にごり風船



「……なあ、あれってなんなんだろうなあ」

と、ぼくは空を見上げながら言った。
ぼくの隣にいたアオは、「さあねえ」と首を傾げただけだった。

上空では、大きなバルーンのようなものがふわふわと浮いている。
しかしながら、あまりにも巨大であるため、地上からはその全貌を観察することができない。バルーンとはいったものの、バルーンの形にすら見えない。ただ、地球全体を覆う膜のような形状をしている、ように見える。
連日のニュースでは、突然上空を覆ったあの謎の物体について議論がかわされていた。まっとうな議論になることなどほとんどない。科学者や霊能者、各種専門家など、さまざまな人間たちが集められてはいるものの、ここまで正体の分からない巨大な物体となると、科学や最新技術をもってしてもオカルトにしかならないのだ。

上空からの観察はもちろん行われているらしいのだが、詳しい観察結果はまだ発表されていない。衛星カメラなどの技術は使いものにならない状態らしいと言われている。正式な発表はまだだ。どうやら、少なくとも月と地球のあいだをパンパンに埋め尽くすような大きさではあるようだ。もしかすると月はすでにあれに潰されているのかもしれない。

近代の日本人は、科学さえあればなんでもできてしまうような、なんでも解明できてしまうような、そんな夢心地に浸っていたかもしれない。でも、そんなことがあるはずがない。そもそも、科学と、霊能とのあいだにいったいどんな明確な差異があるのだろうか。仮に、どんなことをしても一定の数値が出ることを正しい科学実験と呼ぶのであったとしても、そこに霊能が介在していないことを証明することは不可能なように思える……と、これは科学的な知識をまったく持たない中学一年生男子であるぼくの、くだらない感傷である。そう、ぼくには知識の基盤というものがまるでない。だから、これ以上、あのバルーンについて説明をすることができない。不出来な語り部というやつなのである。

アオはぼくよりももっと何の知識もない、10歳の少年だ。だから、澄んだ目をしてバルーンを眺めている。
人間は、知識を持てば持つほど、年をとればとるほど、目のなかに余計なものが入りこんでとれなくなる。ぼくはそれらの有用な知識を「にごり」と呼んでいた。大人は、たしかにいろんなことを知っているかもしれない。高校生は、受験のためにたくさんの問題を解き、たくさんの知識をたくわえているかもしれない。きっと、とても役に立つたいせつなものにちがいない。
でも、彼らはアオのようにうつくしい目で物事を見てはいない。
にごった目の映す景色にどれだけの価値があるだろう。
ぼくは少なくとも、そういう、にごりのあるおとなになりたくなかった。

「ぼくはあれがきらいじゃないんだ」

上を向いたアオは、バルーンに向けてそう言った。その気持ちは、なんだかわかる気がした。科学を持ってしても、解けない謎。その謎は、ぼくらから科学の価値を奪っていく。「にごり」の価値を、奪っていく。あのバルーンが空に存在し、日に日にふくらんでいくかぎり、もっとも解くべき謎を解けない科学の品位は地に落ちるだろう。もちろん、同じように事態を解決できないでいる霊能力の信ぴょう性も疑われるにちがいない。

しかし、こうなってしまうと、もはや科学と霊能力はまったく同じガラクタの価値しか持たないものとなる。科学者はあれの謎を解くために人生をかけるだろう。彼らの目はにごりに満ち満ちて、きらきらと輝きはじめるだろう。その輝きは見る人を感動させることもあるかもしれない。霊能者たちも、自分たちの霊能であれをどうにかしようと、反撃を開始するにちがいない。その反撃は、末世に特有の新興宗教を形作るかもしれない。科学と霊能とのあいだに、優劣はもはや存在しない。少なくとも、このぼくの目からは、そう見える。

「おとなは、いつもぼくらを上から見ているね。すぐに説教をするね。それは、おとなが偉いからだ。長く生きている方が、この世界では偉いらしい」
アオは滔々と語る。
「でも、今はどうかな。ぼくらを上から見ているのは、おとなたちではない。ぼくが10歳であることも、きみが中学一年生であることも、もうこの世界では意味のないことだね。だって、一番上でみんなを見下しているのは、あいつなんだからさ……」

ぼくはアオと一緒に空を見上げた。あのバルーンは、見るものによってちがう色に見えるといわれている。ぼくにはにごった夜空のような暗い色に見えるのだけれど、アオの話では、あれは虹のように優しく、太陽のように輝いて、まったくにごらないきれいな色をしているのだという。
そんな彼から見たぼくの目は、にごっているのかもしれない。
だから、彼はいつだって上ばかり見て、ぼくのことを見てはくれないのだった。


20140613