塔の中



 そんなことを言われても、わたしは学校というものを知らないのです。ですからその問いには答えられません。あなたは不思議に思われるかもしれませんね。現代の日本に生まれ、教育を知らない人間など存在するのか、と。

 この「知らない」という表現は、適切ではありません。訂正しましょう。わたしは学校を知ってはいますが、その知識や経験はあまりに微量であり、知っていると明言できるほどのものではないのです。
 小学校も中学校も、病弱ゆえ、ほとんどを保健室の先生と語らって過ごしました。クラスメイトの顔や名前も知りません。高校でも、保健室に通って、スクールカウンセラーの方とお話して過ごしていたのですが、その途中で体を壊してしまい、入院することになったのです。だから、今、こうしてこの病院にいるというわけですね。
 つまり、わたしが知っている学校とは、「保健室」であり、「教室」ではないのです。
 ですから、教室の話やクラスメイトの話はできません。
 保健室の話でもよい、とおっしゃられるのであれば、少しだけですが、保健室の話をさせていただきます。……ありがとう。あなたはとても優しい方ですね。

 これは、記憶のなかに一番強く残っている、中学校の保健室のお話です。わたしの学校の保健室は、小さなベッドが二個あるだけの部屋です。他に、椅子や衝立などがあった気がしますが、詳細には覚えていません。わたしはいつも奥のベッドにいました。広い学校のなかで、ふたつしかないベッドのうちのひとつを、占領していたのです。きっと、悪い生徒だったでしょうね。

 保健医は、他の多くの学校でそうであるように、女性でした。ああ、今の言い方はよくありませんね。偏見につながるおそれがあります。訂正しましょう。保健医は優しい女性で、わたしに、学校での居場所を与えてくれた方でした。

 わたしにとって学校とは、保健医と語らい、保健室にやってくる他の生徒の声を聞き、そして読書をするだけの場所でした。ベッドの上で、とてもたくさんの本を読みました。ですが、その読書の経験は、おそらく、他の生徒が教室で体験したさまざまな事柄に遠く及ばないほど、偏っていて醜いものだったと、今のわたしは思います。
 いいえ。読書を軽んじているのではありません。読書なんていつでもできるものだったと、思うだけなのです。教室ではしゃいだり、子供らしく遊んだり、喧嘩したり……そうした中学生らしい体験を、わたしは本のページのなかで済ませてしまった。それをとても悔いているのです。

 本のなかで遊び、学ぶのは大切なことです。それくらいは、あなたに言われずともわかります。わたしは、本があったから、心を折らずにいられました。でも、それよりももっと大切な何かを、取りこぼして生きてきたような気がしてなりません。あなたは、それを取り戻してくださるというのですか?

 ……そうですか。あなたは、わたしのような人を集めて、新たな学校を作られるのですね。とても奇特な方。あなたの志がどのような形をしているのか、わたしにはまったくわからない。しかし、もしも、取りこぼした何かをあなたが与えてくださるというのなら……わたしは、あなたについていきましょう。
 もはや、この病院でできる治療もほとんど残っていないのです。残り少ない人生を、あなたのような素敵な方の作る学校で過ごせるなんて、思ってもみませんでした。あなたが先ほど部屋に入ってきたとき、どうしてだか見とれてしまいました。目が離せませんでした。今、あらためて考えてみると、わたしがあなたに見とれていたのは、あなたの外見が美しいからではないのです。きっと、あなたの鋼の志が、何も言わずとも、わたしの心をとらえたのでしょう。生きている意味を見失っていたわたしに、もう一度「学校」をくれると、あなたはおっしゃいました。それが嘘でも構わないのです。

 わたしはあなたに恋をしたのかもしれない。今、とても心がざわめいています。希望の予感に、ふるえているのです。ふるえさせたのはあなたです。どうか、この愚かなわたしを、連れて行ってください。あなたの希望が花を咲かせる、うつくしい学び舎へと。



20140722