宇宙人喰らい

 隣家に住む少女が、宇宙人を食べるようになってしまった。
 彼女の口の中で赤いものが蠢いている様子はどこか官能的ですらあり、ぼくはいつもうっとりとしながらそれを見ている。彼女は、それを食べるようになってから急に美しくなった。まるで、宇宙から来たそれらの生命体が、彼女に何らかの形でとりついているかのようだ。

 赤い色をした、立体的な紅葉のような物体が最初に日本に降ってきたのは、数年前のことである。これが非常に美味であるとテレビで報道されたのも同時期のこと。誰が最初に食べてみたのかは不明であるが、この報道により、この物体が食べられるものであり、食べてもよいものであるという認識がこの国に急速に広まった。生のまま醤油をつけるのがいい、いや、焼いてそのまま食すのが一番だ、といった議論も日常に膾炙していった。

 この物体が実は宇宙外生命体であるという事実が判明し、我々は異星人を知らずに食っていたのだ、と民衆が絶望したのは記憶に新しいことと思う。そのころにはもうすでに、この物体は我々にとって普遍的な珍味、食料として意識されていた。今更、それを禁忌とすることはできないだろう。この国にはいまだ、この物体に関する法はない。それでも、この異星人を食べる人間はだいぶ減った。法律で規制こそされていないものの、得体のしれない宇宙外生命体を食べることは気が引ける、という人間が大多数なのだろう。クジラを食用として捕獲することを禁忌とするのと同じくらいのゆるやかなペースで、我々はこれを精神的禁忌にし始めたのである。

「わたし、もうすぐダメになるんだけれどね。でも、その前にやるべきことがあるの」
少女はある日、どこか遠くへ焦点を結んでそう言った。少女は縁側に腰かけていて、彼女の家族は姿を見せない。ぼくは庭に立っている。
「やるべきことって?」
「わたしをここから発信すること」
「どうやって、発信するの?」
「あなたには見えない? 青い電波の線が」
少女は空中を指さして、そこにまっすぐに見えないラインを引いていく。
「見えないな」
「残念ね。すごく、残念だわ」
くすくすと笑う少女は大人びていて、ぼくは少し心臓を踊らせる。
「わたし、宇宙に帰ろうと思う。もうすぐ、帰れるの」
少女はそう言って急に立ち上がった。よく見ると、空から赤いものが降ってきていた。わずかにその手足をうごめかせる、紅葉型の宇宙外生命体。少女は蝶々でも追うようにぱたぱたと走り、そこで立ち止まって空に向かって口を開けた。赤いものは、少女の口の中に消えた。咀嚼する音と、少女が縁側に座りなおす音が聞こえる。
「それ、おいしい?」
ぼくはそう尋ねてみるが、彼女は恍惚とした顔で笑うだけだ。
「おいしいかそうでないか、そんなことはどうでもいいの。ただ、こうすると電波が頭の中に充電されて、思考回路がクリアになるのよ」
「それ、宇宙人だよな」
ぼくはできるだけなんでもないことのように言う。
「そうね。そういう言い方もできるわ」
少女も、なんでもないことのように返す。
「食べてもいいものなの?」
ぼくが問いかけると、少女はまた艶めかしい笑いを浮かべる。
「食べないと、いけないものなのよ」
その答えの意味がわからず、ぼくはただその頬を見つめていた。
わずかにほお紅でも塗ったように赤らんだ、少女の頬。
紅葉の赤を水で薄めた色をした、少女のふっくらとした頬。
きっと、食してみれば、あの宇宙生命体なんかよりずっと美味に違いない。
そんな風に確信する自分に、少し驚いた。
「ああ、そのうちきっと、世界は青に塗りつぶされるの」
少女は語りだす。
「青色の電波が、世界を、覆ってしまうのよ。そうしたら、もう、日本なんてなくなるの」
「世界の終わり?」
「世界と言うよりも、日本の終わり。日本人があれを食べたから、その罰」
「あれ、って、あの赤いやつ?」
少女はゆっくりと頷いた。「そう」
「君も食べただろう」
と、ぼくは指摘する。少女はゆったりとした動作で、それを肯定した。
「うん、わたしは、食べるわ。食べないと、生きていけないから、食べるの。食べるとね、ほら、青い電波線が、宙をきれいに染めながら飛んでいくのよ」

 一生懸命に説明する少女の細い指を見て、ぼくは青い電波線が見えない自分が少し残念に思えてきてしまった。ぼくも、少女と同じ世界で、同じものを見て、同じものを食べて、同じようにダメになりたい。そんなことを考えてしまったそのとき、ちょうど、頭上から赤いものが降りてきていた。まるで、ぼくの願いに答えたかのように。
 少女がそれを口で受け止めようと走ってくる。彼女がぼくの場所に到達するより前に、ぼくは手でその赤い物体をつかみとり、自分の口の中へ入れた。ぼくの前で立ち止まることに失敗した彼女が、ぼくにぶつかってよろける。奇妙に軽いその体を受け止めたぼくは、彼女が自分の中身を電波にして発信していたことを知った。
 ぼくは、じっくりとその物体を咀嚼する。甘くとろけるような味と、どこか苦いような味が舌の上で交互にはじけ、ぼくの視界は青色に染まった。ぼくは、先ほど少女がそうしたように、右手の人さし指で空中に線を描く。くるくる、くるくる。指を動かせば動かしただけ、青い線が増えてこの星を満たしていく。その代償として、ぼくの体は軽くなる。そう、ぼくもこうして、いつかダメになる。心地よい世界の終わりを舌の上で転がしつつ、ぼくは少女と同じ宇宙人喰らいになったのだった。



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