とても説明の難しいことなのだが、私の家には、私の他に、女の子がひとり住んでいる。
少女は小学校五年生ほどだろうか。長くうつくしい緑の黒髪をひらひらとさせながら、いつだって元気に、居間を走り回っている。
大好きなドラマがはじまると、テレビの前にスタンバイしてはキャッキャと喜んでいる。
私が話しかけると、にこにこと快活に笑いながら、なんでも聞いてくれる。
少女であるので、さすがに的確なアドバイスをくれることなどはないのだが、静かに聞いてくれるだけで非常に満たされる。それだけの癒しが、この少女にはあった。
彼女は私の産んだ子ではない。私には恋人はいないし、異性と夜を共にしたこともなかった。
私がひとりでこの家に越してきた時、少女はベランダの手すりに腰掛けて、明るい笑みを浮かべていた。
「おかえりなさい」――たしか、少女はそんな風にあいさつをしたと思う。
なぜだろうか、私は「部屋に少女がいる」ことについて、誰かに通報するだとか、相談するだとか、そんな行動に出ようとは思わなかった。
ただ、少女と過ごすうちに、ひとつ、思い出したことがあった。
小学校の頃のことである。
私には友人が少なかった。現在も内気な性格がなおらずいろいろと苦労しているのだけれど、当時はもっともっと内気だった。そんな私に一年間だけ、とても仲の良い友人ができたことがある。
とても仲が良かったにもかかわらず、その子の名前は知らない。あるいは、知っていたけど、思い出せないだけかもしれない。
きれいな黒い髪を伸ばしている少女は、いつも体育館の裏で本を呼んでいた。
私はある日、そんな少女と出会い、共通の本の話題で盛り上がるようになった。
どちらから話しかけたのかは覚えていない。
ただ、本の世界にしか興味がなかった私が、友だちと話していて楽しいと思ったのは、そのときが最初で最後だった。
その子と過ごしたのは、一年間だけ。会う場所も、体育館裏だけだった。
小学六年生になったばかりの、一学期の始業式の日。
私は、いつもどおりに体育館の裏へ行こうとした。が、どうやら何か苦情でも来たらしい。体育館裏へつづく扉には鍵がかけられ、その場所にはどうあがいても行けないようになっていた。
校内にあの子がいないかと探したのだが、結局、卒業までに姿を見ることはなかった。
私は、何がなんだかわからないままに、友人をひとり失った。
その後、自分なりに調べてみたのだが、どうやら小学六年生の春、クラス替えの際、ひとりの少女が他校へ転校していたらしいことがわかった。とても引っ込み思案で病弱な少女だったらしく、集合写真にも、イベントごとに撮られた写真のなかにも、存在は確認できなかった。卒業アルバムの集合写真の外側にあった小さな写真もなんだかぼやけてしまっていて、あの子なのかどうかよくわからない。
とてつもない後悔と喪失感が、私のなかにあった。
少女はもう、私のなかでは死んでしまったも同然であった。
黒髪のうつくしい少女。彼女はもう、私の観測できる範囲には、絶対にいないのだった。
中学校へ上がった私はとても悔やんだのである。せっかく大切な友人だったというのに、どうしてあんなふうに、一時的にしか一緒にいられなかったのかと。せめて、名前を、住所を、聞いておけばよかった。
それから、友人と呼べる友人はつくれなかった。
同級生と仲が良くなりかけたことは何度もあったのだけれど、どうしても、あの子のことが浮かんでしまって、うまく関係が構築できなかった。もともと内気なのもあって、ぼんやりとひとりで過ごしているだけで、中学、高校、そして大学を卒業し、就職してしまった。
就職してから数年して、転勤が決まった。それで、別の家に住むことになった。そこにはこの少女がいた。
「おかえりなさい」と微笑む少女は、たしかにあの頃、一緒に語らった少女に似ていた。年齢もぴったりと合う。どうしてあの頃のままの風貌なのかはわからなかった。幽霊なのかもしれないし、寂しい私の妄想なのかもしれない。あるいは他人の空似だろうか。しかしまあ、そんなのはどうでもいいことであった。エゴイズムかもしれないが、今の私にとって大切なのは、少女の正体を明かすことではない。ただ、孤独ではなくなった。その事実が、私の心をうつくしい黒で満たしていた。今の私は、とても幸福だと思う。少女に名前を尋ねるようなことは、おそらくしないだろう。
20140623