高潔と堕落



 少年の頃、虫歯がひとつもないことが誇りだった。同級生たちが甘いものを食べたいだけ食べ、歯医者へ行っては文句を言っているのを横目に、自分だけは禁欲的に生きようと誓っていた。ひねくれた子どもだったと、今は思う。

 三十歳になり、四十歳になり、虫歯はたくさんできたし、内臓の病気にもなった。節制こそ美徳と思っていた少年は、ありきたりな中年男性になっていた。今となっては、あの頃の自分のストイックさは幻のように感じられる。

 今朝は、電車のなかの吊り広告の文字が読めないということに気づいた。
「メガネの度があっていない」
 思わず、口に出してそんなことを言ってしまった。隣に座っている女性が妙な顔をして驚いた。
帰って妻に相談してみたところ、さっさと眼科に行って来いという。
「眼科か……」
虫歯がないことが誇りであったのと同じく、視力がいいことも、少年の自慢だった。もうすでにメガネをかけはじめて数年になるというのに、メガネを新調するたび、いまだにその誇りを思い出す。

 もしも、タイムマシンであの頃の高潔な少年に会いに行くことができたら、自分は何を言うだろうか。
 きみのプライドは、二十年もすれば、何の意味もないガラクタになってしまう。
 虫歯がないことなんて、視力がいいことなんて、この社会を生き抜く上で、何の意味もない。
 だがしかし、プライドを捨てろとは決して言わないだろう。
 少年にとっては、そのプライドはとても大事な拠り所だった。
 二十年後に意味がなくなるようなものだったとしても、少年にとって必要なものだったのだと思う。
 
「まあ、くだらないプライドを抱えて生きるのも一興、って言えばいいか」

 おそらく、少年時代の誇りは消えてなくなっても、自分は相変わらず別種のプライドを抱え込んで生きているんだろう。人間、数十年やそこらで本質が変化したりはしない。だから、きみはそのままでいてもいいと、自分は心のなかの少年にそっと告げたのだった。


20140807