せかいのうらがわ、わたしとあなた。

――彼とあなたの、関係は?
恋人です。恋人同士です。
――あの日、あなたはあそこで何をしましたか。
手紙を、燃やしました。
――それから?
それだけです。あとは、彼と一緒に帰りました。
――何時間くらいかけて?
そうですね、6時間くらいでしょうか。
――どうして、6時間もかかった?
…………名残惜しかったからではないでしょうか。
――質問に質問で返すのは、不粋ですよ。
それはすいません。でも本当ですよ。わたし、彼との出会いは奇跡だったと思うんです。あの日の出会いを、永遠にしたいと思っています。きっと、彼も同じ気持ちだと思う。あの日出会ったことの嬉しさを、いつまでも噛みしめていたかった。だから、それだけ時間がかかったんです。帰りたくないと思うくらい、奇跡の出会いだった。
 でも、ああ、今は早く帰りたい。
 彼の待っている家に、帰りたいです。



++++



「ねえ、ミサキの彼氏ってどんな人なの?」
ユカがそう質問してきたので、わたしは彼のことを思い出しながら、にっこり微笑む。
「とてもすてきな人。全部が、わたしの理想どおりなの」
「具体的には?」
「髪の毛は茶髪でパーマ。犬みたいに、ふわふわ。いつでもやさしいし、怒ったりもしないわ」
ユカはどこか媚びるように笑顔になった。「いーなー」
「ねえ、なんか、すごいわよ、これ」
マナミは携帯電話の画面を見つつ、興奮気味に言った。
「山で男性が一人、行方不明なんだって。この近くだよ」
彼女の携帯電話にはニュースサイトの見出しが表示されている。マナミはこういう、人の生死に関するショッキングな話題が好きなのだ。推理小説とか、ホラー映画も好きらしい。そういうものに興味のないわたしは、ちょっと、ついていけないときがある。
「へえ、そうなんだ」
ユカも、その話題にはそんなに興味がないようだ。彼女はマナミの携帯を横から覗き込んで、「他になんかニュースある?」と問いかけた。
 ユカとマナミはそのまま、芸能人の結婚のニュースの話を始めた。わたしはそれにもあまり興味がない。窓の外を見ながら、ぼんやりすることにする。わたしたちがいる教室の外は、雨だ。紅葉の葉が雨に打たれて容赦なく地に落とされていくのが見える。あーあ、落ちちゃった。雨さえ降らなければ、そのまま成長して、きれいな赤色になることができただろうに。
「ちょっと、ミサキなんでぼーっとしてんの?」
ユカがわたしの服を引っ張ってくる。
「考えごと」
「何を考えてるの?」
「紅葉のことを、考えてたの」
ユカとマナミは、目を丸くして、「なんだって?」と言った。



 ひろくんは、いつもわたしを待ってくれている。
 くたくたになったわたしを、椅子に座って待っている。
「ただいま」
おかえり、とひろくんが言う。
「今日のご飯、何がいい?」
ひろくんは、なんでもいいよ、と言って笑った。
「じゃあ、ビーフシチュー」
この間食べたばっかりだよ、それ――ひろくんは呆れたように肩をすくめた。
「いーじゃない、ビーフシチューおいしいし」
あんまり食べると、太っちゃうかもしれないよ。
ひろくんはひどいことを言う。わたしはむくれた。
「太らないもん。ひろくんは、わたしが太ったら、嫌いになる?」
ならないならない。彼はそう言いながらくすくす笑った。
「では、わたしはキッチンでシチューを作るので、おとなしく待っているように」
はいはい、了解ですよ、お姫様。
ひろくんは背もたれに寄りかかりながら、そう言った。
 ビーフシチューを食べ終わったわたしは、ひろくんにじゃれついて遊ぶ。
 ひろくんの指。ひろくんの手首。ひろくんのふともも。
 それ、何か楽しいの?と問いかけるひろくんはいぶかしげだが、特に嫌がることなく、そのまま触られている。
「楽しいよ。だってわたし、ひろくんのことが大好きなんだもの」
ひろくんは、少しだけ驚いたような顔をした。わたしは、彼のふとももと右手に触れながら、右手をぎゅっと握った。接続。ひろくんの世界と、わたしの世界を、つなぐ。つながれた世界はいずれ同一になる。二人は同じ世界を同じ速度で、同じように生きる。とても理想的で、すてき。
 ひろくんの世界の中で、わたしは彼に言った。
――ずっと一緒にいようね。
 ひろくんが頷いて、また二人の世界は静寂に包まれる。



「うあー、今日ってもしかして、レポートの宿題とかあった系?」
マナミは机の上にべったりくっつきながら言った。
「ありました」
わたしが事務的にそう答えると、「うおー、忘れたー」と唸る。かたつむりみたいだ。かたつむりは唸らないけど。
「わたしのとミサキのを参考にして、今から書いたらどうよ?」
ユカはそう言ったが、マナミは机にべったりくっついたまま剥がれない。
「むりー。だって、わたしがやったら絶対写したってバレバレですもん」
マナミは、文章をアレンジする、ということができない。マナミが書いたレポートを一度読んだことがあるけれど、語尾が全部「~でした」で終わっていて、提出された先生が苦笑いする顔が見えそうでした。わたしたち二人、爆笑でした。
「じゃあ、平常点マイナスだね」
ユカがばっさりとマナミを切り捨てた。マナミはまたうおうおー、と唸る。
「あの先生、確か出席とってなかったよね。レポート忘れたら、単位落ちるんじゃないの」
わたしがそう言うと、マナミはぐったりと動かなくなった。ただのしかばねのようだった。
「さて、でもってわたしは今日も、ミサキの彼氏の話を聞きたいのです」
ユカはおどけてそう言った。わたしは、「どうして?」とは聞かない。ユカはただ単に、そういう話が好きなだけだ。
「ミサキと彼氏さんが出会ったのはどこですか?」
「ある、海です。海岸です」
潮のにおい。打ち寄せる波。足に絡みつく砂。そんなものを思い返しながら、わたしは返答する。
「ミサキは、彼氏さんのどこら辺を好きになったの?」
「全部かな」
わたしはあの日、ひろくんを見た瞬間、落雷みたいにビビっ!ときてしまったのだ。
「それ」は、何と表現すると適切になるのだろう。
あえていうならば――運命、だろうか。
結ばれるべき相手。
結ばれるべき自分。
その両方を、視覚して同時に自覚する――そんな感覚は。
「ひゃー、いいねえ、すごくいいね」
ユカはまた例の媚びるような笑みを浮かべて言った。
「さて、充電完了したところで、地獄の死者が教室にご到着の様子」
ふざけてユカがそう言い、地獄の死者――大学の教授だ――は教室に入って、マイクの準備をし始めた。マナミはぐったりしたまま動かない。わたしとユカは、かばんからレポートを取り出した。


 わたしとひろくんがいる世界は、この世の裏側なのだと思う。
 地球を、手袋みたいに裏返して、そこに二人きりで住んでいる。
 たぶん、手袋の親指あたりに、穴があるのだ。その穴の存在は、わたしたち二人しか知らない。だから、裏側に出られるのはわたしたちだけ。わたしと、ひろくんしか、存在しない、世界。
「そんなことを考えたんだけど、ひろくんはどう思う?」
――別に、ミサキがそう思うなら、ぼくはそれで構わないと思うな。
ひろくんの答えはどこか答えになっていなくて、少し悲しくなった。
「出会いの奇跡というものがあるとしたら、それはどうして生まれるのかしら?」
ひろくんは、それは、出会いで生まれるんだよ、と言った。少し、嬉しくなった。



「わたしさー、最近のミサキはとっても美人だと思うわけ」
ユカはそうぼやいた。
「やっぱり、彼氏がいる女、っていうだけで女度が上がってるよね。あー、うらやまー」
「そうかな」
わたしは澄まして答える。
「確かに、ここ最近のミサキって見違えたよね」
と、マナミが言う。「今までのミサキより、生き生きしてるよ」
「あーあーあー。わたしも、彼氏がほしいなあ」
ユカは机に顔をうずめてそう言った。
「ひろくんは、最高の、完璧の、彼氏だよ」
わたしは彼女にそう宣言して、にっこり笑った。
 窓の外は晴れている。そこでは、雨の日に生き残った葉っぱだけが、赤く染まりつつある。
 わたしは、雨の日に生き残ったから今、生きているのだろうか?
 では、雨の日に散ってしまった葉っぱは、いったいどこへ行ったのだろう?
 答えは簡単だった。わたしは、考えなくてもそれを理解することができる。
 雨の日に散った葉は、生き残った葉のための養分に、なったのだ。
 そう思うと、なんだか急激に悲しくなってしまった。


 ひろくん、とわたしは言った。玄関から、部屋まで、靴を脱がずにそのまま駆け抜けた。
 ひろくんひろくんひろくん。
「ひろくん!」
――なんだい、なんだか騒がしいね。とひろくんは目を丸くした。
部屋に飛び込んで、わたしはひろくんに触れる。ひろくんを確かめる。
ひろくんは、そこにいた。ずっと前から、彼はいつだって、そこにいる。
そのはずなのに、どうしてだろう。彼は雨の日に散ってしまった葉っぱに、似ているような気がするのだ。
「ひろくんは、わたしの恋人だよね?」
ひろくんは頷く。
「出会いの奇跡だよね?」
彼は肯定する。
「なら、どうして――」
どうしてこんなに、悲しいのだろう。
――それはね、と彼は説明する。それは、君の精神が不安定だからさ。いずれよくなる。そうしたら、またきっと元気になるよ。誰も悪くはない、ただ、待っていればいい。誰にだって、悲しいときはあるものだからね。
 ひろくんの答えは完璧で、やっぱりひろくんは最高の彼氏だと思った。


++++


「わたし、人間関係に完璧ってありえないと思うのよね」
と、ユカは言った。マナミは黙って聞いている。今、ミサキはここにはいない。
「だって、望んでることだけしてくれる人間なんていないもの。もし、そんなのが存在したら、それって化けものじゃない?」
「……で、何が言いたいわけ、ユカは」
「わかるでしょ、ミサキの話」
ユカは少し声のトーンを落とし、マナミも彼女の方へ少し寄った。
「ミサキの彼氏は、化けものだって言いたいの?」
「そうじゃないけど、長続きしないんじゃないかなって、心配なの」
ユカは遠くの方を見ながら言う。
「ミサキの望むことを、ミサキの望む形でしてくれる。何をしても、受け入れてくれる。そんな都合のいい彼氏――」
「いるはずがない?」
マナミはそう問い返したが、ユカは気圧されたように引いた。
「いや、そういうわけじゃない。ただ、ちょっとだけ心配な、だけだよ」
「考えすぎじゃない?」
マナミは、そう言った。ユカはその答えを聞いて、安心したように少しだけ笑った。


++++


 運命の出会いの日、ひろくんは、空から降ってきた。
 ふわふわの髪、少し伏せた瞳、きれいな指――全部、理想的だった。
 どこまでも理想的で、理想すぎて戸惑うくらいに理想で。
 いわゆる好みド直球。
 とても幸せな出会い。
 出会いの奇跡は、その瞬間に起きたのだ。
「ねえ、はじめまして」
わたしは笑いかけた。
「あなたの名前は、何ですか?」
――タカヒロ。
 初めて聞いた彼の声も、名前も、やはりわたしの理想の中のものと同一だった。
「じゃあ、ひろくん、だね」
そうだ、そう呼んでくれてもかまわない。彼はそう答えた。
「わたしはミサキ。ミサキ、って呼んで」
――ミサキ。わかった。彼がわたしの名前を呼んで、その響きにも運命を感じた。
「一緒に、家に帰りましょう?」
うん、わかったよ。その前に、いろいろとやることがあるけれど――
ひろくんはそう言った。わたしは、いいよ、何でもする、と言って、作業を開始した。
 彼と出会ったのは昼間だったけれど、彼と一緒に車に乗って帰るまでには、日が沈んでしまっていた。
 彼は、日が沈んだら消えてしまう幻なのではないだろうか?
 わたしはそんな不安を抱えながら、車を走らせた。
 ひろくんは、助手席にいた。
「ひろくん、いなくなったりしないよね?」
いなくなったりしないよ。ぼくは、君のものだからね。ひろくんはそう答えた。
山道だった。車が揺れて、ひろくんが体勢を崩しそうになる。わたしはときどき、彼の方へ手を伸ばして助けてあげた。彼は苦笑いでそれにこたえる。
「ひろくん、いなくなったりしないよね?」
ずっとずっと一緒だよ。ひろくんはそう言って、にっこり笑った。
 とても完璧。とても理想的。わたしは思わずこう言った。
「愛してる」
わたしはあなたを、世界で一番愛しています。
ひろくんは何も言わなかったけれど、何も言わなくても彼の気持ちくらい理解できた。
彼も、わたしを、世界で一番愛している。それだけは間違いのない真実だ。


 しあわせなこと。彼がわたしを愛していて、わたしも彼を愛していること。
 ふしあわせなこと。わたしと彼はセックスをすることができないということ。
 しあわせなこと。わたしの言葉に彼が笑顔で答えてくれること。
 ふしあわせなこと。わたしは彼の心を知ることができないということ。
 しあわせなこと。彼とわたしが同じ世界に存在しているという奇跡。
 一番ふしあわせなことは、
 あなたとわたしは、この部屋から一緒に抜け出すことができないこと。
 ずっとずっと、この部屋で過ごさなければならない。
 ああ、でもそれはなぜ?
――わからない。
 わかるはずがない。
 でも、別にかまわないじゃないか。ここは二人だけの世界なんだ。世界の裏側なんだよ。それって、とてもすてきなことじゃないかなとひろくんが言う。ああそうね、そうだわ、二人だけの閉鎖された空間なんて、まるでアダムとイヴ。最高にすてきなことじゃない。やっぱりひろくんは最高だね。うんそうだぼくは最高だとひろくんが答える。でもそんな最高のひろくんと体がつながらないのはなぜ? それはね、ぼくの体はミサキとセックスができるようにはなっていないからだよ。ひろくんは悲しげにそう言うけれどわたしには意味がわからない。どうして?どうしてなのひろくん。わたしには全然わからない。わからなくっていいんだよ、わからなくても彼氏と彼女ではいられるだろう。わかってしまっても、ぼくは君と一緒にいることができるけれどもそれはきっと永遠じゃないんだ。理解しないことが幸せなんだよ。
 理解しないことが幸せなのだとひろくんが言うのなら。わたしは、理解しないよ。
 そうだ、それでいいんだよ。理解しなければ永遠に一緒に、いられるからね。
 ひろくんは口を斜めにしてにっと笑った。知的で理想的で美しい笑い方だった。




「この間の行方不明者、遺体で発見……だって」
マナミが小声でそう言った。
「そう」
わたしはそう相槌を打ち、マナミはわたしとユカの方へ口を寄せ、
「でも、遺体は一部分しか見つかってないんだって」
と言った。
「一部分って?」
ユカはビッグミラーで化粧直しをしつつ、そう問いかけた。休み時間とはいえ、教室で化粧をするというのはどうなんだろう、とわたしは考える。
「さあ、でも、誰かが遺体を持ち去って行ったってことよね。サツジンジケン、みたいな」
「この近くに殺人鬼が徘徊してるってこと? こわー」
ユカは適当に返答した。あまり怖くはなさそう……というか、どうでもよさそうな言い方だ。
「ねえ、ミサキはどう思う?」
わたしは平然と答える。
「さあ、あんまり興味ないから」




 その日、世界の裏側は少し騒がしかった。
「ねえひろくん、なんだか外が騒がしいね」
そうだね、何かあったのかもしれないけれど、ぼくらには関係がないね。
そうひろくんが言った。
ドンドンドンドン、と乱暴にドアが叩かれる音がするが、わたしは無視する。
「なんか大きな音がするね」
そうだね、あれはミサキの家のドアが叩かれている音だね、とひろくんが言う。
「開けなさい!」と誰かが叫んでいる。
わたしはひろくんと一緒に身を縮めていた。
「開けろ!」誰かがわたしの家のドアを壊そうとしている。
わたしはひろくんに寄り添って震えている。
 ドアが乱暴に開き、誰かが部屋に入ってくる。土足のままだ。とても失礼な人だ、とわたしは思う。
「ああ、これはひどい」
と男の声が言った。人の家に勝手に踏み込んでおいて、ひどいとはまた失礼な。失礼の二乗、ハーモニーだ。
 男は一人ではなかった。数人いる。全員が似たような服を着ている。彼らは迷わず私とひろくんの部屋にあがりこんできた。わたしの存在に気づいて、彼らは険しい目つきになった。
「なんてことを」
と、一人が言った。なんてことを、それを言いたいのはわたしの方なのだけれど。
「ひどい臭いだ」「狂っている」「気分が悪い」彼らは口々に勝手なことを言い、最終的にわたしの腕を引っ張った。
「痛い!」
「一緒に来てもらおう。事情はあとで聞くから」
なんてことだ、これは誘拐じゃないか。
「ひろくん!」
わたしはひろくんに助けてもらおうとした。このままだと連れ去られてしまう。誘拐犯に。そういえば、殺人鬼が徘徊しているとかユカが言っていた、いやマナミが言っていたんだっけ。誘拐犯と殺人犯ってよく似てる。こいつらはきっと殺人鬼だ!
 わたしは殺される!
「ひろくん、助けて!」
 わたしは玄関へと引きずられていくが、ひろくんは何も言わないで座っている。
 ああそうだ、ひろくんは椅子から立ち上がることができない。この世界からは出られない。
「ひろくん! ひろくんと離れるのは嫌だよ!」
わたしは部屋から引きずり出され、部屋には男たちだけが残る。このままではひろくんも無事ではいられないだろう。もう二度と会えないかもしれない予感が胸を締め付けて気分が悪くなる。
「ひろくん!」
わたしはただひたすら彼に向って叫びつづけたが、彼は返事を、しなかった。
 きれいな世界。世界の裏側の世界は、こうして破壊されてしまった。
 わたしとひろくんは、引き裂かれてしまった。
 一度引き裂かれてしまった世界は、
 もう元には、戻らない。



++++



――あなたは、どこで彼と出会いましたか。
海です。海岸です。
――あなたは、そこで何をしていましたか。
散歩をしていました。
――彼は、そこで何をしていましたか。
ひろくんは、空を飛んでいました。
――人は、空を飛べる生き物なのですか。
普通は飛べないですけど、ひろくんは特別だったんじゃないですか。わたしのところまで、飛んできてくれました。
――あなたが彼と出会ってから、家に帰るまでの6時間。いったい何があったかを、具体的に教えてください。
特に何もありませんね。ただ、わたしは彼を拾い集めていた、というだけ。
――拾い集めた?
少しずつ、少しずつ、彼を拾い集めて。大きすぎるパーツは、いくつかに分けて。彼を連れていくためには、必要なことですから。
――その後は、何がありましたか。
何も。助手席にひろくんを乗せて、一緒に家に帰りました。
――あなたは彼をなんだと認識しているのか、教えていただいてもいいですか。
なんだ、って、人間に決まっています。わたしの運命の相手で、出会いの奇跡で、アダムです。わたしたちは世界の裏側で、愛し合っていたのに。どうしてわたしたちはこうしてばらばらになっているのでしょう、わたしは早く家に帰りたいです。
――まあまあ、落ち着いてください。あなたはもう帰れませんし、あの部屋にはもう彼はいない。
意味がわかりません。
――あなたが出会ったとき、彼はもう死んでいたんですよ。
意味がわかりません。
――深山高広さんは、投身自殺をしたんです。決して、空を飛んでいたのではない。
意味がわかりません。
――あなたは、その死体を持ち帰って、椅子に丁寧に座らせた。
意味がわかりません。
――自殺の証拠となる手紙を燃やしたのはあなたですよね。
意味がわかりません。
――あなたと出会ったとき、彼にはまだ意識があったのでしょうか。
意味がわかりません。
――われわれは正直、この件をどう処理すべきか悩んでいるのです。
意味が、わかりません。
――ああ、今日はもういいです。お部屋に帰ってくださって構いませんよ。
わたしの部屋は、わたしの家は、ここではない。
――もう少し、我慢していただけますか。
わたしをひろくんが待っているんです。帰らないといけないのに、どうして邪魔をするんですか。
わたしは帰りたい。地球の裏側の世界に帰るんです。
理解しなければ一緒にいられるって約束してもらったんです。
だから理解しません。絶対に理解しません。
世界の構造を疑わない。それがひろくんといられる条件なんです。
わたしは世界を疑わない、わたしはひろくんという存在を疑わない、それってとても大事なことなんです。
雨に打たれて散った紅葉は、赤くはなりません。でも、わたしはそうじゃない。雨に打たれて散ったりしていません。わたしは赤くなるんです。誰よりも赤くなって、誰よりも赤いひろくんに抱きしめてもらうんです。永遠に永遠に、ひろくんと一緒にいるんです。どうしてそれを邪魔するんですか。全然理解できません。理解したくありません。わたしは理解しません。美しい世界の構造は、疑ってはいけないって知ってるから。
――それは、あなたの妄想ですよ。
意味がわかりません。






 紅葉の葉は赤くなっても、やっぱり散ってしまう。
 最終的には、赤くなれたかどうかなんて関係ないのだ。
 地上に落ちた葉っぱは、かき消すみたいに全部、無力に消えてなくなる。
 この部屋には窓がないから、今年は紅葉の葉がどんな風に赤くなるのか、わたしにはわからない。
 きっと、今年も紅葉の葉は雨で打ち落されて、きれいに消えてなくなって、なかったことになるのだろう。
 でもそれって、とても美しい世界ではないだろうか。
 何も残らないことは、すてきなこと。
 わたしが死んでも何も残らないけれど、それはわたしが死んで何かが残ることよりも、とても幸せで、完璧なのだ。








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最強で最凶、ついでに最狂の恋物語。
というコンセプトでお届けしました。
しかし、今のところ、このサイトで一番幸せな恋をしている女の子なのではないかと思います、ミサキさん。