではだめ」
持っていかれるから、と女史は言った。この助言はおそらく正しいのだが、女史はこういうところがだめなのだ。
ぼくや長芳のようなひねくれた人間に、「踏み込んではだめ」というまっとうな助言は通用しない。
正論を言うのは最悪手。
だめだと言われたら、ついついやってしまうのが異常者の常である。
正論に対しては、はねつけることでしか応戦できない人間しか、ここにはいないと心得よ。
ぼくは賢いので、ここでは女史に対してなにも言わなかった。
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女史と別れて、そのまままっすぐに談話室へと向かった。
談話室などという呼称は名ばかりで、ほとんど喫煙ルームのような様相を呈している部屋だが……きょうはその部屋に、ひとりしか先客がいない。
切れ長の目。華奢で背が高い風貌。
長芳である。
「やあ。ここに来れば会えると思っていたよ」
「奇遇だな。ぼくもです」
とまあ、女史には悪いが、これがひねくれた人間の意気投合というものだろう。
運命の再会とはやはり、こうでなくては。
「ぼくは、あなたのことが気になっていました」
「奇遇だな、私もそうだ」
先ほどの「奇遇だな」というぼくの言い方を真似て、彼は言った。
目を合わせて、ふたりでシニカルに笑いあう。
……さて。
ぼくは息を思い切り吸って、心を整えてから、彼に尋ねた。
「単刀直入に聞きます。他人を自殺させるっていうのは、どういう理屈でなんです? どうして、あなたと美野さんはここにいるんです?」
「言えない」
運命的な再会からの、にべもない拒絶だった。
まあ、そうだよな。ぼくだって、同じ立場ならそう言うだろう。
「ちなみに、ぼくって異常者なんですよ。かわいい女の子が大好き! 白い肌とか、弱々しい瞳とか、そういうの見ると殺したりなぶったりしたくなっちゃうんです。いや~、美野ちゃん、かわいかったな。サディストの血が騒いじゃうな」
「……私を、脅すのか?」
「脅したりしてませんよ、感想を述べてるだけです。ぼく、自分が死にたい理由について研究してまして。その研究のため、あなたがたの情報がほしいんです」
「…………」
感動の再会などという謳い文句は一瞬で消え去り、殺伐としたムードが漂いはじめる。
まあこれも異常者の常というやつで、正直、予想の範囲内である。
「情報などといえるような、たいしたものはない」
長芳は冷えた声で手短に答えた。
「と、言うと?」
「警察は怖いのだろう。因果関係がたしかにあることがわかっているのに、そこに理屈が存在していないことが。人に手を触れなくても殺せてしまう化け物がいるということが……。だから、やつらは捏造したんだ。私が200人を殺したという事実と、それにまつわる証拠をね」
いつだったか女史は言っていた。オカルトの種明かしはいつだってつまらなくて醜悪なものだと。
彼が今言ったのが真実だとするならば。狂人・長芳の言を信じるとするならば、彼は本物のオカルトだということである。そして、彼がここにいる理由はオカルトではない。司法と警察が彼を殺人犯に仕立て上げた。立証できない完全犯罪を立証するために必要なことは、名探偵の推理でも何でもなく、証拠の捏造。実刑を受けるわけでもなく、ここに収容されているのは、つまり「正式に立証できていない」から、ということなのだろう。
だれも長芳の罪を冤罪として取り上げなかったのは、彼がほんとうにそれをやりそうな雰囲気を醸し出しているからで、事実を否認してもいないからだろう。世の冤罪事件というのは、本人が否認しなければはじまらないのがふつうだろうから。
「冤罪だと主張しなかったんですか?」
「……それについては、言えない」
彼が黙秘を貫いている理由が、ぼくにはすでに察することができる。
彼は自分自身についてはいくら暴露をしてもいいと思っている。
が、『彼女』については話したくないのだ。
ここまでくれば、答えは明白。
「彼女のために、冤罪の主張をせず、ここへ来たんですね?」
「…………」
沈黙が雄弁に語る。
彼女がここへ収容されている理由は不明だが、彼がここにいるのは、彼女のためだと。
「ぶっちゃけた話、ぼくは不安なんですよ、あなたが女史やぼくに余計な手出しをするんじゃないかと。それで、お互いの不安の解消のために、こういう協定を結ぶのはどうでしょう?」
「……どんな協定だ?」
「ぼくは美野ちゃんに手出しをしません。その代わり、あなたも女史には手を出さないと誓ってください」
「片方がそれを破ったら、どうなるのか……は、言わなくても想像できるな」
長芳は従順だった。なんの反論もしなかった。このかつてない素直な態度が、彼が美野をどれほど強く思っているのかを表しているような気がした。
話はこれで終わりだろう、と言いたげに、長芳は席を立って背を向けた。
「では、きょうのところは失礼する」
「美野ちゃんに会いに行くんですか?」
「ここは野蛮な人間が多いからな。わたしが定期的に行って、圧力をかけてるんだ」
親ばかか。ぼくですら、女史に対してそこまでの過保護は発揮していないというのに。
まあ、病棟に野蛮な人間が多いのは確かである。彼が圧力をかけることで、余計な揉め事が起きなければよいのだが……。
「じゃあ、また生きてたら会おう、魂の双子さん」
「その呼び名は認めかねるが、生きていたら会うというのは賛成だ。汚らしい自殺志願者くん」
ということで。
ぼくは病室へと帰った。
長芳という彼とは、きっと長い付き合いになるのだろうと直感しながら。
『生きたオカルト』、長芳。
ぼくは、彼のことを嫌いにはなれそうもない。
コインの表裏とはよく言ったものだ。
ぼくが女史に固執するように、彼は美野に固執し。
ぼくが自殺を求めるように、彼は自殺を撒き散らす。
きっと彼も同じことを考えているだろう。ぼくはそれが気に食わなかった。自分と同じ人間がもうひとりいるなんて、それだけでぞくぞくするほどに気分が悪い。いつもみたいに気分が悪すぎて気分がいい、という矛盾も吐けない。ただただ気分が悪いだけである。
彼がこれからたどる運命の先に、自分の運命が映し出されているように思えて、ひどくいやな気持ちになった。
未来を予測する水晶玉の向こう側なんて、だれものぞきたくはない。そこにはおぞましい運命しか待っていない。ぼくという人間の先に幸せが待っていないのと同じく、長芳の未来には不幸しか待っていないに決まっている。
決まって、いるんだ。
双子の顔は見たくない
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