私がそのことに気づいたのは、私という自我が消える数秒前だった。何に気づいたのかといえば、自分が大変な思い違いをしていたことに、である。今まで私は、人の感情を殺すことはできても消し去ることはできないと思っていた。権力や恐怖で不当に殺された感情は、人が死んでも死体や関係性を後に残すように、どこかに余韻を残すものだと信じていたのだ。今思えば、私は甘かった。どうしようもなく、甘かった。
 この世界には、人のすべてを完全に灰に帰すフレイヤ弾頭があり、そして、人の感情を完全に消し去り蹂躙するおぞましい魔王の力があった。
 かつてフレイヤを肯定したわたしが間違っていたように、きっとギアスも間違った力なのだ。しかし、私のこの考えももうすぐそのギアスによって消されてしまう。
 自分を踏みにじられて初めて気がついた。
 これは、この上なく不快な力だと。


ただ、鈍く廻る


「おや、私の勝ちですね。兄上」
そう言って弟がにっこりと笑った。ひどく懐かしい笑顔。しかし、その懐かしさの根源を思い出そうとすると、思考がかすんで何も見えなくなる。なぜだろう、私には過去の記憶があまり思い出せない。懐かしさを感じるということは、記憶が存在しないわけではないのだろう。どうして思い出すことができないのか。まるで私の脳自体が思考をブロックしているかのようだ。
 そういえばさっきからチェスの対局をしているのに、こちらからチェックメイトをかける寸前、同じように思考が混濁して勝てなくなる。これは何なのだろう。いや、私はもう知っている。ただ、自分の知っているその事実が見えなくなっているだけ。見えないのでは知らないのと同じなのだが。
「そう、あなたの勝利です。おめでとうございます、ゼロ様」
――ゼロ。私は自分の弟をそう呼んでいる。本当の名前を知らないわけでもない。その名前をあえて呼ばないようにしているわけでもない。呼ぼうとしても、口から出てくる呼称は「ゼロ様」になってしまうだけだ。
「……兄上」
弟がそう呼ぶので、私はこう応じた。
「何ですか? ゼロ様」
「……いや、何でもないです」
 なんだか歯切れが悪い。しかし私は彼のその歯切れの悪さについて考えることを許されない。考えようとしても、思考は途中で停止する。
 弟はぼそりと小声でこうつぶやいた。
「兄上は、私を殺したかったですか」
殺したい。その単語が少し思考を加速させた。止まっていた何かが動き出す感覚。
 殺す。殺したい。それは執着であり欲望だ。
 欲望は持たない。執着も持たない。それが私という自我の本質だと、いつかカノンが言っていた気がする。気がするというだけで、彼はそんなことは口に出していなかったのかもしれないが、今となっては思い出せない。

 しかし、殺したかったか――そう問われたら、今の私は本当のことを答えるしかない。嘘をつく権利を持っていないからだ。その気持ちを自覚していたかどうかすら関係なく、正直に自分の気持ちを吐露するしかない。

「殺したかったよ」

そうだ。どうしようもなく、私はこの男を殺してやりたかった。実の弟だからでも、世界の敵だったからでもなく、強くて頭のいい、面白い相手だったから。
 もしかしたら、「殺し合っていたかった」だけかもしれない。たぶん、殺すという事象には執着はなかった。ただ、殺し合うことが少しでもこの退屈を紛らわせてくれたらいいと思っていただけ。執着というものを知りたかった。ただそれだけだ。自分で自分がわからないと思っていたけれど、当人がわからないと思っているものに限って、実はシンプルでわかりやすい構造をしているものではないだろうか。

「そうですか」

弟は私の答えになど興味はないらしかった。何事もなかったかのようにチェスの駒をもてあそびはじめる。私の思考回路も、また濁りを増していく。何も考えられない奴隷のように。プライドも自我も、自分の主義主張も出自も、すべてがどうでもいいことのように思える。
 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
 先ほどまで誰よりも憎くて殺したかった相手のはずなのに。
 どうしてだろう――もう私は君を、殺せない。


「もう一局、どうですか。兄上」
「イエス・ユア・マジェスティ」
私は跪いて、彼に忠誠の言葉を捧げた。



080922

シュナイゼルに命令できるなんてうらやましい!
と思っていたらこんな話になりました
ギアス後の思考回路ってどうなってるのかよくわからないので、好きにねつ造しましたが、 たぶんこんなに思考残ってないだろうな…