【 春光や 】
ふりかえると、さくらが咲いていた。季節すら忘れたまま、祖国へ戻ってきたという事実を思い出した。わたしは兵士として遠い国に送られ、ようやく帰ってきた。遠い国では、毎日、ジャングルの中で暮らした。いつ敵が襲ってくるかわからない場所で、迷彩の服に身を隠して。夜の闇には魔物が住んでいるような気がして、まったく眠れない。それは長い長い旅路に思えた。
戦場は、われわれ兵士にとって、ひどく過酷だった。しかし、国家単位で見れば過酷でもなんでもなかったかもしれない。兵士は命がけの戦いを強いられていたが、敵国とわれわれの間には明らかに戦力差があり、勝利は最初から約束されていたからだ。多少の犠牲が出たとしても、その犠牲はわれわれの国を滅ぼしうるものではなかった。
その証拠に、さくらの花びらが散る故郷の町は、ひとつの戦争をやりすごしたとは思えないほど、静かだった。以前と変わらぬ町並みがあり、穏やかな季節がある。この町には戦争の爪痕がない。犠牲がない。少なくとも、表向きは。
戦争に勝ったせいだろうか。町はどこもにぎやかだ。
ひとびとの目は疲労してはいたものの、澄んでいた。
わたしも、ひどく憔悴してはいたのだが、もう戦わなくていいと思うと足取りは軽かった。家では恋人が待っているのもあって、スキップするようにさくらの町を歩いていった。
町は本当にどこもさくらでいっぱいだった。地に落ちた花弁も、やわらかな春風によってふわりとまた空へ帰る。空気そのものを薄桃色に染めるように、ふわり、ふわり。やわらかな彼女の微笑を思い起こさせるその姿は、まさに戦争に勝ったこの国にふさわしいものだ。
ふわり舞う花弁に導かれるように、わたしは我が家へと帰ってきた。「この戦争が終わったら、結婚しよう」--そんな約束をした彼女は、このドアの向こうにいる。
「ただいま」
扉を開くと、そこには一人の女性が力なく座っていた。
「…………」
おかえり、とは言わず、彼女は代わりにこう言った。
「わたし、とても疲れたの」
「体調が悪いのかい?」
「ううん。あなたを待っているのが、とてもつらくて、疲れたの」
彼女は肩を震わせて静かに泣きはじめた。久々に帰ってきたというのに、まさかそんな反応をされるとは思わなかった。わたしはひどく狼狽した。
「毎日、あなたが死んでしまったんじゃないかって思うと、わたしも死んでしまいたくなったの。この国が勝ったって、あなたが帰ってくるって保証されているわけではないんだもの」
「ぼくは、こうして帰ってきたよ。だからもうそんなふうに心配しなくていい。一緒に暮らそう」
「ううん。わたしはここから出て行くわ。恋することや、大事なひとがこの世に存在することが、こんなにつらいなんて知らなかったの。わたしはもう、あなたを愛せないわ……愛せば愛すほど、あなたを失うときの自分を想像して、こわくて、こわくて、たまらなくなる。もう、戦争なんて関係ないの。この感情を知ってしまったから、戻れない」
彼女は顔を上げて、涙を溢れさせた顔で、わたしを見つめた。
「今までありがとう。わたしはもう、あなたを愛せない。愛よりも恐怖が勝ってしまったの。ひとりぼっちになりたいの」
わたしは、そんな彼女に何も言うことができなかった。彼女は疲れた顔をしていたが、その目にははっきりと光が宿り、散ってもなお風にのる花弁のごとく、輝いていた。その光は、孤独を望む彼女の強い意志なのか、それとも、わたしを愛してくれていた残滓なのか……正体はわからないが、それは確かに春光だった。光をそこに灯したのは、われわれ兵士に栄光を与えた、戦争という名の悪魔であるらしい。わたしは迷彩色の帽子をようやく頭から取り払いながら、それで口元を隠し、少しだけ泣いた。涙は舞うことはなく、ただ、戦場の土で汚れた帽子のなかへ消えた。
2014年4月17日