氷雨

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 彼がいなくなってから、もう三年になる。彼がどこへ行ったのか、誰も知らない。家族も、恋人も、そして、わたしも。わたしは彼の高校時代の友人であった。恋人であったこともあったが、ほんの数ヶ月だけのことだったので、もうわたしも彼も忘れてしまっている。現在の彼の恋人もわたしのことは知っているし、敵対しているわけでもない。高校時代の恋なんてものは、彼にとっても、彼の恋人にとっても、わたしにとっても、泡沫の幻にすぎないといったところだろうか。

 彼が消えてしまったのは三年前の冬。ちょうど今日のように、雨が雪のように冷たくちらつく日だった。久々に彼と話がしたくて、わたしは大学の授業の後で、彼を食事に誘ったのだ。雨で冷えた体を温めたくて、インドカレー屋に入った。そのときに注文したのは、マンゴーラッシーとキーマカレー。カレーの辛さと、ラッシーのまろやかな甘さが、妙に鮮明に記憶されている。彼はライスで、わたしはナン。彼のスプーンが白いライスをすこしずつカレーの海へ沈めていくのを見ながら、ひたすらナンをちぎる作業は、楽しかった。

 食べ終わった後、店を出て、彼は傘をささないまま、駅へと向かっていった。傘は忘れてしまっただけだというし、特におかしい様子はなかったと思う。そして数日後、彼の消息が途絶えたと、彼の家族や恋人から、わたしの元へ連絡が来た。最後に彼に会ったのは、わたしだった。どうして、彼は消えてしまったのだろうか。今頃、この寒空の下で、雨に打たれて、何を考えているんだろうか。

 彼の恋人とは、それ以来よく会うようになった。彼女とはとても気が合う。彼に関する思い出話だけで、何時間でも話していられる。いなくなった人の話で盛り上がるなんて、寂しいし、むなしいことかもしれない。でも、今のわたしと彼女にとっては、こんな話をするのが、唯一の救いなのである。彼がどんな男だったか、知っているのは限られた人間だけなのだ。もしかすると、残された彼女に、わたしというわずかな救いを与えるために、あの日、彼はわたしとカレーを食べたのかもしれない。寒空の下で、わたしはそんなことを考えている。

 雨は雪に変わることなく、しとしとと、冷たい東京のアスファルトを濡らす。来年もおそらく、こんな雨が降るだろう。彼が帰ってきても、来なくても、この雨の本質は変わらないような気がした。



20140909


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