とある金融街の壊し屋さんの話

――わたしの『未来』は、すでに死んだ男の顔をしている。



「何か用かな? そんなに人の顔をじろじろ見つめて」
彼はわたしの視線に気づいてそう言った。わたしは首を振ってこたえる。
「別に。さっき、罪のない他人を破産させた男の顔には見えないなって思ってただけです」
彼は微笑んで反論する。「破産は、あくまで君の判断ミスのせいだ」
「アセットの失敗はアントレの失敗で、アントレの失敗はアセットの失敗ですよ。運命共同体なんだから」
「じゃあ君の失敗でもあるね」
ああ言えばこう言う。この男の口を物理的にふさいでやりたい。
「もうちょっと従順な態度になれないのですか? アセットってアントレの下僕みたいなもんじゃないんですか?」
わたしがわざと尖った口調で言うと、彼は肩をすくめてみせる。
「君が言ったんだろ、できるだけ冷たく接してほしいって――優しくするなって」
――そりゃあ、そうだ。
この顔の彼に優しく接されてしまったら、わたしは平静な気持ちでいる自信がない。
目の前にいる彼をアセットとして認識するためには、彼にどうにかして、「あの人」と別の人格を付与する必要があった。
だからわたしは、彼を連れて金融街に初めてやって来たときに――彼にこうお願いしたのだ。
『わたしに優しくしないで』。
理由はまったく言わなかった。
彼は無表情で頷いた。アントレに服従するその姿勢は、アセットなら当然に持っている資質なのか、それとも彼の性格なのか。
そして数回のディールを経て、今に至る。
アセットの性能がいいのか、わたしの戦略がいいのか、ただ運がいいのかはわからないが、今のところ無敗だ。
わたしたちの目指すものは、基本的には、差をつけないで勝つディールだ。
ただし――相手による。
わたしたちの目的は、金を稼ぐことでも勝つことでもなく、金融街で破産せず生き残ることでもない。
むしろ、目的さえ果たせれば破産してもいいと思っているくらいだ。
担保にも金にも関心はあまりない。
わたしたちは、どうやら最近の金融街ではこう呼ばれているらしい。
『壊し屋』、あるいは『私刑屋』と。

「はー、今日の相手は『ターゲット』じゃなくてよかったよね。本気を出さなくていい」
「まあ、そうですね。『ターゲット』と遭遇した場合、わたしたちは本気で勝たなければいけない上に、相手を破産させなければならないんですから」
「破産させること自体はそこまで難しくはないけれど、『破産させなければならない』ってのはけっこうプレッシャーだよね」
彼は飄々とそう言って、ふわりと自分の体を浮かせてみせる。彼の背中には、蝶のような歪な羽が生えている。アセットとしての彼の名前は『タイラ』という。タイラが人間と違うのはその羽の部分くらいで、他は普通の人間と全く変わらない外見をしている。人型のアセットの場合、頭に角が生えていることが多いようだが、彼の場合、角はふわふわした髪に覆われてしまっていて見えない。一度頭を触ってみたのだが、そのときは確かに髪の中に小さな突起があったので、角がないというわけではないらしい。
「……どうして、彼らのような人間を破産させないといけないと思ってるのか、聞いてもいい?」
タイラはそう問いかけてきた。普段は笑みを絶やさない彼だが、今は表情が消えていた。
「……別に。理由なんかないです。ただ、腹立たしいからやっつけるんです。キレやすい最近の若者なんです、わたし」
わたしは嘘を言った。タイラに本当のことは言えそうにない。
あなたの顔がすべての原因だ、なんて。
タイラは、ふうん、と気のない返事をした。
かつて、真坂木が言っていたことを思い返してみる。
『……あなたの未来を担保にさせていただきます』
そして、アセットの外見はわたしの未来そのものであるらしい。
だが、そんなのは嘘だと思う。
少なくとも、タイラの外見は私の未来などではありえない。
だって、この顔立ちは、そして振る舞いは――
「……帰ろう、タイラ」
そう声をかけると、タイラは笑って頷いた。



『壊し屋』という不名誉な名前は、いつのまにか金融街において著名なものになっていた。
どこかの情報屋が、触れまわったのだろう。不名誉な噂ではあるが、嘘ではなかった。
わたしがその『壊し屋』だと知って、おもしろがってディールをしかけてくる人間もいるようだ。
あるいは、『壊し屋』の思想に気に食わないものを感じる者もいる。
彼らにとっては、金が、あるいは担保する未来が、とても価値のあるものらしい。
そうした人間とディールするわたしの方は、現在のことも未来のことも、金のことも、特に考えてはいなかった。
わたしが守りたいのは、過去だ。
過去を守るために戦うと、金融街に踏み入れた時点で決意していた。
「タイラ、そこでメゾフレーション、叩き込んで!」
タイラに指示を飛ばしながら、そして今日の『ターゲット』を破産に追い込みながら、わたしは別のことを考えている。
金融街だかなんだか知らないが、タイラをわたしに与えた理由を教えてもらわなくてはならない。
アセットとは何なのか、アントレとは何なのか。
アセットはわたしの未来なんかではありえない――絶対そんなわけはない。
それならば一体、何なのか。
それを解き明かすまでは絶対に負けない。

相手を焼き殺すようなフレーションの一撃を終えて、タイラがわたしの隣に戻ってくる。
債務超過を起こしたアントレは、俯いたまま震えていた。彼はこの後、死ぬかもしれない。少なくとも、彼に未来は残されていない。
少しだけ良心が痛むが、そんなことをいちいち気にしていたら、金融街では生きていけない。
「タイラ、今日もありがとうございます。わたしはまた、理想に一歩近づいた」
事務的な口調で、タイラの方を見ずに、わたしは言った。
「君の理想がなんだか知らないけど、ぼくはアセットとして戦うだけだからね」
タイラはそう答えた。その答えに少し苛立った。彼の仕草は、そして外見は、どうしてもわたしの心をかき乱す。
「ばいばい」
元の世界に帰ったわたしは、ミダスカードを放り出してベッドにもぐりこむ。
カード越しにタイラと話すことはしたくなかった。
……わたしが、運命を変えようとする男と出会ったのは、その次の日のことだった。



彼は、公園のベンチに座ってアイスクリームを食べているわたしに、音もなく近づいてきてこう言った。
「やあ、『壊し屋さん』、はじめまして」
少しひげを生やした精悍な顔の男の名前は、聞かなくても知っていた。
三國壮一郎。
何を考えて近づいてきたのかわからないが、彼にディールを仕掛けるのは危険だと思った。
できれば、戦わずに済ませたい。
「ああ、今日は話をしに来ただけだ。そんなに警戒しないでくれないか」
「話とは、なんです?」
わたしが問うと、三國は笑うのをやめて、こう言った。
「君の目的はなんだ?」
……いずれはこうなると思っていた。
『壊し屋』に接触し、その真意を問おうとする人間が現れるのは必然の流れだろう。
わたしが答えないので、三國は言葉を変えて言いなおした。
「『アセットを迫害しようとする、アセットに対して愛を持たないようなアントレを破産させて倒す』……そんな君の理想は美しいかもしれないが、アセットはアントレの資産だ。個人がどう扱おうと、他者が関係するべきものじゃないはずだぜ。なぜそんな正義を行おうとする? 君の守りたいものはなんだ?」
「…………わたしは」
わたしがそれ以上、何も言わないのを見て、三國はさらに質問を変えた。
「……君のアセット、もしかして、誰かに似ているのか」
その質問に対して、わたしは動揺しつつも無言でうなずく。
もしかすると、この人は『答え』を知っているかもしれない。
アセットとは何なのか、アントレとは何なのか……そんな根源的質問の答えを。
「そうか」
三國はタバコを取り出して、わたしの隣に座った。
「俺のアセットも、まあ、君と同じようなものだな。大事な人にとても似ている」
「そう、あなたも」
「だがな、あれは人間じゃない。現実と一緒くたにしていると痛い目を見るぞ」
三國の口調は厳しかった。それを聞いて、彼がそれ以上、アセットの正体というものに関心を持ってはいないことがなんとなくわかった。答えが得られないことには失望したが、彼が自分のアセットに対して、わたしと同じような感情を持っていて、少し勇気づけられた。
「わかってますよ。現実と一緒にしたりしません。ゲームと現実の区別がつかないほど、わたしは愚かではないのです」
「そうか。できれば、ディールの秩序を乱す『壊し屋』行為はやめてほしいと思って説得に来たんだが、今日のところはやめておくよ。好きに活動してくれ」
三國は立ちあがって去って行く。
彼の背後に、小さな少女の影を幻視した気がしたが、気のせいだった。そこには三國しかいない。
「あーあ……天下の三國壮一郎ですら、謎の答えは知らないってことか」
つぶやきながら、わたしはベンチから立ち上がって空を見上げてみる。
雲ひとつないというわけでもなく、どす黒く曇っているわけでもない、夕焼けに染まりつつある紫色の空。
「タイラ……わたし、これからも負けずにいられるかな」
あなたが消えてしまう前に、あなたが何だったか、つきとめられるかな。
問いに対する答えはなかった。当たり前だった。タイラはこの世界にはいないし、答えを知らない。
タイラの顔を思い返してみる。彼はわたしの恋人と同じ顔をしていた。
二週間前に死んでしまった、わたしの大好きだった人と、まったく同じ顔。同じ声。同じ背の高さ――ただ、彼はアセットで、わたしの恋人だった記憶なんて持ってはいなかった。だからこそわたしは、アセットが自らの未来だという言葉を信じられない。だって、彼は死んだ。死んだ人間が未来を体現しているなんて、ありえない。
だからこそ、わたしは誰かに尋ねたかった。アセットとは本当は何なのか。

『アセットに対して愛を持たないアントレ』を打ち倒す『壊し屋』を始めたのは、どうしてだったか自分でもわからない。
ただ、アセットをアントレ自身が害そうとする行為は、とてつもない裏切りに思えた。許せなかった。
わたしにとっては、彼と過ごした過去が一番大切で――そんな過去に寄りかかっている自分の未来だからこそ、わたしのアセットは恋人の姿をしているのかもしれない。アセットの正体は、やはり自分の未来以外の何物でもないのかもしれない。だとしたらひどく滑稽だ。わたしはこれからの人生で、ずっと彼のことばかり考えて、死ぬまでそうやって過去を引きずって無様に生きる。
そんな現実を打ち倒したくて、そしてそれでも過去が大切だから――わたしはこうやって戦うのかもしれない。
現在にも未来にも、金銭にも価値が感じられないわたしには――悪人のように見える『ターゲット』をがむしゃらに打ち倒す『壊し屋』が似合いだ。
自分の過去の思い出を守ることと、過去の姿をしたタイラを守ることと、他のアセット全部を守ること。その三つが頭の中でぐちゃぐちゃに混ざって、境界線があいまいになっている。わたしの戦う理由は、変質しすぎて直視できないくらい歪んでいる。
でも、わたしは戦わずにはいられない。
また、金融街の中で、誰かが不幸になるだろう。
『壊し屋』の噂は、どんどん広まって行くだろう。
三國壮一郎や、あるいは金融街そのものも……いずれは見かねて動き出すかもしれない。そのとき、全部終わるかもしれない。
それでも、わたしは壊すことを止めないだろう。
タイラは、そんなわたしに寄り添ってくれるだろう。
わたしが何をしようと、最後までそばにいてくれるはずだ。
勝手に死んでしまう人間より、そんなアセットの存在に、価値を――愛しさを感じてしまうときもある。
明確に間違っているけど、もうわたしにはタイラしかいない。
タイラがそばにいてくれるなら、わたしは誰かを自殺に追い込んでも大丈夫な自分になれる。
もしかしたら、アセットと呼ばれる彼らが、そんな風に人間と一緒にいてくれる存在だからこそ、わたしは『壊し屋』になるのかもしれない。
彼らが本当は何なのかなんて、どうだっていい問題なのかもしれない。
とりあえず、この世界にはディールしか存在しない。
誰かが勝って、誰かが負けて、誰かが不幸になるだけの、世界の枠組みは絶対に揺るがない。
わたしが負けて消え去っても、金融街はなくならないだろう。


わたしの『未来』はすでに死んだ男の顔をしているけれど――他人の『未来』を打ち倒そうとする、そんなわたしの『現在』はまだ、続いている。それが幸福なのか不幸なのかは、誰も知らない。



110704


アセットとアントレの設定を自分で考えたら楽しそうじゃね!?
って思って勢いで書いてみたもの第一弾。
原作と矛盾してたらごめんなさい。かなり勢い重視。
幸福な理想形としてのアントレ&アセット、っていうのが書きたかったんですが今回は断念。