露天



 その朝は雲ひとつない快晴で、少年は二ヶ月ぶりに早起きをした。
 着替えて外にでると、鯉のぼりが高く泳いでいる。それを見て彼は、何もせず過ごしてしまったこれまでのゴールデンウイークのことを思い出した。食べられるものをゴミ箱に捨ててしまったような、嫌な気分になる。

 幸い、今日、五月五日はこれから平和島に行く予定なので、ゴールデンウイークのすべてをムダにするようなことにはならない。文学フリマ、というものに行く予定なのである。
 文学フリマと呼ばれるものについて、少年は多くを知らない。ただ、彼は小説家志望であったので、少し、他人の創作について学びたくなったのである。

 東京流通センター駅に降り立ち、彼はイベント会場に入った。
 予想していたよりも少なかったが、中には人があふれていた。
 半ば圧倒されながら、何冊か本を買った。それを売っている人間たちも熱気にあふれていて、本を手にとった瞬間、そこから熱が伝導してきたような錯覚に陥る。
 少年はすでに場の空気に呑まれていた。何冊本を買っても、熱気が伝わって、そのたびに自分はどんどん冷めていく。いや、冷めていくのとは違う。自分の温度の低さを自覚させられるだけだ。温度の高いものを触ったとき、熱いと感じるのは、自分がそのものよりも温度が低いからだ。
 完全にその大きな熱に呑まれたまま、帰路につくことにした。

 帰り道、郊外へ向かう電車に乗りながら、少年は考えていた。
 自分に、あのような熱気があるだろうか。
 たしかに、自分は小説家になりたい。その夢は本物だった。しかし、あんなに熱意を持って文字と戦う人々がいる。自分はそうなれるだろうか。

 電車の窓から見ると、雲ひとつない快晴かと思われた空に、紫色の雲がかかり、少し暗い色になっていた。まさに、今の自分もあんな色をしている。他人の熱気を、自分の熱気へと換えることができない。熱せられた水蒸気は、空へ昇って冷やされた瞬間に雲へと変わる。今の自分を包んでいるのは、まさにその紫の雲であった。

 雲に包まれたまま、玄関のドアを開いた。むっとするような内側の空気。熱かった。もはやそのように熱いものには、今日は触れたくないような気がしていた。もちろん、これが不誠実な態度なのはわかっている。自分だって、文字を操るのが大好きだったはずだし、買ってきた本を読めば、その内容に心が躍ることはまちがいない。

 しかし、今日は冷房を入れて、ふわふわの雲に埋もれて眠りたいと思った。ゴールデンウイークの終わりを感じながら、少年は居間のソファに本を放り出し、そのまま眠ってしまった。夢のなかでは、雨が降っていた。地面に下降した水の粒を見ながら、ああ、明日は晴れるだろうな、と夢のなかの彼はしみじみつぶやいた。


20140717