ぼくの学校のバスケットボール部には、黒い噂がある。
どうやら、入った部員がすぐにやめてしまうらしい。
最初はシゴキが厳しいのかと思ったが、そうではない。
コーチは非常に優しい。スポーツ系の部にありがちな理不尽なシゴキは存在しない。
では、先輩が厳しいのではないだろうか。
ひどい上下関係に雁字搦めにされ、身動きがとれないほどに息苦しいとか。
……そんなふうに思ったが、どうやらそれも違うらしい。
先輩はとても優しい。もしかすると文化系の部活の先輩よりも、同級生よりも、優しいかもしれない。みんなちゃんと世話を焼いてくれる、いい人なのだ。
では、いったい、何が不満でやめてしまうのだろうか。
実際にバスケットボール部をやめた友人に聞いてみたところ、「優しすぎるんだよ」と苦々しい言葉を吐き出された。
「コーチも先輩も、めちゃくちゃ優しいよ。でもな、その優しさはうちの部の悪しき伝統なんだ」
「優しいなら、いいことじゃないか。何がそんなに不満なんだ?」
「あいつらの優しさはな、暴力に近い。卒業しても、この街を離れても、追いかけてくるんだってさ。その暴力的なまでの過保護な優しさをもって、あいつらはかわいい後輩を愛し尽くすんだ」
そんなことを言っている友人の背後に、妙に幸せそうな、純粋無垢な顔で笑っている男が立っていた。友人はお化けでも見たような顔で、振り返る。
「こ、コーチ。俺はもう退部したはずですけど、なにか……」
幼児のような笑顔の男は、ニコニコと幸せそうだった。
「退部しても、バスケットボール部にご縁があったことには変わりないじゃないか。今度みんなで食事会を開こうと思うんだが、きみも来ないかい?」
「遠慮します。もう、俺はバスケ部には戻りません」
友人の声は震えていて、コーチの顔はやはり純真な笑顔だった。狐につままれたような気分だ。このコーチの言葉、そこまで怯えるような内容だとも思えないのだが……友人は彼の笑顔の裏に何を見ているのだろう。その恐ろしさは、バスケ部に入った者にしかわからないのだろうか。
数週間後、この友人は結局、バスケ部に戻ると言い出した。退部してもこうして追いかけてくるのだから、いっそ入部してしまったほうがいいと、よくわからないことを、うわ言のように言っていた。最近は、彼を怯えさせる優しい暴力とやらの正体が気になって、ぼくもこの部に入ってしまいたくなっている。あの純真な笑顔、裏表のなさそうな満面の笑み。他人を苦しめるほどの優しさとはいったいどのようなものなのか、とても興味があるのだ。
20140819