アリジゴク



 私のクラスには、非常に慈悲深い少女がいた。高校時代のことである。
 彼女の出自や名前はよく覚えていない。ただ、身のこなしの上品な少女であった。良家の人間なのかもしれない。
 彼女は、動物にも、人間にも、落ちこぼれにも、いじめられっ子にも、いじめっ子にも優しい。
 クラスメイトたちが、蟻の巣に水を入れて遊んでいたとき、彼女は寄っていって、「そんなことをしてはいけないわ。死んでしまうもの」と言った。その淀みのない言葉で、彼らの些細な暴力は、止まったのだった。
 また別の日には、彼女はトイレでいじめられていたクラスメイトの少年を救った。いじめの内容については、述べたくない。胸が悪くなるし、必要のない描写だからだ。とにかく、毎日毎日、飽きることなく続けられていた暴力の応酬に、彼女は鮮やかな終幕を与えたのだ。

 小心者の私は、いじめをやめさせるなんて、恐ろしいことだと思う。ストレス発散のためのスケープ・ゴートを失った暴力少年たちは、かなりの高確率で、いじめをやめさせた人間へと向かって突き進み、次なる標的にするからだ。平和を愛する人間の叫びは、戦闘狂には伝わらない。彼らの日常を満たす超暴力は、そう簡単に消え失せはしない。「いじめは、暴力は、どんな理由があっても許されません」などという模範的な文言は、模範的であるがゆえに、彼らには効力を持たないのである。

 ただし、少女はその後、いじめには遭っていなかった。少なくとも、私が観測した範囲においては。彼女は普通に過ごしていた。彼女の神々しいまでの慈悲深さが、暴力少年たちを改心させたのだろうか。それとも、彼らは別の標的を見つけ、ネズミをいたぶるようにして、またあの凄惨な日々を送っているのだろうか……私は、幸いにも、その答えを知る前に卒業することができた。だから、彼らのことは知らない。

 暴力少年たちのことはまったく知らないし、話したこともない。が、あの慈悲深い少女とは、一度だけ言葉を交わしたことがある。
 私が教室で弁当を食べているときのことだった。
 少女が私の背後に立って、私しか聞こえないような小さな声で言った。
「一度殺してしまったものは仕方がないけれど、本当はそのようなものを食べてはいけないわ。罪深いもの。あなたが殺したわけではなくても、あなたがそれを食べるのなら、あなたが殺したようなものよ。あなたは、体のなかにアルトラ・ヴァイオレットを飼っているの」
私の弁当に入った、豚肉の生姜焼きの話をしているのだと理解するのに、数十秒かかった。
「どうして、そんなことを言うの?」
「この世には恐ろしい暴力が満ち溢れているわね。あなたはそれと自分が無縁だと思うの?」
「思うわ。私は暴力なんて振るったことはない」
「でも、それはまちがい。あなたも、私も、みんなが暴力を振るっているのよ。それもとびきりのやつをね」
「とびきりの暴力?」
私はそこでようやく、弁当から視線を外して、少女の方を見た。
慈悲深い少女は、とてもきれいな澄んだ目で、蟻を見つめるようにして、私を見ていた。
彼女は私とは明確に『違う』と、本能的に思った。

 私は芋臭い子供だった。少女はうつくしくて、大人だった。私は少女と友達になりたいと思った。だが、その一方で、このような自分と『違う』ものに触れるのは怖い、とも考えた。蜘蛛の巣に絡めとられた獲物のような気分だった。
 結局、私は何のアクションも起こさないまま、彼女とはそれ以来一度も話さないで、卒業してしまった。
 だが、今でも、世間にはびこる理不尽な暴力の噂を聞くたび、あの少女を思い出す。暴力を許さないがゆえに、あのような人間離れした美を体にまとった少女は、今、どんな大人になったのだろうかと。


20140917