MorningCoffee

 もうずっと、朝を見ていない。
 「朝を見る」とはどういうこと?と彼女は言うだろう。彼女とは、ぼくの愛しい人であり、ぼくの双子の姉でもある。もはやこの世にはいないので、ぼくは「自分がこうすれば、彼女はこう言うだろう」という予想ばかりして生きている。

 『朝を見るとは、どういうこと? あなたにとって朝とは、なに?』

 脳内の彼女がそう問いかけたので、ぼくは答える。
 「ぼくのいう朝とは、目覚めた瞬間のことであり、かつ、いわゆる『午前中』であり、目を開いた瞬間に朝日が瞳を不条理に焼いていく、そういうもののことだよ」
律儀に声に出して答えてみたけれど、誰も答えない。ここはぼくひとりだけが住んでいる家のリビングなので、当然といえる。

 「それで、ぼくが朝を見ていないという話だけれど、その理由はふたつあるよ。ひとつは、起きる時間が不規則、かつ夜が多いため。夜に起きると、体にとっては朝かもしれないけれど、やっぱり普遍的な意味での「朝」とは言いがたい。ふたつめの理由は、この家には窓がないから。朝日がさしこまなくても理論上は「朝」であるかもしれないが、やはり、朝日という存在なくして「朝」を定義することは、ぼくには難しいね。」

 脳内の彼女はくすくす笑って、『へえ、この家には窓がないのか。それはどうして?』と問いかける。彼女は生前から、こうしたいじわるな問いかけを繰り返す人物であった。そんな彼女とつがいの双子になっていたぼくも、基本的にはいじわるな人間だ。

 「そんなこと、きみはもう知っているはずだよね。前にも説明したし、それに……」きみはぼくの頭のなかに住んでいるのだから。本来、このぼくに問いかけを発する必要のない存在であるはずだ。

 姉は何も聞こえていないように、
 『忘れてしまったんだよ。説明してくれてもいいんじゃないかな。減るもんじゃなし』と言った。尊大な態度だったが、そんな姉のことを、ぼくはもっとも愛していた。

 「そうだね、減るものではない」ただし、ぼくの精神はゴリゴリすり減ってる。「ぼくにとってとても大事なことが起きた日が数年前のとある夏の夜だったんだけれど……まあ、その日からぼくは、太陽の光を浴びることをやめた。家中の窓を閉ざした。とても大事なことを忘れないためにね。その日から、真実の朝はこの場所には訪れないんだ。『明けない夜はない』なんて、真っ赤な大嘘ってこと。」

 『ふうん』興味のなさそうな相槌に、『そっか』それよりさらに興味を失った声だった。
 「自分から質問をしておいて、そういう態度は不誠実だ」けれど、そういう態度がぼくにとってはとてもありがたい。「まったくもって、きみは……」

 そのセリフは途中で終わらせて、ぼくは今日も研究作業を開始する。この研究の内容は極秘であるため、ここに記すことはできない。ただ、これは失った双子の姉を救済するために必要な研究である。毎日をこの研究に費やしているが、研究の結果がどうなったとしても、ぼくは早いうちにこの世から消えるだろう。それだけの罪を、ぼくはこの家で行っている。しかし特に後悔や懺悔はしていない。失った半身はぼくにとって世界のすべてだったのだから、姉の名誉を取り戻すためになら、ぼくはなんでもするだろう。

 『それって、とても刹那的でバカバカしいという気がしない?』
 姉の問いかけに、ぼくはニッコリ笑ってこう答えた。
 「この世界で価値のある唯一のことってはね、誰にとっても、刹那的でバカバカしいものであるもんさ。きみにも思い当たるところがあるはずだと思うんだけれどね。」
 『わからない。価値のある唯一のものは、もはやわたしにとって刹那ではなくなってしまった』

 今度はぼくのほうが聞こえなかったふりをしながら、作業の合間にコーヒーを淹れることにした。コーヒーメーカーを愛でている時間は、ぼくが人間らしい心持ちでいられる貴重な時間であった。コーヒーは必ず二杯入れ、彼女の分のコーヒーはカップごとダスト・シュートに入れてしまうことにしていた。食べ物や飲み物を粗末にするな、なんて野暮なことを言う人間がいないことが、ぼくと姉にとって唯一の救いだった。


20140521