叶わない恋をしたアントレさんの話
「君には、金融街にいる理由ってある?」
そう尋ねられて、わたしは言葉に詰まる。
「……あなたは?」
質問に質問で返すのは悪いことだけれど、そう問い返してみた。
「え、僕? 僕はね、幸せのためだ」
今朝出会ったばかりのアントレ――名前は深瀬とか言ったっけ――は、堂々と胸を張ってそう言ってみせた。
「なんていうかさ、僕、すげー頭悪くてさ。難しいこととか、経済の知識とか全然わからないんだけど、とりあえず自分のアセットと一緒に幸せになる!っていう目標だけは持ってるんだ。だからまあ、ディールも幸せになる儀式みたいなもん」
深瀬は一気にそう言って、軽く笑った。「でも、僕って激弱だから、そのうち破産して泣くことになるかもしれないけどね」
「強い弱いで言えば、わたしもかなり『弱い』方だと思いますよ。アセットの特性も、そこまで突飛なものではないですし」
そんなことより、最初の質問の答えを言わなくてはいけないな――と、わたしは少し考えた。
深瀬はわたしが言葉を発するのを待っているようで、何も言わない。
「わたしが、金融街にいるのは――」
意を決して、わたしはこう言った。
「好きな人に会うためです」
その答えが意外だったのだろう。深瀬は一瞬虚を突かれたような顔をした。
「それはまた、甘酸っぱい答えだ」
照れるように、深瀬は少し顔を赤らめる。「で、好きな人って誰? 有名な人かな?」
「まあ、金融街では有名だと思います」
とわたしが答えると、深瀬は身を乗り出して「え!誰?」と言ってきた。
「あ!わかったぜ、ミクニソーイチローだろ! なんかかっちょいー髭の人!」
天下の三國壮一郎を指して「髭の人」などという呼称を用いるセンス、なかなか個性的だな……と思う。
「いえ、三國さんではありません」
「えー、じゃあ誰だろ。僕、あんまり他のアントレのこと知らないからなあ」
「あの……その方は、アントレではなくって」
「じゃあアセット? 男性型のアセットなんて、あんまり見たことないけど」
「……いいえ、アセットでもなく……」
わたしは口ごもる。アントレでもなく、アセットでもない……と、ここまで言ってしまえば、わたしの好きな人の名前は明白だろう。
「あ、もしかして……!」
深瀬は人差し指をぴんと立てた。
「君の好きな人って……真坂木?」
+++
元来、わたしはどうにも惚れっぽい気質だった。
しかも、惚れるポイントが少しずれていて、みんながキャーキャーと歓声を上げるようなアイドルよりも、少し人気のないバンドの歌手が好きだったりした。いわゆるマイナー嗜好だ。
たとえば、メガネをかけた人がそれをはずしたときの仕草だとか、教師がチョークを持ち上げるときの微妙な手つきだとか、普段は制服を着ている男の子の私服姿だとか――その人の性格や人格とは全然関係のない部分に、どうしようもなく惹かれる。
真坂木を好きになったのも、たぶん真坂木本人の個性や資質には全く関係のない何かが原因だったのだと思う。
「にゃあ――」と、猫の鳴く声を聞きながら、わたしはベッドに横になった。
猫の鳴き声は、わたしのミダスカードから聞こえてくる。
「キース、元気?」と問いかけてみると、「にゃあ!」と返事が聞こえる。
『キース』は、わたしのアセット。外見はどこにでもいる普通の猫だ。毛の色は茶色。
大きさがただの猫と同じであるがゆえに、アントレを乗せて移動したり、体を盾にしてアントレを守ったりすることはできない。
体が小さく移動速度が非常に速いため――物陰に隠れておいて、急に飛び出して不意打ちを食らわせるなど、ディールにおいては奇襲が得意だ。あるいは、小動物ゆえの俊敏さを生かしたフレーションも有効だ。
体の大きい相手との近接戦になるとやや不利とも言えるが、それでも、わたしたちはそこそこの勝率を誇っていた。
ただし、ディールの結果は、時の運と、相手のアントレの能力値や資産に大きく左右される。
たまたま、強い相手と出会っていないだけ――なのかもしれない。
これは一種の博打で――いずれ敗北し、破産し、すべての未来を失うことも考えておかなくてはいけない。
しかしそれでも、わたしは金融街に行かずにはいられないのだ。
強すぎる恋心ゆえに。
「ねー、キース」
「にゃあ?」
「今日、深瀬さんが言ってたこと、どう思う?」
「にゃー」
「うん、そうだよね、やっぱりさ」
どこか能天気そうな青年アントレ、深瀬は、わたしの好きな人物が真坂木であるということを言い当てたのちに、こう言ったのだ。
『で、告白とか、もうしたの!?』
「告白とか、考えたことなかったなあ」
「にゃにゃー」
「そうそう、遠くから見てれば幸せっていうかさ。それだけで満足しちゃうところがあるんだよね」
「にゃにゃっ!にゃー」
「あー、やっぱキースもそう思う?」
「にゃ!」
「だってさ、仮に真坂木さんに告白したとしてさ、きっぱり断られちゃったら、そのあとのディールのときはどういう顔をして会えばいいの!? って感じじゃん」
「にゃ」
キースしか聞いていないのをいいことに、わたしは白熱してしまう。
「つーかそもそも、真坂木さんって何者なのよ。そこからしてわかんないのに、告白ってなんなの。無理っしょ」
「にゃーにゃ」
「でもさ」
思い出してみる。
深瀬は言った。
幸せのために戦うと。
それだけが目標なのだと。
そんな深瀬の持論は、この金融街では失笑ものだろう。
金融街において価値があるのは――金と未来。それだけなのだから。
愛とか、幸せとか、過去とか。そんなものは必要のないがらくたと同じだ。
「わたしはさー、がらくた抱いて戦ってる人間ってかっこいいと思うんだ。そいでもって、わたしは自分のがらくたに誇りを持つために、もしかしたらこの気持ちに蹴りをつけておくべきなのかもしれない」
「にゃにゃ?」
「つまり、わたしは」
「にゃあ」
「今度のディールのときに……真坂木さんに告白しに行くことにしたのです」
「にゃああ!」
「うん、頑張る」
+++
結果は見えていたけれど、撃沈としか言いようがなかった。
「そのような申し出は困ります」
珍しく、眉根を寄せた表情で真坂木は言った。口調にはまったく困った響きはない。たぶん、「そういう表情」を作ってるだけなんだろう。
「わたくしどもは基本的に上の命令で動いておりますので、その規範からはずれた申し出に答えることはできません」
わたしが何も答えずにいたら、きっと真坂木はそのまま消えてしまう。
「好きです」以外に言うことなんてない。
でも、このまま消えてしまうなんて嫌だ。後味が悪すぎる。
わたしは必死に言葉を絞り出す。
「あの、真坂木さん。困らせてしまいましたか?」
「困る?」
真坂木はチェシャ猫のように笑む。
「困ってなどいませんよ。もう一度申し上げておきますが、わたくしどもは上の命令で行動しているのです。上に『困れ』と言われたら全力で困ってみせるでしょうが、そうでなければ『困ります』と口に出すだけで、実際に困ったりいたしません」
とても事務的な口調だった。
「じゃあ、わたしのせいで迷惑していたり」
「しません」
「わたしに気を使ってくださっていたり」
「しませんね」
…………自分が、嬉しいのか悲しいのか、よくわからない。
わたしのせいで迷惑がかかっていたら申し訳ないけど、まったく迷惑でないというのもどうなのだろう。
「それだけですか?」
と言う真坂木はいつもの真坂木で、わたしが告白しようと、しまいと、全く変わらない。
嬉しいのか悲しいのかわからないまま、わたしはため息をついた。
わたしはわたしのがらくたに、誇りを持つことができたのか?
むしろさらに半端な状態になっただけではないか?
自問していると、真坂木はわたしの顔を覗き込んできた。わたしは驚く。「わ!」
「あのですね。ひとつ、余計なことを言わせていただいてもよろしいですか」
「なんでしょう!」
至近距離に真坂木の顔があるのでドキドキしているわたしのことは放っておいて、真坂木は淡々と語りだす。
「金融街は非常に寛大なのです。ディールさえしていただけるのなら、何をしようと自由です。ですから、あなたが先ほど申したような感情を持つことも、自由なのです。ただ、わたくしどもはその感情に対しては何もアクションしないというだけです」
「つまり、どういうことですか?」
真坂木は、わたしの耳に口を寄せてみせる。「『好き』であることは別にかまわない、ということです」
「――…………」
わたしが何か答えようとするよりも前に、真坂木は煙のように消えてしまった。話は終わり、ということらしい。彼の事だから、もう、今度会っても、この話は二度としないのだろう。そのときには、ディールのことしか話さない、いつもの真坂木に戻っているに違いない。
「ねえ、キースはどう思う?」
足元にいるキースに語りかけてみると、キースは鳴くことなくわたしの足にすりよってきた。それが答えらしい。
好きであることはかまわない――それは真坂木なりの優しさかな……と一瞬考えてみるけれど、ちょっと違うなーと思う。
あの人が、そんなまっとうな感情を持っているかどうかは怪しい。
要するに、真坂木は機械的にプログラムされたことしかしないのだ。
わたしと恋愛することは、彼にはプログラムされてなかったという、それだけのことだ。
それが嬉しいことなのか悲しいことなのかは、これから決めようと思う。
結論が決まるまで、しばらくは、わたしが金融街に行く理由は、「真坂木に会えるから」なのだろう。
――ところで。
どうしてわたしのアセットは猫型なのだろう……とずっと思っていた。
実はキースのおなかにはポケットがついていて、猫ではなく猫型ロボットでした……というオチがあるのかと思って、キースのおなかをまさぐってみたりしたこともある。そんなことはなかった。キースはただの猫だ。
だが、今日、ようやく気付いた。
わたしが大好きだったのは、いつも金融街で出会う彼のあのチェシャ猫笑い。
わたしの未来の象徴たるキースが『猫』なのは、こじつけっぽいけど、わたしの大好きな人の笑い方に通じているのかもしれない。
「って思ったら、まだまだあの人のこと、好きでいられそうな気がしてくるよね、キース!」
「にゃあ」
……そんな感じで、金でも未来でもなく、愛に価値を見出した愚かなアントレは、愚かながらも、幸せに暮らしました……なんてね。
110713
オリジナルアセット&アントレ第三弾。
また勢いのままにお送りしました。
金融街に行ったときのアセットは少女型がいいなあ、と放送中は思ってたんですが、動物型だったら猫がいいなと思います。