それはとても甘美な朝で

 コトコトと、心地のよい音がキッチンから流れてくる。わたしの恋人が料理を作っているのだ。
 わたしは女性で、恋人である彼女もまた女性。
 恋人が同性だからといって、それを億劫に思ったことはない。
 流れるような長髪を後ろで綺麗に束ね、白いエプロンをまとって料理をする彼女は、とてもうつくしいと思う。

 コトコト、トントン……そんな料理の音を聞きながらテレビを眺めている時間は、わたしにとって非常に大切なものである。
 彼女はアニメが苦手だ。現実からあまりに遠くて、楽しめないのだという。だから、彼女が料理をしている間に、録画しておいた九十年代のアニメの再放送を見ておくのは、日課に近い習慣になっている。
 しばらくすると彼女がキッチンから顔を出して、テーブルの上にランチョンマットを引いて、と言ってくる。わたしは黄緑のマットで、彼女はピンク色のマットを使っている。二人暮らしにしては広いテーブルの上にそれを引くと、彼女の料理が運ばれてくる。わたしが食事の前にやることは、マットの準備くらいである。

 軽い足取りで、彼女が盆に載せた料理を運ぶ。
 今日の献立は、焼き魚、ほうれん草のおひたし、ポテトサラダ。それに味噌汁。
 まだ運ばれてきていないが、デザートもあるらしい。
 切れ目を入れて焼かれた魚が香ばしい匂いを放っていた。
 量はそれほど多くないが、二人とも小食であるので、ちょうどいいくらいだ。

「あなたはとてもおいしそうに食べるのね。見ているだけで幸せな気分になる」

 それが彼女の口癖だ。
 彼女は料理に関しては妥協を許さない性格で、わたしが手を抜いた料理をしていると、非常に怒る。
 たとえば、今日の食卓に並んでいるほうれん草のおひたし。
 昔、これをわたしが作ったとき、彼女はもうカンカンだった。

「ほうれん草は、茹でたら冷たい水にさらさなければだめ。その後は、醤油に水を加えて洗うの。洗ってすぐに皿に盛らないで。水っぽさが抜けないから。絞り方も雑よ。もっと丁寧に」

 そんな彼女は、わたしがキッチンに入ることを禁止しているわけではない。
 ただ、無理に作らなくてもいい、とよく言っている。

「あなたがわたしよりも料理上手になってしまったら、わたしがやることがなくなってしまうでしょう?」

 その言葉を聞いて、わたしはにっこり笑う。
 彼女は、わたしに料理を作る。それをわたしが食べる。そのルーティンは、セックスにも似た心の交流だ。
 わたしたちは体を重ねあわせることができない。どうやっても、歪になる。だから、セックスはしないことにしている。
 ふたりとも、むしょうに性的な交流が恋しくなることもある。
 でも、彼女の料理を食べているあいだは、そのことを忘れられる気がするのだ。

「どうして、食べるということはこんなにも幸せなのかしら」

 彼女のつぶやきに、わたしはこう答える。

「あなたの手でつくったものが、わたしとひとつになる。それって、あなたとひとつになるのと似てるから」

 ふっと彼女は声を出さずに笑った。
 子どもっぽいわたしと違って、いつだって大人びた笑み。
 その笑顔が好きだった。

「わたしとあなたは、いつだってひとつだったわ。体も心も、ずーっとひとつ」
「いままでも、これからも、ずっと?」
「ええ。ずっとずっと」

 こんなことを言葉で確かめているのは、まだまだひとつになりきれていない証だと思う。
 やっぱり、体が重ならないと不安になるのかもしれない。
 でも――同じ不安をふたりで抱えて、こうして恋人として生きていくのも、悪くはない。

「きょうは、映画でも見に行かない?」
「隣駅の名画座で、あなたの好きな洋画の上映やってるみたいよ」
「ほんと? いっしょに行ってくれる?」
「もちろん。帰りは近場のカフェにでも寄る? オレンジジャムつきのシフォンがすごくおいしいの」
「寄る寄る!」

 彼女の焼いた魚は、ぜんぜん生臭くなくて、ホクホクと柔らかくて、美味だった。
 彼女のおすすめのシフォンケーキも、きっとおいしいのだろう。
 映画の後のシフォンケーキへ思いを馳せながら、彼女の手作りの朝食を頬張る。

「そんなに急いで食べなくても、大丈夫よ?」

 と言って笑う彼女と、これから見に行く名画のワンシーンが重なって見えた。
 往年の女優が朝食を食べる横顔が妙に印象的なその映画は、わたしが女性を恋愛対象として意識するきっかけとなったものだ。そのことを、彼女はまだ知らない。知らせる気もない。この映画を見て、わたしはきょう、涙するだろう。数奇な運命に感謝しながら、さめざめと泣くだろう。そんな愚かなわたしの涙を、彼女の白い手が拭ってゆく未来が、たしかに見えた。
20170728
お待たせしました。リクエストボックスより、「オリジナル百合」でした。特にその他の指定などはありませんでしたので、好き勝手にオリジナル百合を書かせていただきました!!
百合は好きなのですが、なかなか自分で書く機会がない分野なので、楽しかったです。
リクありがとうございました!