ひとつの部屋に、ふたつの毛布。
とてもかなしいけれども、それが今の私にとって、唯一の現実だった。
きのう、私の大好きだった彼女は、この部屋を出ていった。
もう二度と戻っては来ないし、私物も全部あげる、と言い残して。
彼女は無二の親友だった。大学に入ったばかりのころから、ふたりきりで暮らしていた。
ルームシェアによって家賃を安くするというのが主な目的だったのだが、今回、彼女には私とは別に同居の相手ができたらしい。
彼女はおとこのひとに恋をしたのだ。それが誰なのか、私は知らない。
親友同士、ふたりきりの空間というのはとても心地が良かったのだ、と私は思い返す。
こんなにも、ひとりの部屋がかなしくて広いなんて。ふたりで暮らしていたころにはまったく気づかなかった。
もう春なのだが、まだ片付けられていない毛布に触れてみる。
去年の冬、ショッピングモールのなかのPASSPORTで買ったものだ。彼女と私、同じ大きさのものを、色違いで一枚ずつ。冬の間、それにくるまって、テレビを見たり、ゲームをしたりしてずっと過ごしていた。そんなふたりの冬の思い出を象徴する毛布は、今は私の手に二枚もあるのだった。重ねてかけてみても、当然のことながら熱すぎる。
でもあえてそのままの姿で、「今はもう春なんだ、そして彼女はもういないんだ」と心のなかで繰り返してみた。
大事な友人の旅立ちを、本当はすぐにでも祝福すべきなのだろうと思う。しかし、私はどうしても寂しいと思ってしまう。もう何年もここにいた彼女が、もう新しい道を歩みはじめてしまった。私はまだ、何も始めていない。心は冬をひきずり、凍ったまま。
彼女の掴んだ春は、この世界のどこにあるのだろう、どこを探せば見つかるのだろう、と思った。
もちろん、本物の春は私の目の前にある。毛布を片付け、窓を開ければそこにはあたたかな空気や咲いたばかりの花々があるに違いない。
けれど、私は今日一日くらい、まだ、春と出会わずにおきたかった。
ふわふわで、もこもこで、まだあたたかさを失っていない、冬の毛布。そんな親友の思い出に、きちんと別れを告げておきたい。もっと晴れやかな祝福を心に満たしてから、この窓を開けよう。
大丈夫。
彼女は死んでしまったわけでも、喧嘩別れをしたわけでもない……ただ、ここにいないだけなのだから。
祝福の気持ちは、寂しさの儀式を終えてからやってくるだろう。
あらたな孤独と、次の目標への挨拶は、その儀式のあとでもかまわないはずだ。
明日は日曜日だから、毛布を洗濯機に入れてしまうことができるな、と……私は存外、冷静に考えながら、春の床に転がって目を閉じた。
20140519