天秤
広い世界にはたった一人、一緒にいるべき相手がいる。
恋でも友情でも、それ以外でも――そんな分類に関係なく、いつまでも一緒にいなければならない運命のようなものが、ある。
もしそうだったなら、自分にとってのそれはアウレオルスだと思っていた。しかし、彼にとっての唯一が自分ではないことも秋沙はすでに知っていて、そのことを思うたびに胸が締め付けられる気がする。彼が命をかけて守るのは、秋沙ではない。アウレオルスが自分を投げ出してでも救いたいと願うのは、秋沙ではない別の少女だ。秋沙は彼女の顔すら知らないけれど、きっと魅力的な少女なのだろうと思っている。彼がここまでするのだから、とてもかわいい子なのだろう。
その少女は、禁書目録と呼ばれている。アウレオルスは、自分は彼女のそばにはまだいられないのだ、と言う。まだ、というのだから、おそらくいずれ一緒にいることができるようになるのだろう。そのとき、もう秋沙は彼には必要でなくなってしまうのかもしれない。
秋沙は、その先にある自分の思考が嫌いだ。禁書目録と呼ばれる彼女がいないうちに、アウレオルスの心をどうにかして自分に向ければ、彼はこちらを向いてくれるんじゃないか――今そばにいる自分の方が、彼への距離は近いのだから、というような思考回路。
アウレオルスの大好きな人を、そんな風に扱おうとする自分が、嫌だ。
だから、それは実行したくない。きっと、何があっても実行することはないだろう。
そんなことをして彼の心を捻じ曲げても、それは本当の絆ではない。
それでも、秋沙が幸せになるための未来は、その捻じ曲がった好意の先にしかないように思える。
バッドエンドを回避するための手段を、秋沙は初めから諦めているということだ。
自分の幸せと彼の幸せを、天秤にかけて。
彼の幸せを――彼の願いを、優先した。
禁書目録という見知らぬ少女と、錬金術師・アウレオルスが笑い合う未来を優先して、自分は闇の中にいる。諦めている。
秋沙はそんな状況の中で、たったひとつだけ前向きな目標を見つけた。今、できるだけ、この場所で、彼と過ごし、彼を見守ることだ。それが自分の役割なのだと思う。それだけは、禁書目録にはできない、秋沙だけの仕事だ。そうしている間だけ、自分はアウレオルスの隣に存在することを許される。自分が彼に必要とされなくなる未来が訪れても、今ここで一緒にいられるなら、きっと構わない。耐えられる。
そう思いながら、姫神秋沙は机に向かう彼の背中を眺めている。彼の背中はとても大きいのになぜか脆弱に見える。時折、その背中から抱きついて、その頭を撫でてやりたい、ねぎらってやりたい、彼の不安を収めてあげたい――というような願望が芽生える。けれど、秋沙はそれを実行しない。彼が不安で不安でたまらなくて、針で自分の首を刺しながら眠りにつくとしても、秋沙は彼に触れてはいけない。彼に触れ、彼を慰め、彼を愛する。それは秋沙が奪ってはいけない、もう一人の少女の役割に違いない。禁書目録の役目を秋沙が横から奪っても、彼は喜ばないだろう。秋沙はただ彼を見守っている。彼が悲しい少女に触れ、秋沙を必要としなくなる、そんな絶望的な未来のために、あくまでも彼の希望を願いながら眠りにつく。
美しい夢の中では、彼が自分に手を差し伸べて笑んでいる。彼の表情は逆光でよく見えないけれど、夢の中で彼が触れてくれる、それだけで秋沙は、いっぱいに満たされることができる。からっぽの幸せで心を満たすことができる。目覚めたときは泣いているかもしれなくても、その幸せは絶対に、本物だ。少なくとも秋沙はそう信じている。
090920