光に魅せられた男の話

ひどい一撃をくらって、視界がかすんだ。
マクロだ。
内臓ごと吹っ飛びそうな一撃で、相手は『ぼく』に致命傷を負わせたと思ったのだろう。
その瞬間こそ、『ぼく』たちが逆転する最上のタイミングだとも知らず。
『ぼく』は迷わずメゾフレーションを打ちこんだ。マクロを使うまでもない。
「…………な、なに!?」
至近距離から思わぬ反撃を受け、相手の体が地面に崩れ落ちる。債務超過。あっけなく、ディールは終了だ。
相手は、震えながら『ぼく』の方を見た。
「ちょっと、待ってくれよ!『君』がなぜフレーションを打てる!? 君、アントレだろう!」
『ぼく』はにっこり笑った。
「はは。ぼくはアントレなんかじゃないよ?」
立ち込める霧の中、『ぼく』のアントレが、すたすたとこちらに歩み寄ってくる。サングラスをかけた青年だ。
「要するにさ、騙されたんだよ。まさか、アントレとアセットがディールの間に入れ替わってるとは思わないだろ」
青年――九重ミカゲは柔和な笑みで種明かしをした。そして、サングラスを外す。
「な……同じ、顔!?」
たいした戦力も運も持たないぼくたち二人が絶対に負けない理由。
九重ミカゲと、『ぼく』は、全く同じ顔をしているのだった。
ディールが始まるとき、サングラスをかけていたのは『ぼく』。
けれど、ディールの途中、相手に見えないところで、サングラスをミカゲに渡す。
ミカゲは最初、厚いコートを羽織っていたが、ディールのどさくさにまぎれて、物陰で脱いだ。
コートの下に着ているのは、『ぼく』と同じ服だ。
『ぼく』はコートを受け取り、羽織る。
あとは、相手から視認されていない間に入れ替わればいい。
サングラスとコートというわかりやすい記号を用いた簡単なトリック。
そして『ぼく』の固有フレーションは『霧を自在に作り、攻撃にも用いる』ことができる。撹乱にはぴったりの能力だ。
今回の相手は、無防備な『アントレ』を重点的に攻撃しているつもりが、実は『アセット』を攻撃していたというわけだ。
もちろん、アセットの『ぼく』の負担はかなり大きいのだが。
ここまで露骨な方法でなくても、アントレとアセットの外見が完全に同じである『ぼく』たちは、相手にしてみればかなり扱いにくい相手だろう。外見的な特徴はほぼ同じなのだから、ディールの最初からまったく目をそらさずに動向を見つめていない限り、どちらがアセットかわからなくなってしまう可能性は高い。フレーションを打つところを見られたらおしまいだが、姿は霧の中に隠せばいいのだから、問題はない。
アセットだから攻撃されても大丈夫だというわけではないが、アントレに攻撃が向かうよりは賢い戦法だと言える。
「ちくしょう、反則だ! 今のディールは無効だ、そうだろ!」
相手は口汚く『ぼく』を罵ってくるが、誰も取り合わない。本当に反則であるなら、債務超過する前に真坂木が止めに来ているはずだ。それがないということは、反則すれすれではあるが、反則ではないということだろう。
「まったく、見苦しいな。おい、行くぞ」
ミカゲは、破産した相手には特に興味がなさそうにそう言って、元の世界へと歩き出した。



九重ミカゲは冷血である。
近くで見ている『ぼく』が言うのだから、間違いない。
相手を破産させたいわけではないらしいが、結果として破産に追い込むことはとても多い。
ディールにおいて、手加減などというものはしたくない、とでも言いたげだ。
ミカゲの性格を言葉で説明するのはとても難しい。
『ぼく』は彼のことは嫌いではないのだけれど、彼が『ぼく』をどう思っているのかはわからない。
自らと全く同じ外見の『ぼく』を初めて見たとき、彼は微かに驚いたような顔をした。
金融街とディールの仕組みを一通り聞いた後、ミカゲが最初にしたことは、『ぼく』の頭のツノを折ることだった。
ツノには痛覚神経が通っていない――それに、アセットの痛覚と人間の痛覚が全く同じだとは限らない――せいで痛みはなかったけれど、初めてのディールに向かうより前に、「入れ替わり作戦」に備えてそんなことをする彼は、どこか風変わりに見えた。
『ぼく』はアセットであるから――彼のその行為に対しても、何も思わない。むしろ、ディールに勝つために必要であるなら、ツノなんていくらだって折ればいいのだ。体の傷は急速に再生する『ぼく』らだが、折られたツノは結局、再生しなかった。『ぼく』が再生を望んでいなかったからなのか、アントレの要望だからなのか、そもそもディールに関係ないからなのか、運命の気まぐれなのかはわからない。



「ミカゲー」
『ぼく』が呼びかけると、ミカゲはゆっくりと振り向く。「何だ? ヒカリ」
「ぼくら、なんで同じ顔なんだろうね」
さりげなく尋ねてみると、
「世の中には自分と同じ顔の人間が三人いるというが、そのうちの一人はお前なのかな」
と意味深な答えが返ってきた。『ぼく』は、人間じゃなくてアセットだけどね……と思いながら、笑う。
「三人、同じ場所に集めたら楽しいんじゃないかな。話がはずむと思うよ」
「バカが。同じ顔の人間は『ドッペルゲンガー』っつってな、出会うと不幸になるって相場は決まってるんだ」
今日のミカゲは、珍しく饒舌だ。この手の話題が好きなのかもしれない。
「あれ、じゃあ、ぼくと出会っちゃったミカゲって不幸なんじゃない?」
茶化して言ってみると、ミカゲはぎろりとこちらを睨んできた。ツノを折ったときと同じ顔だ。「くだらねーこと言ってんじゃねーぞ」
「……ミカゲにとって、幸せって何?」
なんとなく、そう聞いてみる。ミカゲはどうでもよさそうな顔をした。
「幸せなんて知らねえな。大事なのは金だ。金さえあれば死ぬことはない。金さえあれば絶望して線路に飛び込むこともない」
まるで、実際に絶望して線路に飛び込んだ知り合いがいるかのような口ぶりだ。
「ミカゲは、いつでも一人だよね。一人でひたすら金だけ稼いで、それで楽しい?」
『ぼく』は調子に乗って軽口を叩いてみた。ミカゲは黙っていた。
たぶん、『ぼく』がミカゲと同じ顔をしているのは、ミカゲの世界には、ミカゲしかいないからだと思う。
たとえば、この間のディールを見物していた三國荘一郎だとか。
どこのだれだか知らないけど、大学生っぽい、ちょっと頼りなさそうなアントレだとか。
いかにも学者の先生っぽい、知的な外見のアントレ。
銀色の髪を縛って、棒のキャンディを舐めていた女性のアントレ。
この世界にはたくさんの他者がいる。
他者とは可能性であり、可能性とはすなわち未来だ。
ミカゲは、そういう他人には興味がない。彼にとって、自分以外のアントレは、金を稼ぐための道具だ。
他者とかかわる可能性を認めない。
ミカゲの未来は閉塞していて、どうしようもなく何もない。
他人とかかわって、人間は変化する。
他人とかかわらなければ、人間は変化しない。
まるで鏡だけ見て生きているみたいに――まるっきり変化しない。
きっと、ミカゲは生まれたときからずっと一人で、ミカゲ以外の何でもなかったんだろう。
きっちりと自我が完成してしまっていて、変わらない。変われない。
自分しか見えないミカゲの未来は、ミカゲの顔をしていて当たり前なのだ。
自分のために金を稼いで、自分のためにディールに勝って。いずれ敗北するそのときすら、彼は自分のために負けるだろう。
そんな彼が影ならば、『ぼく』は光だった。裏表の双生児だ。『ぼく』は、他人とかかわることが無意味だとは思わないけど、『ぼく』が何を考えていても、ミカゲには影響しない。光は光で、影は影だ。浸食したりしない。
『ぼく』は彼のアセットで、戦うことしかできないけど、だからこそミカゲの気持ちはわかる。
ミカゲは、自分のことが大嫌いで、同時に大好きなんだ。
『ぼく』のツノを折ったのは、本当は、自分と同じ顔の『ぼく』が目の前にいることが許せなかったせいじゃないかと、今は思う。
「ミカゲは、すっげーかっこいいやつだとぼくは思うよ。孤高のヒーローって感じ」
「気持ち悪いこと言うなよ、『オレ』のくせに」
「『孤高のヒーロー』って、一般的には『自分は一人だけどみんなのことを助けてやれるヒーロー』って意味なんだろうけどさ。本当に孤高だったら、自分しか助けないと思うんだよ。自分自身のことを百パーセント助けられるってだけでも、十分ヒーローじゃん」
「特撮ドラマの見すぎだ」
「特撮ドラマを見てるのはミカゲでしょ? ぼくはそんなミカゲを、カードの中から見てるだけだ」
『ぼく』の指摘に、またミカゲが沈黙する。でも、会話を打ち切ることはしない。
ミカゲにとって、『ぼく』は排除すべき他者じゃない。なぜなら、『ぼく』がミカゲの顔をしているからだ。歪んでるよなあ、ミカゲってさ。
「あーあ、なんかさ、悲しいねえ、ミカゲは」
「何だ、唐突に」
「別に、特に意味ないけど?」
ふん、とミカゲは鼻を鳴らし、寝る支度をすることにしたらしい。短く、「おやすみ」という声が聞こえた。
それが、『ぼく』とミカゲがまともな会話を交わした、最後の夜だった。


+++++


「……九重、ミカゲさん」
名を呼ばれて、ミカゲはいぶかしく思いながら振り返った。そこには見たことのない少女が立っていた。
少女が身にまとう異様なオーラを感じ、ミカゲは彼女が「ただならぬ人間」だと思った。
謎の少女は、思いつめた目をしている。まるで、喪に服しているみたいに暗い瞳。
外見は少女に見えるけれど、本当はもう少し年が上なのかもしれない。人生のどこかで時が止まってしまったような顔だ。
「あなたが、アセットのツノを折ったと聞きました」
少女の声は冷たい。
「そうだったらどうする? オレのアセットに何をしようが、オレの勝手だろ?」
「あなたのアセットは、誰の顔をしていますか?」
少女は意味のわからない問いを発した。ミカゲは欠伸しながら答える。
「オレのアセットはオレの顔をしてるよ。見てて殴りたくなるくらいにイケメンだ」
「あなたのアセットはあなたの顔をしているのに、あなたは彼のことを愛さないのですか?」
「自分と同じ顔のやつを愛するとか寒いだろ。同性だし。あとさ、アセットとアントレって、愛とかそういう関係じゃねーよ」
少女の詰問を、ミカゲは飄々と交わす。こういう説教臭い人間は面倒なのだ。
「確かにオレはヒカリのツノを折ったよ。バキバキってな。でも、ヒカリは文句なんか言わなかった。むしろ、折ってくれてありがとうって言いそうな顔だった。あのとき、オレはけっこう感動したのかもしれねー。こういう風に暴力を受け容れる『オレ』が、この世界にはいるんだ、って思った。アセットには、暴力や迫害を嫌だって思う回路なんか備わっちゃいねーんだ」
ミカゲは、にっと自然に笑ってこう言いきった。
「それって、あいつらにとっては不幸かもしれないけど、その不幸すらあいつらは自覚しねえ。すげー美しいと俺は思ったね」
「……あなたとはまともな会話ができないようです」
少女は不機嫌そうだった。最初から、ミカゲの話なんて聞いちゃいない。
たぶん、彼女にとっては、ミカゲの行為がとても許せないものだったのだろう。その罪を断罪するためにここに来た。
ミカゲの話はすべて、彼女の耳には弁解にしか聞こえない。
「最後に確認します。あなたは、自分のアセットを好きですか?嫌いですか?」
少女の問いかけに、「好きだ」と答えれば、もしかしたら許されたかもしれない。
だが、ミカゲはそんなところで嘘をつく気はなかった。



「オレはヒカリのことが嫌いだ。嫌いだから安心するんだ。ヒカリはオレのことなんか愛さないし、オレはヒカリのことを愛さねえ。ヒカリがいるから、オレは金融街で気持ちよく金を稼いで、他人を喰い物にすることができる。他人と分かりあうなんてことは人生には必要ない。オレと分かりあおうとしないからこそ、あいつは最高のパートナーなのさ。もしもあいつがオレに何かを強制したり、オレの生き方を否定したりしたら、オレは迷わずあいつをボコボコに殴ってやるよ。それでも文句言わねえし不幸にもならねえ、それがオレの知ってるヒカリだ」



少女は薄く瞬きをして、死刑宣告のように言う。
「あなたの意見、確認しました。あなたは『ターゲット』です。わたしはあなたにディールを申し込み、あなたは破産することになるでしょう。もちろん、パスする権利はありますが」
「ははっ、パスなんかしねえし破産もしねえ。なぜならヒカリとオレがてめえをボコボコにするからだよ、姉ちゃん」
「わたしはあなたのような下賤なアントレには絶対に負けません」
「他人を下賤扱いする人間こそ、究極の下賤だとオレは思うね」
ミカゲは軽口をたたきつつ、そのディールを受けた。
金融街におけるミカゲの人生は、それで終わった。


++++


少女の名は白石マリエ。少女の連れている背の高いアセットの名はタイラ。
敗北した九重ミカゲは、彼女が金融街において著名な【壊し屋】であることを、最後まで知ることがなかった。
他者と交流しない彼には、金融街に流れる噂などというものは、意味がないものだった。
同時に、【壊し屋】の思想にも、彼は興味を持たず――【壊し屋】に反感を持つことも、共感を覚えることもなかった。
そんな風に【彼女】と対峙したアントレは、今のところ彼のみかもしれなかった。
ミカゲが最後に臨んだディールの最中に考えていたのは、目の前の少女のことではなく、金のことでも、失われる未来のことでもなかった。
自分と同じ顔をしたヒカリ。
そしてヒカリと同じ顔をした自分――

「……ミカゲにとって、幸せって何?」

かつて、ヒカリはそんな問いかけを発した。あれはきっと、ミカゲが自分に一番問いかけたかったことだ。
今なら断言できるだろう。
幸せというのは、どこにもないくせにどこにでもある、気分の悪い魔術みたいなものなのだ。
ヒカリと出会ったミカゲは、とりあえず金さえあればいいと思った。
実際、金があれば、即物的な快楽はなんでも手に入った。
他人なんて必要ないと思って生きてきたミカゲにとっては、金で買える快楽だけが幸せだった。
……でも、今。
ヒカリのいなくなった世界で、ミカゲは思う。
ディールが楽しかったのは、本当に金を稼ぐのが楽しかったからなのだろうか?
それだけだったのだろうか?
ディールのない世界では、どんな解答だって考えられるけれど、全て嘘に思えた。
たとえば、自分はヒカリと過ごす日々が結構気に入っていて、それだけで世界は違って見えたから、金融街にいようと思った、とか。
たとえば、他人と関係したくない自分にとって、ヒカリはちょうどいいおもちゃだった、とか。
人間じゃないから、何をしても怒らないから、嫌悪も抵抗も知らないから……だからこそ大切だったのかもしれない。
好きだとか愛してるとか、友達だとか恋人だとか、そんな普遍的な関係性じゃない。
首を絞めて殺してやりたいくらいに、憎らしくて。
顔を見ているとイライラする。
白石にしてみれば、そういうマイナスの感情は罪悪だったのだろう。
しかしそれは、ヒカリが『ミカゲの顔をしている』から生じた感情で――ヒカリがヒカリである以上、切り離せないものだった。
ヒカリがヒカリでなかったときのことなんて、ミカゲは想像できない。
そもそも、失った可能性のことなんて、考えるのは面倒なのだ。

今、確実に言えることは一つだけだ。
ミカゲと同じ顔を持つヒカリという男は、不幸を運ぶドッペルゲンガーだったに違いない。
だから今、こんな風にミカゲは不幸になる。
金も、名誉も、未来もなくなった。
――でも、これはヒカリがくれた不幸だから、まあいいか……と、ミカゲは柄にもなく思ってしまうのだ。
明日、自分が線路に飛び込んで死んでしまうとしても、それは自分の顔をしたヒカリが運んできた不幸だ。
決して、白石や金融街に強制された、理不尽でチープな不幸じゃない。むしろ誇って受け容れられる何かなのだ。ヒカリが、理不尽な暴力をあっさり受け容れたように。
そう考えると、なんだかとてつもなく愉快な気分になってきて、ミカゲは壊れたようにくつくつと笑って、夜空を見上げる。
夜の空には星も月もなく、ああ、『光』は死んでしまったのだなと――あらためてミカゲは思った。



110715


「いや、それ反則だよ!無理だよ!(ディールのルール的な意味で)」
と自分で思いながら、こういう策略もできたらいいなーと思いなおして書きました。完璧に妄想をこじらせました。

ちょっと個人的に楽しくなりすぎて、いろいろ暴走した気がします。
正義と正義がぶつかりあうけれど、どちらが正しいのかは確定しない……確定するのはお金の損得だけ。みたいなのがディールの本質のようにも思える。勝ったからって正しいとは限らないし、負けたからって間違ってるとは限らない。むしろ、間違ってたアントレなんて一人もいないんじゃねーかなあ、という妄想。