銀行強盗

「手を挙げろ、金を出せ」

ATMで金をおろしている最中に、背後でそんな声がした。長い人生、必ず一度はテレビや小説で目にするセリフだと思うが、実際に現実の世界で耳にするのは初めてで、新鮮だった。コテコテのテンプレートというものは、ごくごくたまに、とても鮮やかに心に響くときがある。
 振り向いてみると、これもコテコテの、ストッキングを頭からかぶったような服装の男が二人、受付嬢たちに包丁を突きつけていた。どうやったらここまで「ありがち」な銀行強盗をできるんだろう。その精神はちょっと見習いたい。
 などと支離滅裂なことを考えつつ、ぼくは彼らに少しずつ歩み寄っていった。
「やあ」
ぼくは、片手を挙げて軽やかに挨拶してみせる。黒いストッキングをかぶった男は、ぼくの姿を視界に入れ、わずかに見える目を三角にした。
「おい、おまえ、手を挙げろ。動くんじゃない」
言われたとおり、手を挙げた。小学生の頃から、手を挙げて褒められなかったことは一度もないという、非常に優秀なぼくなのだが、なぜか今回は褒められなかった。
「なんだおまえは」
ぼくの挙動が妙に気になるらしく、黒スト男の隣の男……まあ彼も黒スト男なのだが……も目を三角にしてぼくを見始めた。人気者の宿命というやつか。
「ねえ君たち、殺人鬼の話は知ってる?」
人気者として、ぼくは軽やかかつ親しげにそう語りかけた。自分から積極的に話題を振るのはジェントルマンの宿命でもある。誰にでも答えられる簡単で身近な話題がベター。包丁を振り回し、今にも人を殺そうとしている彼らに、殺人の話題はぴったりだろう。完璧なマッチング。

 しかし、彼らは目を合わせてなにやらひそひそ言うだけで、答えない。
「ちょっと、話しかけている人を無視するのって失礼だよ。ちゃんと答えないとコミュニケーション能力に難があると思われてしまうし、第一印象がよくない。ほら、答えて。殺人鬼の話だよ」
「そんなもん知るか!黙って財布を出せ」
ああ、なんという悲しいコミュニケーションなんだろう。ぼくは殺人鬼の話が聞きたいと言っているのに。財布を出せだなんて。楽しい語らいの場は終わり、もうお会計。
「じゃあ、ぼくの知っている殺人鬼の話をするよ。彼は、もう14人は殺して追われている。日本人の青年なのだけれど……」
ぼくは財布をゆっくりと出しながら話しだす。できるだけ長く話したいので、財布は非常にスローな動作で取り出している。彼らもせかすつもりはないらしい、黙って聞いている。

「一説によると、彼の殺人は非常に手際がいいらしい。現場に証拠がまったく残っていないんだね。死体も、身元の確認ができるものが残らない状態で見つかっていて、警察はお手上げらしい。死体が見つかるのは、毎週金曜日の夜。そう、今夜だ。誰かがまた殺されるのはわかっているけど、それが誰なのか誰も知らない。もしも今日も死体がでるのなら、これは日本の犯罪史上に残る名犯人といってもいいくらい」

「おい、おまえ。気味の悪い話をするのはやめろ。俺たちがほしいのはその財布だ」

一生懸命に話したのに、気味が悪いなんて言われてしまった。とても悲しいが、ジェントルマンたるぼくはにっこり笑った。
「いやあ、長々と話してすまなかったね。これが君たちのほしいと言っていた、ぼくの財布だよ」
黒い長財布をさっと彼らの前に出しながら、
「でも、この財布は高いんだよな」
と、少し愚痴ってみせる。
「なんでもいいから、よこせ」
そう言ってきた黒ストッキング男の手首が一瞬にしてなくなった。それから数秒もたたないうちに、彼の首の血管から血が吹き出た。
何が起きているかわからないままに、彼はバタンと倒れて死ぬ。

「な、なんだ!?何をした!?」

ざわめく残党を狐のような目で見つつ、ぼくは黒い財布をくるりとまわしてみせた。
「さっきの話の続きだけど、その日本の犯罪史上最強の殺人鬼というのは、ぼくなんだ。いやあ、自分の話をするのって照れちゃうよね。だから、君たちに先に話してほしかったんだけど……」
などと話しながら、受付嬢を含め、4人ほど殺傷しておいた。スキップをしながら家に帰ると、緊急ニュースで、銀行強盗が仲間と受付嬢を殺して逃げた、という報道がなされていた。間違った情報を流さないでほしいなと思いながら、ぼくは長財布に仕込んだナイフの血をぬぐって片付けることにした。


20140527