サンゼの門



 私は、サンゼの門の役人である。サンゼというのは私の世界における名称・概念であるので、これを読む世界の皆様方にはなじみのない言葉であると思う。同じ意味の言葉はそちらの世界にはないため、意味を共有することは難しいだろう。
 皆様方の世界の言葉でもっとも近い意味のものを探すとすれば、「三途の川」だろうか。
 私はそちらの世界の言葉には詳しくないため、もしかしたらぜんぜん違うものかもしれない。このように、必然的に、私は自信のないままでこの先も語ることになると思う。共通の概念がある場合は簡単に翻訳できるのだが、それがない場合、解説するのは非常に困難だ。

 本来、私のような、他人の世界を知らない人間が、このようなことを説明する際には、両方の世界に通じている翻訳者のようなものが必要である。たとえば私の仕事のなかで、「ハン」という用語があるが、これもまた翻訳が難しい。サンゼの門は、モノとモノの「境界」に存在する。そして、その境界線を超える際には、「ハン」が必要だ。「ハン」を通過したモノたちだけが、サンゼの門を超えることができる。逆に言えば、「ハン」さえあれば、この境界を自由にまたぐことができる。

 では、「ハン」とはなにか……と皆様は思うことだろう。が、私にはこの儀式をうまく口頭で説明できない。ので、今日の私の仕事の情景を詳しく述べさせていただこうと思う。情景描写であれば、もしかしたら、概念を共有せずとも伝わるかもしれないからである。

 私の仕事は、サンゼの門の鍵を解錠するところから始まる。解錠ができるのは役人だけである。解錠すると、門の前にずらりと動物たちが並んでいる。皆様の世界では、動物というのにも様々な分類があって、人間、猫、犬、虫、プランクトン、植物などいろんな名前があるらしいとお聞きしたが、残念ながらサンゼの門にはそのような分類はあまり意味がない。私の目はすべての動物たちを等しく、「動物たち」(本来はこれにも専用の名称があるのだが、面倒なので皆様方の言葉で言わせていただく)としか認識していない。

「えー、皆様。本日はサンゼの門へお越しいただき、ありがとうございます」
形式的に適当な挨拶をして、私は次なる説明へと移っていく。この際、「動物たち」すべてに通じるような言語で話しているが、それは皆様方の世界だと「テレパス」というものに近いかもしれない。何度もわかりづらい説明をしてしまい恐縮だが、私どもの「サンゼの門」には、種族によって言葉が異なったり、伝達に齟齬が発生するという現象はない。よって、「翻訳」というのも基本的には必要のないものなのだ。

「初めての方もいると思うので、ちょっと『ハン』をやってみせます。何、誰にでもできる簡単なこと。一番前の方、前に出て」

と促すと、一番前……何かの皮肉なのか、一番前にいたのは、そちらの世界ではネズミと呼ばれるものだった。なお、この世界では「移動できない」という現象もない。植物であろうとも、動けないほどの怪我を負っていようとも、宙に浮くことで移動できる。サンゼという概念は、すべてのものに平等であるという意味も持っているかもしれない。
 私が右手を差し出すと、ネズミの体が中空にふわりと浮く。その前足に私の手が触れる。ぎゅっと、握手のように結ぶと、彼の前足に「イン」が結ばれた。「イン」という概念も説明の難しい物なのだが、こうして握手で「イン」を結ぶ行為、これが「ハン」だ。
 役人はこうして動物たちの前足、あるいは手、あるいは前足でも手でもない体の一部(なお、サンゼの門において、前足と手を区別する単語は存在しない。これらをわざわざ区別する皆様の言語は正直、理解しがたい)に「イン」を結ぶことにより、サンゼの門を通ることを許している。彼らの手はみな一様にやわらかく、あたたかい。

 ちなみに、「三途の川」というのは死んだものだけが通れるものらしいが、「サンゼの門」はそのようなものではなく、前世から来世へ、来世から前世へ、あるいは現世へ……など、「ハン」さえ行っていればどのような方向の移動も可能な、開かれた場所である。「ハン」を行ったものはサンゼの門に関する記憶を失ってしまうが、おそらくは皆様も、何度も通過しているはずだ。つまり、私はあなたがたのすべてと、このように、やわらかく、あたたかい握手を交わしたことがある。

 サンゼの門に、そちらの世界のような、日がのぼり、そして沈むといった時間の常識はない。すべてのモノたちに「ハン」による通行許可を与えたところで、門を閉める。そこが便宜的な一日の終わりとなる。門が閉まっているあいだは、ただただぼんやりと、境界から見える世界を眺める。なかなか悪くない眺めである。それを見ながら、私は、あのやわらかい手を、前足を、思い出してはにっこりと微笑む。サンゼの門は誰に対しても平等に開かれている。どうか、現世の不平等に不満をお持ちの方は、訪れてくれればいい。やわらかくあたたかい握手でもって、私はあなたと「イン」を結ぼうと思う。


20140620