わたしの恋人は、十五の頃から地下に幽閉されて過ごしておりました。
彼には何の落ち度もありません。ただ、すこし頭がよすぎたのかもしれません。
紙に書いてもうまく解けないような数式をそらで解いてしまったり、今の統治者の問題点をすらすらと矛盾なく述べたり……都会でならそんな聡明な若者はたくさんいるのでしょう。が、閉鎖されたわたしの村では、彼のような天才は珍しいのです。
彼の両親や隣人は、彼の無垢な頭脳がこの村の抱える問題を串刺しにしてしまうことをおそれ、彼を地下室で暮らさせることにしたのです。
ちょうど、その一年前に彼と婚約の契りを交わしたわたしは、ひどく嘆きました。
恋人が地下室にいるなんて、一緒に外を歩くこともできないなんて。
しかし彼は笑って、わたしにこう言いました。
「外に出られないなんてのは、些細なことだよ。君が来てくれるなら何の問題もないんだ」
彼は本気で、一生を地下室で暮らしてもいいと思っているようでした。
それも、彼が卓越した頭脳を持っているから、わたしたちとは違うことを考えているということなのでしょうか。
わたしにはわかりませんでしたが、なんだか彼のことがさらに愛しくなったような気がしました。
それからもう十年になります。わたしは相変わらず、彼の元へ通い、彼と語らって過ごします。外の世界の話をすることもあれば、わたし自身の話をすることもあります。
わたしは、弁護士になりました。わたしがこの村で力を得れば、彼を救い出せるかもしれないと思ったからです。
階段を降りると、彼はいつもどおり、古びたロッキングチェアに座って、本を読んでいました。表紙に「闘争」という二文字が見えた気がしました。彼はわたしの姿に気づいて、その本をすぐに片付けてしまいました。
彼は渋い顔をして、わたしに語りかけます。
「君は、ぼくを外に出そうと働きかけているらしいね」
「ええ。あなたと、外で暮らしたいから」
信じられないことに、彼は首を横に振りました。
「いや。それは無用の気遣いってやつだ。ぼくは外には出たくない。この部屋にいたいんだ」
「どうして? こんなに寒くて、本と椅子しかないような……」
「それがいい。ぼくは、ぼくの人生に余計なノイズを加えたくないんだ。君はこの部屋を寒いと言ったね。本と椅子しかないとも言ったね。しかし、十五歳から先のぼくの感性で言わせてもらえば、ぼくはこの部屋を寒いとは思っていない。この部屋以外の場所の温度なんて知らないから。本と椅子以外のものがある世界に、もう戻りたくないんだ」
「どうしてなの?」
わたしは戸惑って尋ねます。こんな不遇な場所で、どうして彼は外に出たくないなどと言うんでしょう。理解が及びません。それも、彼が天才だからなのでしょうか。
「ぼくは君とはわかりあえそうにない。外の世界を見ると、自分が惨めになってしまう。どうして君はそんなぼくからこの場所を奪おうとするんだい?」
それを聞いて、わたしはわっと泣き出しました。自分が、恵まれた立場から、あわれな彼を見下ろしていたことに気づいたからです。わたしが彼に与えたのは、愛ではありませんでした。
天才だから、不遇だから、などと、自分に都合のいい理論で、彼を殴りつけていただけなのです。
ただ、冷たい地下室の床に伏せて、悔いるしかありません。彼に許しを請いたいと思いましたが、それすらもわたしのエゴなのだと、床の冷たさを感じながら、考えていました。
20141126