【 料理と駄洒落 】

 彼と俺。二人でルームシェアをするにあたり、何かおもしろいルールを設けようということになった。男子二人きりのむさくるしいルームシェアに、何か清涼剤がほしいと思ったのだ。先に提案を考えついたのは彼だった。

「じゃあ、こういうのどうかな。一日ひとつ、ダジャレを披露する。つまらなかったらその日のメシ作りはそいつの担当。おもしろかったら逆に、メシをおごる」
彼はそんな風に言った。ダジャレ好きな彼に有利なルールではあったが、まあメシを作るのは得意だからいいだろう、と思った。

 数日経過して、俺は寝る前に辞書を読むのが日課になった。なんとなく開いたページから、20ページほど読み進む。知らない単語がたくさん現れて、脳のいい刺激になる。
「やると決めたらとことんやるタイプだよな」とは彼の弁。
 しかし、そんなことで簡単に勝つことはできなかった。
 辞書で多少語彙を増やしたところで、俺がおもしろみのない人間であることは揺らがないのだから。
 そんなこんなで、俺は今日もキッチンで夕食を作っている。ここ最近は自分がずっと料理をしている。エプロン姿もずいぶんと様になってきた。と自分では思っている。

 そうして気づいたのだが、夕食を作るというのは、ひとつの儀式のようで、非常におもしろい。
 一人暮らしのときには考えていなかったのだけれど、限られた時間と予算の中で、自分の納得できる味のものを作ろうと考えると、精神が異様に研ぎ澄まされ、思考がクリアになる。そして、研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほどおいしい料理に昇華する。バトル漫画の修行シーンを再現しているような気持ちだ。サラリーマンをやめて料理人になってしまいたくなるほどだが、おそらく、仕事にしてしまってはいけない領域でもあるとも思う。皿に盛り付けるのにも精神統一が必要だ。一度載せてしまうと、もうポジションを変えられない料理もある。
 完成すると、とても安らかな気持ちになる。ああ、やりとげた。という心地良い脱力と、達成感。彼がおいしく食べてくれれば万々歳だ。もちろん、「これは俺の好みじゃねえわ」と言われてしまう時もある。そういうときには、次にはどんな料理で迎え撃つべきかをまた考える。終わりのない戦いなのだ。
 そして、作り終えた後には、もう一作業、残っていたりする。


 皿を運びながら、俺は挑むようにさらさらと呪文を唱える。
「はい、昼間に閃いたヒラメのムニエル。孫がゆでたゆでたまごのサラダを添えて。デザートにはプリンがたっぷりんだ」
まったくもって寒々しいダジャレ。もはや半分ヤケクソである。お寒い空気になるかとおもいきや、彼はくすくす笑った。
「メシができあがってから考えてどうする」
「俺には、ダジャレよりもメシのメニューを考えるほうが向いてるんだ。だから、これでいい」
真顔で答えた俺をじっと見つめて、彼がからりと笑った。
「おまえ、いい顔するようになったな」
なんだか自分の誇りを認めてもらったような気になって、俺は心のなかでガッツポーズを決めた。



2014年4月10日