『 ケロイドミュージック 』
前野美湖は、電車に乗った。席は空いていなかったので、吊革の前に立つ。
隣に立った男が、せわしなく指を動かしてスマートフォンをいじっている。
ずっと同じ単調な動きで、しゅっ、しゅっ、と高速で画面をこする。
おそらくなんらかのゲームなのだろうが、その動きが別の行為を思わせることに気づいてしまった彼女は、目をそらした。
スマートフォンを許容するか否か、という議論は最近よく見かけるが、どっちだってかまわないと思っていた。ボタンかタッチパネルかなんて、どうだっていい。本質は電話なのだから、使えればそれでいいのだ。
しかし、今初めて――スマートフォンは買わないでおこうと思った。
長い髪をさらりと流しながら、こんな理由は人には話せないなあ、と考える。
音楽プレイヤーの音量を少し上げ、音楽の波に身をゆだねてみる。
皮膚を覆うかさぶたをはがすように。
嫌なことを脳から追い出すように。
本のページを破って燃やすように。
ホチキスの針を皮膚に突き立てるように。
そんなメタファーは、自分の中の何を指し示しているのか、美湖には分からなかった。
たぶん、それらには何の意味もない。ただの超現実主義。
男がせわしなく指で画面を擦るのと同じ、自己満足だ。
窓の外には月が出ているけど、月には意思がないように。
自分にも意思なんてものはないのだ。
ねえ、お月さま。
あなたは――何に満足して、そんなに綺麗に光っているの?
語りかけてみても答えなど返ってこない。彼は意思を持っていない。自分と一緒。
そんな現実に、美湖は満足した。
2011年04月14日(木)
世界はメタファーでできている。
だから醜いのだ。