去年、この国で発見された流氷の上に刑務所が建設されたという事実は、世界中に衝撃をもたらしたようである。
氷などというと、もろく、溶けやすく、割れやすいという印象があるが、この流氷はそんなやわなものではない。
非常に頑丈であり、国を構成する大地とくらべてもひけをとらない。
それだけずっしりとしているのに、潮の流れにそってすこしずつ流されているという、あたたかい国の人々にしてみれば、不可思議な流氷なのだ。
クリストファーと呼ばれる少年は、とある罪を犯して、この刑務所へとやってきた。彼の住んでいた街には海がなかったため、海の上を漂う刑務所は、なんとも風情があると思えた。
刑務所では、ブルーという名の少年と知りあった。
クリストファーが、空き時間に窓からぼんやりと海を眺めているとき、彼に声をかけられたのだ。刑務所内には遊戯室のようなものが設けられており、遊戯用の玩具などはまったく置いていないのだが、自室にこもっていると精神が参ってしまうような収容者たちは、この遊戯室で海を眺めたり、会話をしたりして過ごすのである。もちろん、収容者同士で喧嘩や脱獄の相談をしないよう、看守が常に見張っているのだが。
ブルーは海を眺めつつこう言った。
「はじめまして、ぼくはブルー。きみは?」
「クリストファー」
「ねえ、クリストファー。海は綺麗だね。こんな風景が見られるなら、刑務所も悪くないよ。そうは思わない?」
クリストファーは、内心で同じことを思っていたので、窓枠を軽く撫でながら同意した。
「うん、そうだね」
「ぼくたち、この海の上を流されていくんだよ。それってとてもロマンティックだよね」
クリストファーは、広大な海の上を、ずんずん進んでいく流氷を、頭のなかでイメージした。
その氷の行き先は、明らかに、もともと住んでいたあたたかい大地ではない。
今だって、日に日に空気が冷たくなっていくのがわかる。
つまり、自分たちは死しかないような氷の地帯へと流されていくのだ。
そこがどのような場所かはわからないが、そんな冷たい場所で人間が生きられるとは思えなかった。
クリストファーは、自分がどんな刑に処せられたのか知らなかった。
十年で出られる程度の罪なのか、終身刑なのか、死刑なのか、それすら知らされていない。
だが、この場所へ来て、流されつづけて、ようやく気づいた。
これは、おそらく死刑なのだと。
「ぼくは、人を殺したよ」
ブルーは、平然とそう報告した。「何人もだ」
クリストファーは、自分が殺人者と対峙しているのだと思うと怖くなった。
「クリストファー、きみは?」
そう問われては、答えるしかない。クリストファーは観念した。
「ぼくは、本を出版したんだ……」
「本? 何の本だい?」
ブルーは怪訝そうだった。そんなことで、自分と同じこの場所に人が流されてくるなんて、信じられなかったのだろう。
「小説だよ。ぼくが十五歳になって、初めて書いて出版した小説」
「小説だって?」
ブルーはますます信じられないという顔をした。
クリストファーは、そんなブルーから目線を逸らして、
「ぼくは小説を書いた。少年が、やりきれない現実から脱却する物語さ。全部作りものの、嘘っぱち。でも、なんでだかわからないけど、その本は出版してはいけなかったらしい。刊行してから数年経って、役人がぼくを取り押さえに来たんだ……それで、今はこのざま」
「どうして逮捕されたのか、知らないの?」
「知りやしないよ。説明もしてくれないし。もっとも、すぐに出してもらえると思っていたがね」
波のあいだを白い氷が流れていくのが見えた。
クリストファーはため息をついて、こう付け加えた。
「本当に、どうしてぼくはここにいるのかな……」
ブルーは、しばらく首をひねっていたが、白い氷を見て、何か気づいたようにはっとした顔をした。「ああ、ぼくは、きみの本を読んだかもしれない」
「なんだって?」
本の内容なんて一言も説明していないのに、どうしてそんなことを言うのか、クリストファーには理解できなかった。ブルーは名前通りの青い顔で、こうつぶやいた。看守に聞こえないように、小さい声で。
「きみの本のタイトルは、『青春と闘争』っていうんだろう」
そのとおりだった。今思い出すと、青くさくて恥ずかしくなるような題。
「どうして知ってるんだ?」
クリストファーが尋ねると、ブルーは照れくさそうに笑った。
「ぼくはね、その本を読んで、人を殺そうと思ったんだ」
「あ……」
クリストファーはようやく気づいた。自分の書いた本が、政府によって有害出版物だとされるまでの期間が、不自然に長かったということに。
不適切な書物を発禁にするのならば、もっと早くに、そうされてもいいはずだと思っていたのだ。
クリストファーが逮捕されたのは、彼の書いた本によって、人が死んだからだ。少なくとも、ブルーはそう確信したらしい。
ブルーが人を殺したのはクリストファーのせいかもしれないし、クリストファーが逮捕されてここにいるのは、ブルーのせいかもしれない、ということなのか。
無邪気に笑うブルーの姿は末恐ろしいものではあったが、しかし、自分の本に共感してくれたひとりの読者である。ふしぎと、彼を嫌う気持ちはわいてこなかった。
「……ブルー」
「何?」
クリストファーは、ブルーという名の少年に向かって、できるだけよい笑顔で、こう言った。
「ぼくと友だちになってくれないかな。これから、氷の世界に流されていくんだ。ひとりでは寂しいと、思っていたところだからさ」
ブルーは黙って頷いた。氷は、そんな会話のあいだにも無慈悲に流れつづけ、少年たちを極寒の世界へと連れていこうとしていた。
20141204