夜、窓辺にて

「考えたことがすべて事実になる。それはとてもかなしいこと」
アウレオルス・イザードは読んでいた本から少し視線を外し、少女の方を見た。
――ディープ・ブラッド。姫神秋沙。
 すべての吸血鬼を寄せ集めて誘惑して殺す、少女。
「呆然。なぜそんなことを思う。わたしの道具であり、そしてわたしを道具として利用する。ただそれだけの少女よ」

 アウレオルスの目的のために、姫神秋沙とその血は利用される。
 姫神秋沙の目的のために、アウレオルスも手段として利用される。
 共存、もしくは共依存と言い換えても構わない。お互いがお互いの手段でしかない。それ以上でもそれ以下でもない。アウレオルスは禁書目録を求め。姫神秋沙は自らの安息を求め。そのための共同戦線。長くは続かないだろうけれど、この場所では一時の安息を手に入れることができる。それはアウレオルスも秋沙も同じだった。
 このまま、彼が禁書目録を手に入れ、ディープ・ブラッドをその目的のために『使って』しまうまで――ひそやかな安息は続いていく。その後、何がどうなるのか、秋沙は知らない。禁書目録というものが何であるのかすら、よくわからない。アウレオルスは「救いたい」のだろう、ということだけは知っていた。彼にはどうしても、救いたい人がいる。そのために必要なのが――姫神秋沙。忌まわしきディープ・ブラッド。

 こうして二人で過ごす間にも、たくさんの人間が死ぬだろう。傷つかなくてもいい人たちが、傷ついていくだろう。でも、そんな多大な犠牲すら、この男は「なかったこと」にしてしまう。アウレオルスが『甦れ』と願うだけで、屍は何事もなかったかのように動き出す。死も痛みも、存在したことすらないかのように。
 罪は消えてなくならないけれど、死人がいない以上、彼がその罪によって裁かれることはない。結果として誰も悲しまないのなら、それでいいのかもしれない。少しだけ、そう思う。

 秋沙はアウレオルスをまっすぐに見る。物憂げに伏せられた目。何の希望も信じていなさそうな目。この三年間、彼はそんな目をして生きてきたのだ。
「……あなたの好きな人が。もしもあなたを好きじゃなかったら。そう考えてしまっただけで。……あなたの気持ちは途絶えてしまう」
だから。と秋沙は言った。
「それはとても。かなしい」
「唖然。女性特有のセンチメンタリズムというものか。生憎、そんな感情はわたしにはない。わたしはただ信じるだけだ」
自らの首に残る無数の跡をなぞるように触れながら、彼は言う。
 何事もないかのように。
 さも当然だというように。
 自分が世界で一番正しい、と言う子供のように。
「禁書目録と過ごした日々を。あの無邪気な笑顔を。きらきらと輝ける星空のごとく、わたしの心を捉えて離さない、少女を……信じる」
それは強がりにすぎない。そんな気がした。
 本当は彼は「想定して」しまったんじゃないだろうか――と姫神秋沙は思う。
 アウレオルスは自分の思いが実らない可能性を「考えて」しまった。だから、夜ごと不安にうなされるのではないのか。いつだって不安でたまらない様子でいるのではないのか。
 首に鍼を刺さなければ自分を保てない哀れな男は、ふんと鼻で笑った。
「厳然。くだらない話はそれだけか、姫神秋沙」
「それだけ」
「悠然、ではわたしは読書に戻らせてもらう」
――自分の未来を自分で閉ざしてしまう。それはどんな気分なのだろう。
 好きな相手が、自分を好きにならないかもしれない、と不安に思わない人間はいないはずなのだ。それが道理というものだから。しかし彼は、そう思う権利すら自分で捨てた。黄金練成という力と引き換えに。錬金術師にふさわしく、「変換」して「交換」してしまった。

 すべてが思ったとおりになる黄金練成。その強大な力を手にし、完全に自分の力とするために必要なものが、この男には明らかに欠けてしまっている。それは覚悟であり、自信であり、不安を打ち消すための光だ。……そう気づいていても、秋沙にはどうにもできない。ただ祈るだけだ。ここで、今この瞬間に秋沙の願いが叶えられているように、彼の願いも叶えばいいと。秋沙の願いは「誰かが自分のために死なないこと」で、彼の願いは「禁書目録の笑顔を取り戻すこと」。ひとつひとつは他愛もない願いだというのに、どうしてだろう、その願いが両方とも叶うことはないのではないか、と秋沙は考えてしまう。

 秋沙には黄金練成の力はない。つまり、「思って」しまってもそれは現実にはならない。しかし彼がもし、秋沙と同じことを思ってしまったらどうなるのだろう。それだけは思わないでほしい、と秋沙は祈る。窓から注ぐかすかな星の光に。そして、光に照らされる彼の儚げな横顔に。



090127