ある年の一月四日、レトロシェーナで。


「るんるんるん……らんらんらー……」
長身の男が陽気な声で歌いながら歩道を歩いている。彼の隣には、青く長い髪を 束ねた眼鏡の少女がいる。二人とすれちがった誰もが足をとめて振り返るのだが 、その理由はおそらく、男が大きな声で子供のように歌を口ずさんでいて、なお かつ彼がホテルマンのような妙な服を着ているからだろう。さらに付け加えるな らば、彼の足取りはスキップのような、踊りのような、奇妙でかなり目立つもの だった。
「松田……恥ずかしいから道を歩きながら歌わないでくれる?」
少女……結城ノナがため息をつきながらそう言うと、松田と呼ばれた長身の男は くるりと器用にターンして彼女の方を向き、
「だって、お嬢様がすすんで松田の買い物に付き合ってくださるなんて、滅多に ないことなのですから!はしゃぎたくもなるというものです!」
「……たかが買い物で何故そこまで騒ぐことができるの……」
彼にはノナの呟きなど聞こえていないようだった。幸せそうな彼の歌声が響く中 で、ノナはある「計画」について思案していた。
「うまくいくといいのだけれど……秋姫さんたち、ちゃんとしてくれているかし ら」
考えていることを思わず口に出してしまい、はっとして顔をあげたノナの目に映 ったのは、いつのまにか自分よりかなり先に行ってしまった執事の姿だった。ど うやら、嬉しさのあまり周囲が見えていないようだ。
「ちょっと松田! 待ちなさい!」
声をかけながら小走りで松田の後を追うノナ。彼女も、周りの人々が自分たちを 珍しいものを見るような目で眺めているということなど意識してはいなかった。

数分後、松田とノナは目的の場所にたどり着いた。近所のスーパーマーケットだ 。
そこには、がっくりと肩を落として暗いオーラに包まれてしまった松田の姿があ った。
「な、なんということでしょう……お休みだなんて!」
スーパーマーケットの扉の前には銀色のシャッターが降りていて、今日は営業し ていないという旨の書かれた貼り紙がしてある。
ノナは冷静に言う。
「これがレトロシェーナにおける正月休みというやつね……」
「せっかくのお嬢様とのショッピングが……」
松田は今にも泣き出しそうだ。が、彼がめそめそと泣き出すのにいちいち付き合 っていては体がいくつあっても足りない、ということくらいはノナもよくわかっ ているので、特に慰めの言葉をかけたりはしない。
「休みなのだから仕方ないわ。帰りましょう」
「ですが、お嬢様ぁ~」
両手を胸の前でぎゅっと祈るように握りあわせたポーズで、瞳をうるませながら 松田がノナを見る。
(なんで松田って、男のくせにこういちいち動作がかわいいのかしら。研究の余 地ありだわ)
などと考えている間にも松田のうるうるした目がノナをじっと見つめて何かを訴 えかけようとしている。
しばらく見つめあった末、根負けしたノナは嘆息した。
「仕方ないわね。じゃあ買い物の代わりに、近所の神社に行きましょう? レトロ シェーナでは年明けの時期には神社でお金を投げる習慣があるらしいから」
歓声をあげてとび跳ねながら、「投げた後のお金はどうするのでしょう……」と 松田は首をかしげた。つくづく変な方向に器用な男だ、とノナは思った。


「うわああああ」
と間抜けな声をあげて驚いた松田の横で、結城ノナも目を見開いていた。
普段閑散としている神社に、たくさんの人が溢れているためだ。
見渡す限り、人、人、人。いろんなところに行列ができているようだが、人が多すぎてどこからどこまでが行列なのか判別できないほどだ。
「ここにいるみなさんは、全員お金を投げるためにわざわざここに来られたので
すか!?」
感心したように辺りを見回す松田に、ノナはこう言った。
「……松田、あそこに並ぶみたいだから、順番取っておいて。わたしはいろいろ
見て回ってから戻ってくるわ」
「はいっ! 松田は、命をかけてこの場所を死守いたします!」
右手でぴしりと敬礼を決める松田に背を向け、結城ノナは彼に見えないように、こっそりと神社を抜け出していたのだが、人ごみの中にいる松田がそんなことに気づけるはずもなく……彼はひたすらに帰らぬ主人を待ち続けた。


そのまま、三時間が経過した。
さすがの松田も、ノナが戻ってこないことに疑問を覚え始めていた。
「お嬢様……まさか、迷子になられたのでしょうか……探すべき、なのでしょうか」
松田はおろおろとその場で右往左往したが、やがて
「でも、ここで待つように言われていますし……ああああああどうすれば!」
ぴょこんと犬耳を生やしながら松田は頭を抱えてしまった。後ろに並んでいる数人がぎょっとしたように目を見開くが、松田は気にしていない。というか、おそらく自分の頭に耳が生えたことにすら、気づいていないのだろう。
周囲の人間がそんな松田を遠巻きに見てひそひそ言っている、そんな状況の中、松田におそるおそる近づいてくる少女が一人、いた。おどおどと周囲を見ながら松田の方へ歩み寄ってくる。垂れたうさぎの耳のようにはねた赤い髪をぴょこぴょこと踊らせながら彼女は、松田の前に立って声をかけた。
「あのぅ……松田、さん」
「あ、秋姫さん!? ちょうどよかった! 一緒にお嬢様を探していただけませんか!?」
松田はしっぽを振りながら少女――秋姫すももに駆け寄ったのだが、すももは気まずそうに目をそらした。
「あの、松田さん。その……ノナちゃんは……」
すももはそう言って、迷うように目を泳がせた。
しばらくそうしていた彼女が、何か意を決したように松田の方を向いてこう言った。
「ノナちゃんは、わたしのお家にいるんです!」
「ふえ? ど、どうしてですか」
松田はそう尋ねたが、すももは真面目な顔で、答えにならない答えを返した。
「ノナちゃんはちゃんとお家にいます。だから、ノナちゃんを迎えに……来てください、松田さ、……ん」
松田はわけがわからなかったが、彼女の真剣なまなざしに押されて「はい」と返事をしてしまった。すももがほっとしたように胸をなでおろしてひょこひょこと歩き始めたので、松田は仕方なく、その後について行った。


「あの~、秋姫さん」
隣を歩くすももに声をかけると、彼女はびくりと体を震わせて驚き、
「なっ……なんで……すか」
と真っ赤になって言った。
「えーと……」
どうしてノナがすももの家にいるのか。
そしてなぜ、松田が彼女を迎えに行かなければならないのか。
最初はそう尋ねようかと思ったが、先ほどの彼女の反応からして、それは聞いてはいけないことのような気がして、松田は続ける言葉を思いつかず、黙った。
すると、すももが小声で何かをつぶやいた。
「…………います」
「え、何か言いましたか、秋姫さん」
「えっと……あの……おめでとうございます、松田さん」
すももはうつむいたまま言った。背の高い松田の目線では、彼女の表情は見えない。
松田は一瞬首を傾げたのちに、
「あ、『あけましておめでとうございます』ってことですね! こちらこそおめでとうございます、秋姫さん」
と言ってにっこりと笑った。
すももはなぜか戸惑うように目を伏せて、困った顔で愛想笑いをした。


松田とすももは曲がり角の先からぱたぱたという足音がすることに気づいて足を止めた。
秋姫邸まであと数分という距離のその場所で、曲がり角から飛び出してきたのは見慣れた人物だった。
「あーっ! 松田さんじゃん! 奇遇!」
と言ってにっと笑んだショートカットの少女は深町信子だった。
信子の後ろから現れたのも見覚えのある面々だ。さらさらの長い髪の少女小岩井フローラ、メガネをかけ、冬だというのに「夏男」と大きく書かれたシャツを着た桜庭圭介、そしておなじみの三つ子、麻宮夏樹、秋乃、冬亜。
信子は突然の出来事に驚いて固まっているすももに近づいて、「ごめん、もうちょっとかかるみたい。ここで時間稼いどけってさ」と耳打ちしたのだが、当然のことながら鈍感な松田は信子の声を聞くことはおろか、信子がすももに話しかけたことにすら気付かなかった。
「えーっと、とりあえずあれだね、めでたいね!」
と信子が唐突に切り出す。彼女に合わせるように圭介が大きく頷く。
「うん、めでたいめでたい!」
「何が、めでたいのですか? 新年を迎えたことですか?」
松田の無邪気な問いに、一同が青くなって硬直した。
「あれ? みなさんどうかされたのですか?」
空気を読まずさらに問う彼に、信子は広げた右手の手の平を向けてこう言った。
「ごめん、松田さん。ちょっとタイム」
そして、全員で松田に聞こえないように小さな輪になってこそこそ話を始めた。松田はにこにこしながら首をかしげるばかりで、円陣を組んだ彼らが話す内容にまでは気をまわしていないようだ。
「ちょっと、松田さん、まじで忘れてるんじゃない?」
「自分の誕生日を忘れるなんてあり得るの? あえてとぼけてるんだったりして」
「それはぁ~、松田さんの性格的にぃ、ないと思うなぁ」
「……ってことは本当に忘れちゃってるんだな……」
「でもまあ、あの松田さんなら……」
全員で声をそろえて、彼らは嘆息しながらこう言った。
「あり得る」


「あ、話は終わられたのですか?」
円陣を解いて松田の方へ向き直った一同に向かい、松田はそう尋ねた。
「あのね、松田さん。単刀直入に言うけど……」
信子は松田に顔を近づけ、こう言った。
「今日、何の日か覚えてます?」
全員が息をのむ中、松田はへらっと笑って、
「何でしょう? 元旦……は三日前でしたよね。すいません、レトロシェ……じゃない、このあたりの行事などにはうといものですから……」
と答えた。
その答えに、一同が肩を落としながらため息をつく。
「あーあ、どうしよう、忘れてるよ……」
それを聞いた松田はようやく、自分が何かをしでかしてしまったということに気づいたらしく、
「あ、あの、松田は何か大切なことを忘れているのでしょうか!?」
と狼狽し始める。
「うん、だってぇ、今日は松田さんのたんじょ……」
と言いかける冬亜の口をふさいだのは、フローラの手だった。
「もがっ!?」
「ちょっと待って。どうせならサプライズパーティにしちゃいましょうよ」
と囁いて笑うフローラ。聡明な夏樹が、すぐにその意見に頷く。
「なるほど、そっちの方がよさそうだ。この際、秘密のままにしておこう。わかったな、余計なことは言うなよ、冬亜」
「冬亜、自信ないなぁ……」
としょぼくれる冬亜。
「とりあえず、雑談でもしましょう、雑談!」
と、信子が無理やりに話題を引き離そうとした、そのとき。
プルルルル、という電子音がした。
「あ」
手にした鞄から慌てて携帯電話を取り出したのはすももだった。
「は、はい」
と彼女は電話を耳に当てて応答した。
少し緊張した調子で彼女は、
「あ、はい。……わかった。ありがとう、ナコちゃん」
と言って電話を切った。
「えっと、準備、できたって……」
と告げたすももの声に、松田以外の全員がほっとしたように笑顔になる。
「何の準備ですか?」
と問いかける松田の手を、いきなり引っ張ったのは信子だった。
「う、うわっ! な、何ですかあああ」
松田の声を無視して、そのまま走りだす信子。
転びそうになりながらも、松田は一緒に走りだした。
「とりあえずついてきて、松田さん。理由は後で話すから!」
そう言って信子はウインクをした。わけもわからず、松田は秋姫邸へと続く道を、ひたすらに信子と一緒に駆けた。二人の後ろから、圭介、フローラ、麻宮三兄妹、そしてすももが二人について走っていたのだが、松田にはそんなことを意識している余裕はなかったようだ。


時を同じくして、秋姫邸には三人の少女と二人の男、そして一人の少年がいた。
少女たちは私服の上からエプロンをしており、男たちはそれぞれ普段どおりの格好をしている。一人は落ち着いた色の和服を着ており、おっとりとした表情で少女たちを見守っている。もう一人の男は肩にカーディガンを羽織って、目を閉じてにやにやと得体のしれない笑みを浮かべている。そして、メガネをかけた凛々しい少年は少し困ったような表情で、カーディガンを羽織った男性の横に立っていた。
「……すももたち、今から来るみたい。たぶん、松田さんも一緒だ」
秋姫宅に備え付けの電話の子機を手にした少女、八重野撫子はそう言ってほほ笑んだ。
「じゃあ~、そろそろケーキを机に運んでおく~?」
おっとりと間延びした調子でそう言ったのは雨森弥生だ。彼女の横で一人、むすっとした表情で、
「何でわたしが松田のためにこんなことを……」
とぶつぶつ言っているのは、神社から自ら姿を消して、ここへやって来た結城ノナだった。
「まあまあ、これもレトロシェーナについて勉強するいい機会だと思えばいいんです」
と右手の人差し指を立ててカーディガンの男――如月ナツメがノナに言う。和服の男、秋姫正史郎もうんうんと頷いているが、彼が「レトロシェーナ」という単語を理解しているのか否かは不明である。ノナは、憮然とした調子で、「まあ仕方ありませんわ」と言った。
「あの……俺も何かした方がいいのか? 八重野」
そんな中、控え目に撫子に問うたのはメガネの少年、石蕗正晴だった。
「そこにある飾りを天井に吊るしてもらえると嬉しい。わたしたちでは手が届かないんだ」
的確な指示を出す撫子に、石蕗はこくりと頷いた。
「わかった」
石蕗がいくつかの飾りを吊るし終え、三人の少女が、自分たちが作ったケーキとその他の料理をテーブルに運び終えた頃、ちょうどチャイムが来客の訪れを告げた。
「はぁ~い」
と返事をしてとてとてと玄関へ走る弥生。その後ろから、緊張した面持ちでノナと撫子がついて来ていた。さらにその背後には、正史郎、ナツメ、石蕗がいる。
弥生が扉を開けると、信子と、彼女に片手を握られた松田がいた。松田はぜえぜえと肩で息をしており、かなり疲弊した様子だったが、信子の方はまったく息を乱していない。二人の後ろから、松田と同じように息を切らした同行者たちが走ってきている。
「そんなに急いでこなくてもいいのに」
と気の毒そうに撫子が言った。
「あ、あの……お嬢様を、迎えに、上がったのです、が……ぜえぜえ」
と滝のように汗をかいた松田が言うと、弥生が不思議そうに言った。
「あれ~? 松田さん、なんか……」
「ずれたことを言っているようね。どうせ、自分の誕生日を忘れているとかそんなところだろうと思うけれど」
と冷静に分析したノナを、うらみがましく見るドアの外の一同。
じっとりとした視線で彼らがノナを見つめる。
流れる気まずい沈黙に対し、
「え? ……わたし、何かいけないことを言ったのかしら」
松田の誕生日を祝うパーティをサプライズパーティにする、という意図を聞かされていないノナは驚いて口に手を当てたが、手遅れだった。
「誕生日、ですか!? わ、わたしの!? するとみなさんは、わたしのためにっ!?」
ようやく自分の誕生日が今日であることに気づかされた松田は、頭を地面にこすりつける勢いで、謝りはじめていた。
「どどどどどどうしましょう! すいません、すいません、まったく気づいていませんでしたああああっ! 本当に、すいません!」



完全に錯乱してしまった松田が落ち着きを取り戻すまでにはそれから十数分の時間を要したのだが、そのときの状況説明は省略して、その後。
「えーと、じゃあ、なんかぐだぐだになっちゃったけど……気を取り直して」
とフローラが切り出した。テーブルの上には料理の皿がいくつか置かれていて、天井からはきらきらした飾りがぶら下がっている。
秋姫家のテーブルを囲んだ、松田とノナ以外の全員が、声を合わせて言った。
「ハッピーバースデー! 松田さん」
当の松田はと言えば、派手な紙製の三角帽子をかぶせられ、テーブルの周りに並べられた椅子の一つに座らされ、……泣いていた。
「うう……こんなわたしのために、みなさんが、そしてお嬢様までもが、貴重な時間を割いてくださるなんて、松田は、松田はどう感謝の言葉を述べたらいいのかわかりません……」
「あ、あの……松田さん」
そんな松田に、石蕗が遠慮気味に言う。
「松田さんはいつも自分のことを悪く言ってるけど、そんなに卑屈になることはないと思います。松田さんが作ってきてくれたお弁当、すごくおいしかったし、松田さんの笑顔で、みんないつも幸せな気持ちになってるし……あの、うまく言えないけど、その」
だんだんとしどろもどろな口調になる石蕗がすべての言葉を言い終わらないうちに、松田は涙声で、きらきらと目を輝かせ、こう言っていた。
「ありがとうございますっ! 石蕗君は、お優しいんですね!」
「へ!? いや、えっと」
石蕗が突然の褒め言葉に混乱していると、ナツメが頷きながら松田に同調した。
「うんうん、石蕗君はとっても優しいですよねー」
「なんか、あなたが言うと全然違う意味に……というか嫌味に聞こえるんですけど……」
ぼそりと文句を言った石蕗の言葉には耳を貸さず、ナツメはぱんぱんと手を叩いて、
「はーい! じゃあみんな、そろそろごちそうを食べようか! 八重野さんと雨森さんと結城さんが腕によりをかけて作った料理だからね、きっと松田さんの料理に負けないくらいおいしいと思うよ」
「いただきまーす!」
全員が声をそろえてそう言って、テーブルの料理を思い思いに取り合い始める。
誕生日を迎えた松田のために、この場所に集った全員がそれぞれ奔走し、そして、笑顔になったこの日は、おそらく松田にとって最高の誕生日になったと思われたのだが、一つだけ問題をあげるとするなら、この直後、感極まった松田が、立ち上がった拍子にメインディッシュである大きなホールケーキをひっくり返してしまったことくらいだろうか。この日も例にもれず、松田のやらかした失敗に、主人である結城ノナはがみがみと彼を叱ったり、石蕗とすももをはじめとする友人たちに謝ったりすることになったのだった。
しかし、そんな状況にありながらも彼女は幸せそうだった。
かつて「従者の失態はわたしの失態も同然」とノナは言ったが、それは、少し曲解すれば、従者である松田の幸せは彼女の幸福につながるということかもしれなかった。
「まったくもう……松田はいつまでたっても松田ね」
がやがやと皆が楽しそうに騒いでいる中、結城ノナは、誰にも聞こえないようにそう言った。
呆れの中にも確かに愛着を感じさせる……そんな笑顔で。








20080104


内容を考えるのに四苦八苦した挙句、前日に慌てて書き上げた誕生日話です
これ以外にあえて何も言うことはありません↓
松田、本当に誕生日おめでとう!!!!!