東京が燃えていた。
冗談ではない。文学でもない。
現実だった。
その日は、何の変哲もない日食の日だった。
いつもどおり、女学校から帰ったわたしは、トラの肉をサパーにして、午前三時までに眠りにつく予定だった。
じいやのつくるトラの肉料理は絶品である。トロトロと夢のような味がするそれを食べてしまうと、もうほかのサパーなんて考えられない。それがほんとうにトラの肉なのかは正直なところわからなかったが、じいやがトラだと言いはるので、トラだということにしておいていた。
そんな夢幻のようなサパーを終えて窓の外を見やると、東京が燃えているではないか。
2021年に東京租界の外側にある埼玉地区に引っ越してきたわたしは、もともと東京に住んでいたことも忘れ、平和な日々を送っていた。現在も内戦が続いているらしい租界の内部の情報は、わたしのような一般人には知ることができない。新聞記者やテレビ局にも情報は秘されているらしく、東京租界は銀色のシールドに包まれたまま、まるで骨董品の置物のようになっていた。
そのシルバー・シールドが、いつのまにか消失している。わたしの住んでいる屋敷は、埼玉地区のなかでも、もっとも東京租界に近い。それゆえ、いつも東京租界と埼玉をへだてる銀色の壁のようなものを見て過ごしていた。その銀色が失われ、しかも豪炎を纏っているとなれば、それは完全なる非日常の風景であるといえるのだった。
「じいや、じいやはいないの?」
「はい、お嬢さま。じいやはこちらにおりますとも」
「東京租界が燃えているわ。見える?」
「見えますとも。我らの故郷、トキオが、真っ赤に燃え盛っているのが、見えますとも」
「あんなに燃えているなんて、何があったのかしら」
「この老いぼれには、難しいことはわかりませんが……たったひとつ、わかることがあります」
「それは何?」
「トラの肉のサパーは、もう食べられないということでございますよ、お嬢さま」
じいやが何を言ったのか、よく聞こえなかった。
わたしは、生まれて初めて見る大きすぎる炎を目に焼き付けるので精一杯だったからだ。
東京租界が燃えている。
埼玉にもあの火は燃え移るかもしれない。
しかし、それよりも……東京を焼きつくす炎は、まるで夕方の空腹に焼きつくサパーのごとく、美味であった。
20141008