ザ・コミュニケーション



 過度な卑屈は他人を不愉快にする。だからこういう私事はできるだけ言わないようにしているのだが、今回は竜前美玲と私の話であるから、言わざるをえない。
 私は偏差値の低い学校の出身で、非常に頭が悪く、察しが悪い。生来の性格も災いして、生の会話はとても苦手である。特に、頭がいい人間と会話すると、なぜかかみあわないことが多い。

 勉強がよくできて、偏差値も高い彼女らは『頭がいい』のだから、頭が悪いこちらの言いたいことは先回りして汲み取ってくれてもおかしくない、ような気がしてならない。が、そんなことはないらしい。コンプレックスを抱えたわたしの、身勝手な期待はから回る。
 むしろ、思考回路が違いすぎて、「こんなこともわからないのか」という失望を与えてしまうようだ。それで、頭のいい竜前美玲はよく怒っている。話せば話すほど、関係がこじれる。「あなたは本当にアタマが悪いのね」と、口癖のように美玲は言う。

 結局のところ、会話のスキルに、頭がいいとか悪いとか、そういうことはまったく関係ないのだろう。高校を卒業してすぐに就職した私の知人は、英語の文法もろくに知らないけれど、介護職という職業柄か、とても対話がうまい。私が言いたいことを言えず口をぱくぱくさせていても、なぜか先を予想して、心地良い言葉を返してくる。
 竜前美玲と会話がかみあわないのは、わたしの頭が悪いからでもあるし、会話が下手だからでもある。でもそれ以前に、相性が致命的に悪いのだ。

 しかし、それでも、私は竜前美玲と話がしたいのだ。どうしてだろうか。
 おそらく、彼女がある日、私に電話をかけてきたからだろうと思う。

 午前四時。みんな寝静まった静かな時間だった。静寂が流れるなかで、電話の着信音が鳴る。
 電話から聞こえるのは、すすり泣きの声。
「ねえ、汐ちゃん。私はもうだめ。あなたがいないとだめ。あなたが好きなのよ」
そうまくしたてられて、私は何も言えなかった。プライドの高い竜前美玲が、そんなふうに泣きじゃくるのを初めて聞いた。呆然とした。下の名前で呼ばれるのも初めてだった。
「汐ちゃん……あなたとお話がしたいの。どうか、何かを言って」
喉に何かが詰まったように、何も言えなかった。
そのまま、電話が切れてしまった。
私は、四年経った今でも、このことを悔いている。

 あのときのあれは何だったのか、なんて聞くことはできない。それでも、あのときの代わりに、彼女とちゃんと話す機会がほしいと思った。
 ――あなたがいないとだめ。
 ――あなたが好きなのよ。
 彼女は同性愛者なのだろうか。
 それとも、酔っ払っていただけなのだろうか。
 いつもどおり、バカにしているのだろうか。
 ――あなたとお話がしたいの。
 私だって本当は、竜前美玲と、ちゃんと話がしたい。
 イライラさせたり、気を使わせたりしない形で――最善の会話がしたい。
 でも、気負ってしまう。
 彼女は頭がいいから。
 気さくだから。
 弱みを見せない、高潔な人だから。

 ――しかし、だからこそ、彼女が見せた弱みに、私は惹かれている。

 私は彼女に恋をしているわけではない。ただ、彼女の弱みが見たい。あの日からまた、彼女は怒ってばかりいる。私の察しが悪いから。私の頭が悪いから。私の会話が下手だから。いつ会っても美玲はただただイライラしている。
 そんなイライラした彼女の裏に、本当の竜前美玲がいるのではないかと、怒られながら考えてしまう。どんな上手な会話をすれば、その女性にまた出会うことができるだろうか。彼女に会うために、会話術の本でも読んでみようかと、近頃はよく考えている。


20140817