好きの天びんはつりあわない

 今日は2月14日。学校は休みだけど、Fクラスは補習がある。
 ぼくは、授業が終わった瞬間に教室からできるだけ早く抜け出す方法について思案している。
 理由は簡単だ。生きるため、死なないため、明日からも雄二たちとバカやって生きていくため――
 今日のこの瞬間に、ぼくたちの未来がかかっているんだ。
 姫路さんには悪いけれど、ぼくらはまだ生き足りない。
 チャイムが鳴る。
 ぼくと、雄二と、それから秀吉とムッツリーニは、かばんを抱えて一斉に教室から逃げだした。

「えっ、明久君!? どこ行っちゃうんですかぁ!?」

 驚いて叫んでいる姫路さんには「ごめん、ぼくたち、とても大事な用事があるんだ!」とさりげなく嘘をつきながら、そのまま走った。
 姫路さん、本当にごめん。
 でも、ぼくはまだ死にたくないんです。
 今日の姫路さんの持っているピンク色の包みからは、黒焦げた甘い異臭がした。どう考えても死亡フラグだ。あんなの食べたら、倒れたぼくの口からアーモンド臭が漂う事態になるよ。
 ちなみに、雄二が逃げてるのは、もしかすると姫路さんじゃなくて、同じく怪しげな包みを持っていた霧島さんのせいかもしれない。たぶん、姫路さんからは逃げられても、霧島さんからは逃げ切れないだろうけど。霧島さんと雄二は本当に仲良しだね。
 
 帰り道の途中で、雄二たち三人とは別れた。
 振り返って、ピンク色の髪が後方に見えないことを確認してから、ぼくは走るのをやめた。
 道を歩きつつ、姫路さんには悪いことをしたなあ、と思う。
 うーん、しかし、命は大事にしたいしなあ。
「うーん、どうしてこんなに難しいんだろう」
「ちょっと、吉井君」
「ぼくは姫路さんのこと嫌いじゃないけれど、」
「吉井君ってば」
「でもあの料理は本当に」
「吉井君」
……と、そこでぼくは誰かがぼくを呼んでいることに気付いた。
 まさか姫路さんでは、と思い、一瞬背筋が凍りそうになりつつ、振り向く。
 そこにいたのは久保君だった。大きく肩で息をしていて、まるで、先ほどまで全力で走っていたみたいだ。
「久保君。どうしたの、そんなに息を切らせて」
「君が走るからだ。見失ったらまずいと思って、それで」
「あ、ごめん。すごく怖いものから逃げている途中で、夢中だったから」
「怖いもの?」
久保君が怪訝そうに問いかける。うーん、本当のことを言うわけにもいかないし、適当にごまかそう。
「うん、なんか、生物兵器っていうか、生死をかけた罰ゲーム的な何かを持つ人がいて」
……ごまかしたつもりだったけど、事実を述べただけになっていた。
「なんだか知らないが、吉井君を怖いめに合わせるなんて許せないな。ぼくが注意してきてやろうか?」
なんていい人なんだ。ぼくのためにそこまでしてくれるなんて。久保君はやっぱりすごい。
と思いつつ、ぼくは笑顔で断る。
姫路さんに悪気はないんだし、久保君に迷惑をかけるわけにはいかないのだ。
「いや、いいよ。久保君に悪いし。その人もね、悪い人じゃないんだ」
「そうかい? でも、ぼくにできることがあったら何でも言ってくれよ」
「うん、ありがとう久保君」
ありがとう、と言われた久保君が少し赤面した気がしたけど、気のせいだろう。
「あれ、でも久保君はどうしてぼくについてきたの?」
「あ、えっと、それは……」
急に歯切れが悪くなる。あれ、どうしたんだろう久保君。いつもの久保君らしくない。
「これを……」
「あ、チョコレートだ。もらっていいの?」
ピンク色の包みを差し出しつつ、久保君はメガネを押し上げた。「う、うん」
「やったー! ぼくの大事な熱源にするね!」
久保君は本当にいい人だなあ。ちょっと感動しちゃったよ。
まさか、自分がもらったチョコレートを、おすそ分けしてくれるなんて。
よっぽどたくさんもらったんだろうなあ。
「あ、でも、このチョコレートをくれた人に悪くないかな。ぼくなんかが食べちゃって」
ぼくがそう問いかけると、久保君はしばらく、何か言いたそうに視線を泳がせていた。
「いや、その人は君のことが好きだから」
「ぼくのことが好きなのに、久保君にチョコレートをくれたの?変な人だね」
「………………」
「あ、ごめん、変な人とか言って。久保君にチョコレートくれる人が、変な人なわけないよね」
「………………」
久保君は悩ましげに腕を組んで黙ってしまった。なんだか困っているように見える。
「久保君?」
ぼくの声で、久保君が、はっとしたように顔をあげた。
「いや、うん、とにかくその人は、そのチョコレートを作った人は、君のことが大好きで。吉井君が好きで好きで、いつも君の花のような笑顔に励まされているんだ。君の元気さが、勇気をくれる。守ってやらなきゃって思う。この間の試召戦争だって、君のおかげで頑張れた。すごくすごく……感謝してる」
久保君がこんなに長く話すのは初めて聞いたかもしれない。
「本当? そんな人がいるなんて、知らなかったよ」
いったいどんな女の子なんだろう。ぼくみたいなバカが好きなんていう、物好きな子は。
「だから……もらってやって、くれないか?」
久保君の口調はものすごく真剣だった。
その真剣さにこたえなければいけないような気がして、ぼくは笑ってこう言った。
「うん、ありがたくもらっておくね!」
「そうしてくれると嬉しい」
「じゃあ、バイバイ久保君。また学校で」
「ああ」
久保君が若干腑に落ちなさそうな顔をしていた気もするけど、そこでぼくらは別れた。

 帰って包みを開けてみると、小さなメッセージカードが入っていた。
 『君のことが好きです』と一言だけ書かれているカードの隣に、小さくて丸い手作りのトリュフが入っている。
 トリュフを恐る恐る口に入れてみると、それはとろけるように甘くて、びっくりするくらいに美味だった。
 どこのクラスの誰かはわからないけれど、こんなおいしいチョコレートを作れるなんてすごいなあ。
 姫路さんに料理を教えてあげてほしいくらいだ。
 とりあえず、このチョコレートをくれた人に会ったら、それを頼んでみよう――甘いチョコレートを舌の上で転がしつつ、そうぼくは思った。


100214



原作を読んだので原作っぽい文体にしてみた。
結果、明久視点にすると久保君がすごくかわいそうなことになることがわかりました!超不憫!(w